シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

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第一話 天落の地

第5章:4 魂禍(こんか)2

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 朱里あかりには何がどう繋がっているのか見当もつかない。はるかの特異な立場には、更に彼方かなたの国が関わっている。どのような相関図の元にこのような状況があるのかが判らなかった。  

 異国からの留学生である彼方。そんな肩書きが色褪せるほど、彼方にも秘められた世界があるのかもしれない。それは遥の立場につながる、得体の知れない世界なのだろうか。 

 朱里は禁忌きんきの場所へと続く抜け道での出来事を思い出す。遥との出会いがあまりに強烈で、あの時の彼方の言動を忘れていた。 

 見えない圧力を破るかのように突き出された掌。 
 汗が滴るほど、渾身こんしんの力を振り絞っていた。 
 たしかにあの時、彼方は何かと対峙たいじしていたのだ。 

「だけど、この局面においては、委員長にとっても重大な問題になるのかな。なぜなら、この副担任が瀬川夏美せがわ なつみを救うはずがないから」 

 ためらいのない口調で断言されても、朱里はすぐに反応ができなかった。彼方がこの状況をどのように受け止めているのか想像がつかない。遥は再び口元に笑みを浮かべて対峙していた。 

「もしかしてさ、瀬川夏美がソウショウのつばさ? アンジュのあるじなら、魂鬼こんきを操ることなんて容易たやすいでしょ。全てソウショウの翼をほうむるために仕掛けたことじゃないの?」 
「残念ですが、彼方=グリーンゲート。今はあなたの戯言ざれごとに付き合っている暇はありません」 

 こんな時にもしっかりと副担任に化けたままで、彼はにこやかに対応している。直後、保健室の中で短い悲鳴があった。ドサリと物が倒れる音がする。 
 閉ざされた保健室の扉に、じわりと黒い染みがにじみ出た。それはみるみる巨大な影となって廊下に立ち塞がるように辺りを満たした。 

「これは……」 

 彼方が汚らわしいものを見るような眼差しで、巨人のようにも見える影を眺めている。遥はこうなることを予想していたらしく、小さく吐息をついた。 

 広がった影は何かを探すように、三人の目前で蠢いている。彼方が狙いを定めるように、影に向かって右手を突き出した。 
 影は身動きした彼方を敵だと見なしたのだろうか。どろどろとトグロを巻くように渦巻いてこちらへ向かってきた。 

うらやましい、苦しい)

 蠢く影の中で、かすかに声が響いている。朱里は思わず耳を澄ました。 

(哀しい、辛い、ねたましい)

 吐き出される言葉は、まるで何かを呪うように暗い。 

「吐き気がするよ」 

 酷薄こくはくに言い放ち、彼方は突き出した掌に力を込めようと表情を引き締めた。影の先端が獲物を狙うように、鋭い爪となる。まるで彼方の中にある敵意が、蠢く影に呼応しているようにも見えた。 

「おい、おまえは学院を壊滅させる気か」 

 突き出された掌をいさめるように、遥が彼方の腕に手をかけた。 

「こんなに禍々しいもの、野放しにする趣味はないよ」 
「禍々しい? は誰の内にも在るものだ。汚らわしいと目を背けるだけでは、葬ることなどできない」 

 遥はいつの間にか、その手に漆黒の柄を握っていた。朱里にも見覚えのある形だった。スラリと伸びた闇色の刀身は輝きをもたない。 

「だが、をこちらの悪意に触れさせた責任は私にあるな」 

 彼はとんと彼方の肩を押しやって、間近まで迫っている影に向き合う。眼鏡をかけたままの横顔は穏やかで、彼方のように敵意は感じられない。 
 から成ったという女子生徒に対する時も、遥には憎悪や敵意はなかった。 

(憎い、寂しい)

「その苦しみはここでついえる」 

 遥の声に険しさはない。語りかけるような呟きだった。彼は手にした刀剣の切っ先を緩やかに地に置いた。 

「――我がジュを以って、そらへ」 

 真っ直ぐに振り上げられた刀身のわずかな残像が、美しい軌跡を描く。辺りに蠢いていた影は導かれるように、刀身の先が触れた地点に終結して深い闇を生んだ。やがて刀剣の指し示すそらを目指すように、筋を描いて校舎の天井を貫き、音もなく流れていく。 

 歪みのない直線的な流動は、神聖な儀式のように美しい光景だった。 
 朱里は恐れも忘れて魅入ってしまう。 

「これが、――?」 

 彼方のかすれた声が何かを呟いた。朱里は聞き取れず、彼方に視線を映す。彼は信じられないものを見るように、目を見開いていた。それでも目の前の美しい光景から目が放せないのか、闇が形作る細い柱を、じっと眺めている。 

 まるで一陣の風のように暗黒が去ると、遥はゆっくりと刀剣をおろした。そのまま眼鏡の向こうから、朱里に眼差まなざしを向ける。 

「こんなことをいくら繰り返しても、意味がない」 
「――先生?」 

 彼方を前にして、遥は既に副担任を演じることをあきらめたようだった。すっかり素の口調に戻っている。朱里も今更、そんなことにうろたえる気にはならない。それよりも、さっき遥が告げた物騒な台詞が気になっていた。 

「早急に元凶を断つしかない」 

 やはり彼の結論は夏美を排除することに達するようだった。 

「自滅するまで待てば、被害が広がるだけだ」 

 遥は漆黒の刀剣を手にしたまま、閉ざされたままの保健室の扉を開けて、迷いのない足取りで踏み込んでいく。
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