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第二話 偽りの玉座
壱章:五 白虹の皇子(はっこうのみこ)2
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聞き慣れない、柔らかな声が響く。さらりと雪よりも深い色合いの銀髪が流れた。
白い頭髪と淡い衣装の色目に、黒い影があまりに明瞭に浮かび上がる。漆黒の鳥は人懐こい仕草で、軽く羽ばたいて肩から差し伸べられた指先に移る。翡翠が固まったように反応できずにいると、背後で雪の声がした。
「大兄」
翡翠はその声で状況を把握した。漆黒の鳥が気掛かりだが、突き出していた掌を下げてすぐに頭を垂れた。
「騒がしくして申し訳ありません、白虹の皇子」
ひとまず謝罪してから名乗ると、彼はするすると衣装の裾を引き摺って歩み寄ってきた。
この皇子が生まれた日、空に見事な白虹がかかったと言う。透国では僥倖であると盛大に祝い、それがそのまま愛称となった。
けれど、生まれた日の成り行きを裏切るように、白虹の皇子は周囲の期待を無碍にした存在だったようだ。白の御門の第一皇子であるにも関わらず、彼は透国の皇位継承権を持たない。与えられていないのだ。
翡翠は彼の指先に止まっている影に身構えるが、皇子は平然と微笑んでいる。
「ようこそ、碧の第二王子。翡翠とお呼びしてもよろしいか」
涼しげな美貌は、白虹というよりも白刀を思わせる。物腰は柔らかだが、相手を眺める眼差しがどこか鋭い。雪のような可憐さはなく、大人びた色気を漂わせている。
簡単に纏った衣装は、翡翠の想像よりも遥かに着崩した格好だった。
幾ら世情に疎いとしても、他国からの来客があることは知っていた筈である。すぐに雪が畏まる必要はないと語った意味を理解した。翡翠には全てが想定外の対面だった。
「翡翠の王子、そんなに緊張されなくとも」
「……はい」
皇子の指先に止まっている影が気掛かりで、翡翠はとても緊張を解くことができない。雪が素早く兄である皇子の前に立った。
「大兄、少しは立場を考えて下さい」
「玉花、久しぶりだね」
「翡翠様が来るのに何の用意もせずに。黒鳥も野放しで。……もちろん予想はしていましたけど。はっきりいって翡翠様に大兄を紹介するのは恥ずかしいです」
「おまえは照れ屋だからね」
皇子は呑気に笑っている。雪はかみ合わない会話に怯まず、兄である皇子の態度を叱り飛ばしていた。
「あの、ごめんなさい。翡翠様」
申し訳なさそうにする雪が哀れになってきて、翡翠はとにかく笑ってみせた。
彼女がどうして自分のような変わり者と心を通わせることが出来たのか、翡翠はこの一瞬で理解してしまった。
白虹の皇子がいかに変人であったとしても、翡翠だけは生涯それを責める気にはなれないだろう。
「翡翠の王子、申し訳ない。どうも私は作法に疎いようで」
「あ、いいえ。僕も似たようなものですから」
翡翠にとって一番問題になるのは、礼儀作法よりも彼の指先にとまっている黒い影である。
「それよりも、皇子。その……」
言葉を濁して眼差しを向けると、彼は察してくれたのか、にこりと笑う。
「これは恐れるに足りません。ほら、触れていても何ともない」
目の前に差し出されて、翡翠は思わず飛びのきそうになったが、何とか踏みとどまった。
恐れと嫌悪感を堪えながら眺めると、それは見たこともない鳥だった。まるで黒い炎を纏っているかのように、動作の後にゆらりと残像が流れるのだ。
姿から判断すると、まだ幼鳥のようである。翡翠は皇子が文献から得た知識で作り出した生き物なのかと考えを巡らせたが、それはすぐに一蹴された。
「これは拾いものです。番いのようで実はもう一羽いるのですがね。あまりに変わっているから、色々と過去の記録を調べているのですが、どうも先例がないようではっきりしない」
「さっき、雪が呪をかけられていると」
「それは単なる推測ですよ。とりあえず、場所を移しましょう」
皇子の提案で、翡翠は足場の悪い宮殿を更に奥へと進んだ。内殿へたどり着いても、散乱具合は収まるどころか、ひどくなっているような気がする。
軽く吐息をつくと、隣を歩く雪が翡翠の袖を引っ張った。
「あの、本当にひどい所でごめんなさい、翡翠様」
雪は兄の失態を恥じているのか、頬を染めて俯いていた。そんな様子がいじらしくて、翡翠は皇子の後をついて行きながら、そっと彼女の手を取る。
「雪の兄上には、とても興味があるよ。個人的には感謝したいこともあるし」
雪は「大兄に?」と不思議そうに翡翠を仰ぐ。
翡翠は小さく頷いてから、白虹の皇子の後姿に視線を戻した。
この膨大な書物から得られた知識。
皇子の内には、翡翠の知らない世界が在るのかもしれない。
内殿に入ってからしばらく進むと、白虹の皇子が立ち止まった。無造作にほどかれたままの白銀髪が、振り返った彼の動作に合わせて翻る。
「それにしても、翡翠の王子。私の元を訪れて貴方は何を知りたいのですか」
「この世について。……僕に、何か出来ることはないのかと」
白刀を思わせる鋭い瞳が、真っ直ぐに翡翠を見つめていた。
「そうですか」
どんなふうに受け止めたのか、皇子はそう呟くと翡翠を更に奥へと招いた。翡翠は雪と手を取り合ったまま、再び一歩を踏み出した。
白い頭髪と淡い衣装の色目に、黒い影があまりに明瞭に浮かび上がる。漆黒の鳥は人懐こい仕草で、軽く羽ばたいて肩から差し伸べられた指先に移る。翡翠が固まったように反応できずにいると、背後で雪の声がした。
「大兄」
翡翠はその声で状況を把握した。漆黒の鳥が気掛かりだが、突き出していた掌を下げてすぐに頭を垂れた。
「騒がしくして申し訳ありません、白虹の皇子」
ひとまず謝罪してから名乗ると、彼はするすると衣装の裾を引き摺って歩み寄ってきた。
この皇子が生まれた日、空に見事な白虹がかかったと言う。透国では僥倖であると盛大に祝い、それがそのまま愛称となった。
けれど、生まれた日の成り行きを裏切るように、白虹の皇子は周囲の期待を無碍にした存在だったようだ。白の御門の第一皇子であるにも関わらず、彼は透国の皇位継承権を持たない。与えられていないのだ。
翡翠は彼の指先に止まっている影に身構えるが、皇子は平然と微笑んでいる。
「ようこそ、碧の第二王子。翡翠とお呼びしてもよろしいか」
涼しげな美貌は、白虹というよりも白刀を思わせる。物腰は柔らかだが、相手を眺める眼差しがどこか鋭い。雪のような可憐さはなく、大人びた色気を漂わせている。
簡単に纏った衣装は、翡翠の想像よりも遥かに着崩した格好だった。
幾ら世情に疎いとしても、他国からの来客があることは知っていた筈である。すぐに雪が畏まる必要はないと語った意味を理解した。翡翠には全てが想定外の対面だった。
「翡翠の王子、そんなに緊張されなくとも」
「……はい」
皇子の指先に止まっている影が気掛かりで、翡翠はとても緊張を解くことができない。雪が素早く兄である皇子の前に立った。
「大兄、少しは立場を考えて下さい」
「玉花、久しぶりだね」
「翡翠様が来るのに何の用意もせずに。黒鳥も野放しで。……もちろん予想はしていましたけど。はっきりいって翡翠様に大兄を紹介するのは恥ずかしいです」
「おまえは照れ屋だからね」
皇子は呑気に笑っている。雪はかみ合わない会話に怯まず、兄である皇子の態度を叱り飛ばしていた。
「あの、ごめんなさい。翡翠様」
申し訳なさそうにする雪が哀れになってきて、翡翠はとにかく笑ってみせた。
彼女がどうして自分のような変わり者と心を通わせることが出来たのか、翡翠はこの一瞬で理解してしまった。
白虹の皇子がいかに変人であったとしても、翡翠だけは生涯それを責める気にはなれないだろう。
「翡翠の王子、申し訳ない。どうも私は作法に疎いようで」
「あ、いいえ。僕も似たようなものですから」
翡翠にとって一番問題になるのは、礼儀作法よりも彼の指先にとまっている黒い影である。
「それよりも、皇子。その……」
言葉を濁して眼差しを向けると、彼は察してくれたのか、にこりと笑う。
「これは恐れるに足りません。ほら、触れていても何ともない」
目の前に差し出されて、翡翠は思わず飛びのきそうになったが、何とか踏みとどまった。
恐れと嫌悪感を堪えながら眺めると、それは見たこともない鳥だった。まるで黒い炎を纏っているかのように、動作の後にゆらりと残像が流れるのだ。
姿から判断すると、まだ幼鳥のようである。翡翠は皇子が文献から得た知識で作り出した生き物なのかと考えを巡らせたが、それはすぐに一蹴された。
「これは拾いものです。番いのようで実はもう一羽いるのですがね。あまりに変わっているから、色々と過去の記録を調べているのですが、どうも先例がないようではっきりしない」
「さっき、雪が呪をかけられていると」
「それは単なる推測ですよ。とりあえず、場所を移しましょう」
皇子の提案で、翡翠は足場の悪い宮殿を更に奥へと進んだ。内殿へたどり着いても、散乱具合は収まるどころか、ひどくなっているような気がする。
軽く吐息をつくと、隣を歩く雪が翡翠の袖を引っ張った。
「あの、本当にひどい所でごめんなさい、翡翠様」
雪は兄の失態を恥じているのか、頬を染めて俯いていた。そんな様子がいじらしくて、翡翠は皇子の後をついて行きながら、そっと彼女の手を取る。
「雪の兄上には、とても興味があるよ。個人的には感謝したいこともあるし」
雪は「大兄に?」と不思議そうに翡翠を仰ぐ。
翡翠は小さく頷いてから、白虹の皇子の後姿に視線を戻した。
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皇子の内には、翡翠の知らない世界が在るのかもしれない。
内殿に入ってからしばらく進むと、白虹の皇子が立ち止まった。無造作にほどかれたままの白銀髪が、振り返った彼の動作に合わせて翻る。
「それにしても、翡翠の王子。私の元を訪れて貴方は何を知りたいのですか」
「この世について。……僕に、何か出来ることはないのかと」
白刀を思わせる鋭い瞳が、真っ直ぐに翡翠を見つめていた。
「そうですか」
どんなふうに受け止めたのか、皇子はそう呟くと翡翠を更に奥へと招いた。翡翠は雪と手を取り合ったまま、再び一歩を踏み出した。
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