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第二話 偽りの玉座
伍章:二 恋人の最期2
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「白露……」
白亜の口から、再び嗚咽が漏れた。
輪廻が許されぬ魂魄の終焉。
亡骸と共に魂魄は永劫に捕らわれたまま、鬼に苛まれ続ける。
噂する者達も、安息を与えられない最悪の死だと恐れていた。
黒い亡骸は灰になるまで焼き尽くすしかない。いずれ亡骸は鬼に輪郭を与えて立ち上がり、想像を絶する災厄を招くと信じられているからだ。
「どうして、こんなことに……」
妹が不憫で可哀想で、白亜は再び嗚咽を繰り返した。息が詰まるのほどの哀しみに襲われる。嘆きの波が緩む頃、白亜はさらりと衣擦れの音を耳にした。
濡れた顔を上げると、皇子がゆっくりと立ち上がる姿が映る。涼しげな美貌に表情はなく、白露の遺体を眺めたまま立ち尽くしていた。
白亜は皇子の胸中をはかろうとして、ハッと雷に打たれたように震えた。
哀しみを打ち破る恐れが、勢いを増して広がって行く。
脳裏に描かれた、一つの結末。
皇子自身、白露の遺体と共に、ここで止まり続けることが出来ないと理解していたに違いない。彼は白露との決別にどう決着をつけるべきなのかを考えていたのかもしれない。
いや、どのように幕を閉じるのかは、既に決まっているのだ。
霧散することのない、黒い躯。
(……白露の亡骸は)
影が横たわっているかのような遺体。
(まるで罪人のような最後になってしまう)
忌まわしい鬼となる前に、灰になるまで焼き尽くすしかない。
おそらく皇子は、愛した白露が忌まわしい鬼となって立ち上がる前に、決着をつけるだろう。
白亜には、妹の遺体が火にかけられる光景を正視する自信はない。けれど、それは避けて通れない儀式となるのだ。焼き尽くさなければ、白亜はそれ以上の悪夢を目にすることになる。選択肢は残されていない。
息を呑んで、表情のない皇子の横顔を見つめてしまう。皇子の真意を知りたかったのだ。
白虹の皇子には、愛した者の躯を焼き払う覚悟があるのだろうか。あるいは忌まわしい鬼と成り果ててしまう白露の末路を断つ覚悟があるのか。
どちらにしても、はじめから拷問のような選択肢しか用意されていない。
白露を失う最大の苦痛は、これから始まるのかもしれなかった。
皇子は身動きせず、じっと横たわる白露を見守っている。
妹が息絶えてからどのくらいの時が経ったのか。白亜は心臓が握りつぶされるような不安に駆られ、思わず過ぎた月日を数えてしまう。
「鬼の器として蘇る彼女は、既に白露ではなくなっているのでしょうか」
皇子の小さな呟きは、嗚咽よりもはるかに哀しい響きをしていた。
白亜はこの瞬間、皇子の想いの深さに打たれた。
「私には、どうしても信じられない。――白露は私の翼扶です。真名を持たずとも、彼女の想いと共に私の魂魄が在りました。彼女が鬼となって立ち上がり、私を滅ぼすとしても私には厭う理由がありません」
白虹の皇子には、たとえ白露が鬼に成り果てようとも、その輪郭を断つことは出来ない。
その身が滅ぼされようとも。
「いいえ、白虹様」
皇子の想いがあまりに壮絶で、白亜は思わず激しく頭を振った。
(この方を犠牲にして、白露が喜ぶはずがない)
再び使命感にも似た気持ちが強く込み上げる。
白露が皇子に望むことは、そんな終焉ではないはずなのだ。
迷いを振り払うように白亜はただ無心に妹の想いを辿り、それが正しいことなのだと言い聞かせる。
そして覚悟を決めた。
「妹の亡骸は、私が焼き払います」
「白亜」
「妹が禍となることを望んでいるはずがない。ましてや、あなたの終わりなど望むはずがありません。妹は、白露は幸せだった。皇子に出会い、想いを通わせて、ただそれだけでどれほど満たされていたのか。私はずっと傍で見てきました」
皇子のかぶっていた無表情な仮面が、再び剥がれ落ちる。彼は美しい顔を苦しげに歪めて、とめどなく涙を零す。
「私には、できない。……どのような姿になろうとも、彼女はここに在る。それを罪人のごとく焼き払うなど、許せるはずがありません」
白露が患った奇病は稀ではあるが、先例がないわけではない。けれど、悪しき奇病に侵されずとも、黒い躯を残す者があった。
罪人である。
人を手にかけるなどの大罪を犯した者は、ほぼ例外なく黒い亡骸となる。時として、死後の遺体によって生前の罪が明らかになることもあり、逆に冤罪であったことを証明することもあった。
けれど遺体の語る罪は、酌量の程度が天意に委ねられていて、人がその境界を示すことは出来ない。死後に明らかになる罪は、人々の采配を越えた処に尺度があるため、黒き躯だけでは罪を問う事はできない。
それでも遺体を業火で焼かれることだけは避けようがなく、その光景は人々にとって最大の刑罰のように映った。
もちろん白虹の皇子と白亜にも同じ思いがある。
業火によって焼き尽くされる遺体。
白露を愛するものにとって、その光景がどれほど屈辱的で哀しいものであるのか。
「あれほど病に苦しめられ、最後の仕打ちが業火の儀式。――彼女が、何をしたというのです」
白亜にも皇子の気持ちは痛いほど理解できる。
けれど。
「それでも、白虹様。私には妹が鬼となり、人々の災厄となる方が辛いのです。妹が息絶えてから、既に一月ばかり経ちます」
再三に渡る白虹の皇子に対する天界の催促は、皇子の帰還だけではなく、遺体の始末についても含まれていたのかもしれない。
「もう迷っているほどの猶予はないでしょう。これは私達だけの問題ではありません」
最終的には、白の御門の勅命が下るだろう。自分達の知らないところで、既に儀式の準備が進められているのかもしれない。
単に皇子の哀しみを考慮して、別れを惜しむ時間を許されていたに過ぎないのだ。
白亜はようやく哀しみの中から、少しずつ理性を取り戻す自分を自覚した。現実は容赦なく、次の展開を望んでいる。
どんなに悔やんでも、足掻いても、どうにもならない。
落胆にも似た諦めと共に、白亜はそう決意を固めた。
その時。
「――病でお亡くなりになった姫君は、こちらか」
重苦しい静寂を破って、屋外から女の声が響いた。
白亜の口から、再び嗚咽が漏れた。
輪廻が許されぬ魂魄の終焉。
亡骸と共に魂魄は永劫に捕らわれたまま、鬼に苛まれ続ける。
噂する者達も、安息を与えられない最悪の死だと恐れていた。
黒い亡骸は灰になるまで焼き尽くすしかない。いずれ亡骸は鬼に輪郭を与えて立ち上がり、想像を絶する災厄を招くと信じられているからだ。
「どうして、こんなことに……」
妹が不憫で可哀想で、白亜は再び嗚咽を繰り返した。息が詰まるのほどの哀しみに襲われる。嘆きの波が緩む頃、白亜はさらりと衣擦れの音を耳にした。
濡れた顔を上げると、皇子がゆっくりと立ち上がる姿が映る。涼しげな美貌に表情はなく、白露の遺体を眺めたまま立ち尽くしていた。
白亜は皇子の胸中をはかろうとして、ハッと雷に打たれたように震えた。
哀しみを打ち破る恐れが、勢いを増して広がって行く。
脳裏に描かれた、一つの結末。
皇子自身、白露の遺体と共に、ここで止まり続けることが出来ないと理解していたに違いない。彼は白露との決別にどう決着をつけるべきなのかを考えていたのかもしれない。
いや、どのように幕を閉じるのかは、既に決まっているのだ。
霧散することのない、黒い躯。
(……白露の亡骸は)
影が横たわっているかのような遺体。
(まるで罪人のような最後になってしまう)
忌まわしい鬼となる前に、灰になるまで焼き尽くすしかない。
おそらく皇子は、愛した白露が忌まわしい鬼となって立ち上がる前に、決着をつけるだろう。
白亜には、妹の遺体が火にかけられる光景を正視する自信はない。けれど、それは避けて通れない儀式となるのだ。焼き尽くさなければ、白亜はそれ以上の悪夢を目にすることになる。選択肢は残されていない。
息を呑んで、表情のない皇子の横顔を見つめてしまう。皇子の真意を知りたかったのだ。
白虹の皇子には、愛した者の躯を焼き払う覚悟があるのだろうか。あるいは忌まわしい鬼と成り果ててしまう白露の末路を断つ覚悟があるのか。
どちらにしても、はじめから拷問のような選択肢しか用意されていない。
白露を失う最大の苦痛は、これから始まるのかもしれなかった。
皇子は身動きせず、じっと横たわる白露を見守っている。
妹が息絶えてからどのくらいの時が経ったのか。白亜は心臓が握りつぶされるような不安に駆られ、思わず過ぎた月日を数えてしまう。
「鬼の器として蘇る彼女は、既に白露ではなくなっているのでしょうか」
皇子の小さな呟きは、嗚咽よりもはるかに哀しい響きをしていた。
白亜はこの瞬間、皇子の想いの深さに打たれた。
「私には、どうしても信じられない。――白露は私の翼扶です。真名を持たずとも、彼女の想いと共に私の魂魄が在りました。彼女が鬼となって立ち上がり、私を滅ぼすとしても私には厭う理由がありません」
白虹の皇子には、たとえ白露が鬼に成り果てようとも、その輪郭を断つことは出来ない。
その身が滅ぼされようとも。
「いいえ、白虹様」
皇子の想いがあまりに壮絶で、白亜は思わず激しく頭を振った。
(この方を犠牲にして、白露が喜ぶはずがない)
再び使命感にも似た気持ちが強く込み上げる。
白露が皇子に望むことは、そんな終焉ではないはずなのだ。
迷いを振り払うように白亜はただ無心に妹の想いを辿り、それが正しいことなのだと言い聞かせる。
そして覚悟を決めた。
「妹の亡骸は、私が焼き払います」
「白亜」
「妹が禍となることを望んでいるはずがない。ましてや、あなたの終わりなど望むはずがありません。妹は、白露は幸せだった。皇子に出会い、想いを通わせて、ただそれだけでどれほど満たされていたのか。私はずっと傍で見てきました」
皇子のかぶっていた無表情な仮面が、再び剥がれ落ちる。彼は美しい顔を苦しげに歪めて、とめどなく涙を零す。
「私には、できない。……どのような姿になろうとも、彼女はここに在る。それを罪人のごとく焼き払うなど、許せるはずがありません」
白露が患った奇病は稀ではあるが、先例がないわけではない。けれど、悪しき奇病に侵されずとも、黒い躯を残す者があった。
罪人である。
人を手にかけるなどの大罪を犯した者は、ほぼ例外なく黒い亡骸となる。時として、死後の遺体によって生前の罪が明らかになることもあり、逆に冤罪であったことを証明することもあった。
けれど遺体の語る罪は、酌量の程度が天意に委ねられていて、人がその境界を示すことは出来ない。死後に明らかになる罪は、人々の采配を越えた処に尺度があるため、黒き躯だけでは罪を問う事はできない。
それでも遺体を業火で焼かれることだけは避けようがなく、その光景は人々にとって最大の刑罰のように映った。
もちろん白虹の皇子と白亜にも同じ思いがある。
業火によって焼き尽くされる遺体。
白露を愛するものにとって、その光景がどれほど屈辱的で哀しいものであるのか。
「あれほど病に苦しめられ、最後の仕打ちが業火の儀式。――彼女が、何をしたというのです」
白亜にも皇子の気持ちは痛いほど理解できる。
けれど。
「それでも、白虹様。私には妹が鬼となり、人々の災厄となる方が辛いのです。妹が息絶えてから、既に一月ばかり経ちます」
再三に渡る白虹の皇子に対する天界の催促は、皇子の帰還だけではなく、遺体の始末についても含まれていたのかもしれない。
「もう迷っているほどの猶予はないでしょう。これは私達だけの問題ではありません」
最終的には、白の御門の勅命が下るだろう。自分達の知らないところで、既に儀式の準備が進められているのかもしれない。
単に皇子の哀しみを考慮して、別れを惜しむ時間を許されていたに過ぎないのだ。
白亜はようやく哀しみの中から、少しずつ理性を取り戻す自分を自覚した。現実は容赦なく、次の展開を望んでいる。
どんなに悔やんでも、足掻いても、どうにもならない。
落胆にも似た諦めと共に、白亜はそう決意を固めた。
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「――病でお亡くなりになった姫君は、こちらか」
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