28 / 233
第一話 天落の地
エピローグ:1 真実を求める者
しおりを挟む
学院の傍に建てられた自宅から、朱里は彼方と一緒に登校した。お世辞にも顔色が良いとは言えない彼方は、疲れきった様子で学院までの短い距離をのろのろと歩いている。
朱里は彼が泊り込むことになった経緯を知らない。事情を知りたい気もしたが、遥の看病を姉の麟華に奪われた途端、一気に張り詰めていたものが緩んだようだった。
とぼとぼと彼方の隣を歩きながらも、朱里はだるくてたまらなかった。
姉の麟華は、徹夜で看病を続ける朱里を密かに心配していたのだろう。学校を休んで遥の看病を続けると言い張った妹を、強引に彼の寝台から引き剥がした。
「学校を休むなんて許さないわよ」
朱里の前で仁王立ちしていた麟華の形相は、はっきり言って恐ろしかった。珍しく大学を休むと決めた兄の麒一が、慰めるように補足してくれる。
「黒沢先生は必ず良くなるよ。朱里がつきっきりで看病しようがしまいが、結果は同じだ。それに目覚めた彼が、自分のせいで朱里が体を壊したり、学業を疎かにしてしまったりしたと知ったら、きっと気に病む」
「そうよ。黒沢先生の傍についていると、いらないことを考えて、朱里はずっと気を張っているでしょ。だから学校へ行って授業に出て、しっかりと睡眠時間を確保してくるのよ」
麟華は教師だとは思えない無責任な発言をして、朱里を勢い良く自宅から追い出しにかかった。朱里は遥の容態が気掛かりだったが、姉に押し切られてしぶしぶ家を出てきたのだ。
朱里は彼方の隣を歩きながら、無言でいるとますますだるくなる自分を感じた。気分転換をはかるつもりで、思い切って廃人のように虚ろな眼をしている彼方に声をかけた。
「彼方は昨夜、どうして家に泊まったの?」
彼は糸でつられた操り人形のように、ゆらりと朱里に顔だけを向ける。
「委員長の兄姉って、怖い」
「え?」
今朝は二人とも、にこやかに彼方と朱里を送り出してくれた筈である。
「もしかして、昨夜はずっと麒一ちゃん達と話をしていたの?」
彼方は力なくこっくりと頷いた。
朱里は遥の世話に関わること以外で部屋から出た記憶がない。自分が副担任を見守っている間、彼方は双子にその素性を問われていたのかもしれない。
そんな想像を巡らせていると、朱里も俄かに彼方のことに興味が沸いてきた。
「私も彼方のこと良く判らないけど。……どうなっているの? 先生とは知り合い?」
彼方は恐ろしい物でも見るような目つきで、激しく頭を振った。
「やめて、委員長。僕に聞かないで」
「は?」
「僕の口からは恐ろしくて説明できないよ。訊きたい事があったら、副担任か双子に聞いて。お願いだから。僕は自分の身の安全を守りたいからね」
どうやら双子に余計なことを言うなと釘を刺されているようである。彼方の様子から想定すると、双子は彼方を震え上がらせるような脅しをかけているのかもしれない。
朱里の中に在る双子は、朗らかな姉と、冷静沈着な兄である。
誰かに圧力をかける態度が想像できず、朱里は少しだけ二人の本性を知りたいような気もしたが、知らないでいるほうがいいような気もした。
「じゃあ、彼方は何のためにこっちへやってきたの?」
「委員長、僕の話を聞いていた?」
「だって、気になるんだもん」
素直に伝えると、彼方は「はぁっ」と落胆の溜息を落とす。
「言っても判らないと思うけど、僕はソウショウの翼を捜している」
「ソウショウの翼?」
「うん。こちらの字で現すなら相称の翼」
朱里はトクリと鼓動が震えるのを感じた。それが何を意味するのか知りたい反面、何かが片隅で知らないほうが良いと警告している。朱里がためらいながらも問いただそうとすると、一瞬早く彼方が遮った。
「おっと、それが何なのかは教えられないよ。これ以上は僕の口からは言えないから。知りたいことは、副担任か双子に聞いて」
「うん、……わかった」
残念だと感じながらも、朱里は迷っていた自分が安堵しているのも感じていた。
この世にただ一つ。遥を滅ぼすことの出来る力。
自分が知っているのは、それだけ。それ以上は必要がない。
朱里には意味を知ることが恐ろしかった。
(でも、彼方の望みって……)
ふと一つの気掛かりが胸を占めて、朱里は懲りずに続けてしまう。
「彼方は黒沢先生の味方?それとも、敵?」
どうしてそんな発想をしてしまったのだろう。きっと彼方が相称の翼を捜していることの意味を考えてしまったからだ。
遥を滅ぼす力を欲する、その意味を。
彼方は朱里の考えを察したらしく、困ったように笑う。
「うーん。それはとっても難しい質問だね。正直に言うと、僕にもまだわからない」
緊張している様子もなく、彼方は大きな欠伸をした。高等部の正門を抜けた処で立ち止まり、彼は両手を振り上げて伸びをする。
「だけど、僕は委員長の敵じゃないよ。色々とこっちではお世話になっているし、恩返しくらいはしたいな」
「――彼方は、何のためにここに来たの?」
何かがもどかしくてたまらない。朱里は知らずに同じ質問を繰り返していた。
彼方は昇降口へと向かいながら、後ろを歩いている朱里を振り返った。
無邪気な笑顔はそのままなのに、碧眼に宿る決意は揺ぎ無く、真っ直ぐに見るものを射抜く。朱里は思わず息を詰めて、彼の声を聞いていた。
「僕はね、真実が知りたい。それだけだよ」
はっきりと告げてから、彼方は昇降口から続く廊下を、教室のある方向とは逆へ進んだ。朱里はもう何かを問いかけることをせず、彼の後ろ姿を眺めていた。
朱里は彼が泊り込むことになった経緯を知らない。事情を知りたい気もしたが、遥の看病を姉の麟華に奪われた途端、一気に張り詰めていたものが緩んだようだった。
とぼとぼと彼方の隣を歩きながらも、朱里はだるくてたまらなかった。
姉の麟華は、徹夜で看病を続ける朱里を密かに心配していたのだろう。学校を休んで遥の看病を続けると言い張った妹を、強引に彼の寝台から引き剥がした。
「学校を休むなんて許さないわよ」
朱里の前で仁王立ちしていた麟華の形相は、はっきり言って恐ろしかった。珍しく大学を休むと決めた兄の麒一が、慰めるように補足してくれる。
「黒沢先生は必ず良くなるよ。朱里がつきっきりで看病しようがしまいが、結果は同じだ。それに目覚めた彼が、自分のせいで朱里が体を壊したり、学業を疎かにしてしまったりしたと知ったら、きっと気に病む」
「そうよ。黒沢先生の傍についていると、いらないことを考えて、朱里はずっと気を張っているでしょ。だから学校へ行って授業に出て、しっかりと睡眠時間を確保してくるのよ」
麟華は教師だとは思えない無責任な発言をして、朱里を勢い良く自宅から追い出しにかかった。朱里は遥の容態が気掛かりだったが、姉に押し切られてしぶしぶ家を出てきたのだ。
朱里は彼方の隣を歩きながら、無言でいるとますますだるくなる自分を感じた。気分転換をはかるつもりで、思い切って廃人のように虚ろな眼をしている彼方に声をかけた。
「彼方は昨夜、どうして家に泊まったの?」
彼は糸でつられた操り人形のように、ゆらりと朱里に顔だけを向ける。
「委員長の兄姉って、怖い」
「え?」
今朝は二人とも、にこやかに彼方と朱里を送り出してくれた筈である。
「もしかして、昨夜はずっと麒一ちゃん達と話をしていたの?」
彼方は力なくこっくりと頷いた。
朱里は遥の世話に関わること以外で部屋から出た記憶がない。自分が副担任を見守っている間、彼方は双子にその素性を問われていたのかもしれない。
そんな想像を巡らせていると、朱里も俄かに彼方のことに興味が沸いてきた。
「私も彼方のこと良く判らないけど。……どうなっているの? 先生とは知り合い?」
彼方は恐ろしい物でも見るような目つきで、激しく頭を振った。
「やめて、委員長。僕に聞かないで」
「は?」
「僕の口からは恐ろしくて説明できないよ。訊きたい事があったら、副担任か双子に聞いて。お願いだから。僕は自分の身の安全を守りたいからね」
どうやら双子に余計なことを言うなと釘を刺されているようである。彼方の様子から想定すると、双子は彼方を震え上がらせるような脅しをかけているのかもしれない。
朱里の中に在る双子は、朗らかな姉と、冷静沈着な兄である。
誰かに圧力をかける態度が想像できず、朱里は少しだけ二人の本性を知りたいような気もしたが、知らないでいるほうがいいような気もした。
「じゃあ、彼方は何のためにこっちへやってきたの?」
「委員長、僕の話を聞いていた?」
「だって、気になるんだもん」
素直に伝えると、彼方は「はぁっ」と落胆の溜息を落とす。
「言っても判らないと思うけど、僕はソウショウの翼を捜している」
「ソウショウの翼?」
「うん。こちらの字で現すなら相称の翼」
朱里はトクリと鼓動が震えるのを感じた。それが何を意味するのか知りたい反面、何かが片隅で知らないほうが良いと警告している。朱里がためらいながらも問いただそうとすると、一瞬早く彼方が遮った。
「おっと、それが何なのかは教えられないよ。これ以上は僕の口からは言えないから。知りたいことは、副担任か双子に聞いて」
「うん、……わかった」
残念だと感じながらも、朱里は迷っていた自分が安堵しているのも感じていた。
この世にただ一つ。遥を滅ぼすことの出来る力。
自分が知っているのは、それだけ。それ以上は必要がない。
朱里には意味を知ることが恐ろしかった。
(でも、彼方の望みって……)
ふと一つの気掛かりが胸を占めて、朱里は懲りずに続けてしまう。
「彼方は黒沢先生の味方?それとも、敵?」
どうしてそんな発想をしてしまったのだろう。きっと彼方が相称の翼を捜していることの意味を考えてしまったからだ。
遥を滅ぼす力を欲する、その意味を。
彼方は朱里の考えを察したらしく、困ったように笑う。
「うーん。それはとっても難しい質問だね。正直に言うと、僕にもまだわからない」
緊張している様子もなく、彼方は大きな欠伸をした。高等部の正門を抜けた処で立ち止まり、彼は両手を振り上げて伸びをする。
「だけど、僕は委員長の敵じゃないよ。色々とこっちではお世話になっているし、恩返しくらいはしたいな」
「――彼方は、何のためにここに来たの?」
何かがもどかしくてたまらない。朱里は知らずに同じ質問を繰り返していた。
彼方は昇降口へと向かいながら、後ろを歩いている朱里を振り返った。
無邪気な笑顔はそのままなのに、碧眼に宿る決意は揺ぎ無く、真っ直ぐに見るものを射抜く。朱里は思わず息を詰めて、彼の声を聞いていた。
「僕はね、真実が知りたい。それだけだよ」
はっきりと告げてから、彼方は昇降口から続く廊下を、教室のある方向とは逆へ進んだ。朱里はもう何かを問いかけることをせず、彼の後ろ姿を眺めていた。
0
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】
霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。
辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。
王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。
8月4日
完結しました。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる