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第二話 偽りの玉座

伍章:四 訪問者2

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「しかし、主上しゅじょう」 

 納得がいかないという様子で、皇子みこと対峙していた二人が退く。二人の主は変わらず姿をひとえで覆い隠したまま、すうっとてのひらを虚空にかざす。何の音もなく引き抜かれたのが刀剣であることに気付くまで、白亜はくあは少しばかり時間を要した。 

 それが抜刀であるとは、皇子みこもすぐには思い至らなかったのだろう。剣を構えなおすことも忘れて、彼の手に握られた漆黒の正体を見極めようとしているのか、じっと眺めていた。 

「それほどに警戒されるなら、この剣をあなたに預けます」 

 再び背後の二人が「我が君」と訴えるように声をあげた。彼は今までと同じように、抗議に対して一瞥もくれず、再び皇子みここうべを垂れる。 
 白亜はくあはそれが刀剣であることを示されて、改めて眺めてしまう。一面が影色で、どこからが刃先でどこからがつかなかのも見分けがつかない。 

 白露はくろの遺体を染める暗黒が、ここにも在る。 
 白亜はそれが何を意味するのか懸命に考える。今まで彼の語ってきた戯言に、俄かに信憑性を感じて動悸がした。 
 白露を救う手立てがあるのならば、縋りたいのは事実なのだ。 
 彼は右手に柄を握り、左手に刃先を置いて、白虹はっこう皇子みこの前にかかげた。 

「これは私の悠闇剣ゆうあんのつるぎです」 

 自身の刀剣を預ける意味は、白亜にも判った。 

白虹はっこう皇子みこ、どうか私に姫君を救う機会を与えていただけないか」 

 皇子みこの前に掲げられた剣は、見れば見るほど忌まわしいを思わせる。どれほど白露はくろの亡骸を見慣れていても、嫌悪感が込み上げるのは仕方がない。 
 黒い刀剣というだけで、恐れを感じてしまう。 

 白虹はっこう皇子みこは、愕然とその場に立ち尽くしていた。美しい横顔に戸惑いの色が浮かんでいる。皇子みこもその黒い刀剣の示す意味を考えてしまったのだろう。 
 白亜の抱いた希望を、同じように抱いてしまったに違いない。白露の亡骸を救うことが出来るのなら、どんな手段も厭わない筈なのだ。 

――悠闇剣ゆうあんのつるぎ。 

 嫌悪を呑みこんで、目を逸らさず見つめていると、影色の艶やかさに気がついた。誰もが恐れる黒い輪郭かたちを眺めているのに、白亜は刀剣の美しさに目を奪われていた。皇子みこの持つ白虹剣はっこうのつるぎと同じように、あるいはそれ以上に、艶やかな闇がまるで輝いているように見えた。 

 差し出された刀剣を受け取ることはせず、皇子みこはゆっくりと横に首を振った。嵐のような怒りは影を潜めたようである。深く息をつき、自身の刀剣を虚空へと治めると、皇子みこは真っ直ぐ目の前の者を見た。 

「どうか、そのけんを収めてください」 

 皇子みこの申し出に頷いて、彼は掲げていた剣で虚空を掻く。見ることの叶わない鞘へ納めて、再び皇子と向かい合った。 

「本当に、彼女の亡骸を救う手立てが在ると?」 

 皇子の問いかけに、彼は頷く。 

「試す価値はあると思います」 

 何か言いたげに口を開きかけて、皇子は思いとどまったのか頷いた。 

「彼女を救える可能性が在るのなら、それがどのような方法でも迷いません。――託します」 

 静かに言い置いて、皇子みこは白露の元へと訪問者を促した。 
 その結論について、白亜も異論はない。 
 絶望の中に、一筋の光が与えられたような気がしていた。 
 皇子の了解を得ると、彼は背後に控えていた二人を振り返った。 

「――どのような結果になるのか、私にも確かな自信があるわけではない。麟華りんか、この住居を結界でまもり、誰も立ち入らせるな。麒一きいち白虹はっこう皇子みこをお守りするように」 
「かしこまりました」 

 二人が答えると、彼らのあるじ白虹はっこう皇子みこに従うように、質素な住居の中へ姿を消した。臣従である一人が後に続くのを見て、白亜も中へ戻るために追いかける。 

「待ちなさい」 

 室内へ戻ろうとすると、白亜の腕を掴む手があった。振り払おうとする白亜の力に怯むこともなく、ひとえの袖から覗く細い腕が、白亜の巨漢を戸外へと引き戻す。 

「あなたはここで待機していなさい。ここから先はとても危険だわ」 
「しかし、白虹はっこう様が――」 
「心配しなくても、皇子みこは私の同胞が守る」 

 白亜はくあよりも華奢な体躯をしているのに、女は信じられない豪腕であるようだった。足掻いても無駄であると悟り、白亜は住居が見渡せる処まで離れ、近くの大木に寄り掛かって、ただ待つことにした。 
 女は変わらず姿をひとえで隠したまま、片手を振り上げた。腕を通していない袖が、ひらりと翻る。 

「主上のめいにより、じゅって封じる」 

 白亜の住居が何かに覆われたような錯覚がした。思わず瞬きをするが、質素な住まいは何一つ変わらず、そこにたたずんでいる。 
 異変を感じるまでに、どれくらいの時間があったのか。 

 時が経つほど不安に駆られて、白亜は何度も周辺を往復した記憶がある。うろうろと歩き回っていると、全身がぞっと総毛立つような悪寒に貫かれる。 
 咄嗟に家を見上げると、細い黒柱が空に向かって突き抜けるように舞い上がり、すぐに消えた。後には、いつもの光景が同じように並んでいるだけだった。 
 呆気に取られて立ち尽くしていると、すぐに戸口から濃紺のひとえに身を包んだ人影が現れた。 

「――麟華りんか、我が君の消耗が激しい」 

 台詞を裏付けるように、彼らの主は身動きせずに臣従の腕に抱えられている。白亜と同じように外で待機していた女が、素早く駆けつけた。 

「どうして。……を払うだけで」 
「詳しいことは判らない。ただ、強い念を感じた。――とにかく、もうここに用はない。戻ろう」 

 女が頷くと同時に、彼らのまとっていたひとえが舞い上がった。翻る着物に目を奪われていた一瞬に、彼らは跡形もなく姿を消した。 
 一陣の風の如く、何かが駆け抜けて行く錯覚。 

 黒い幻を見た気がして、白亜は咄嗟に辺りを見回した。 
 視界に映るのは、いつもの長閑のどかな光景だった。 
 ただ彼らの訪問を裏付けるように、見事に織り上げられた濃紺のひとえだけが、抜け殻のように残されていた。
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