シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
20 / 233
第一話 天落の地

第5章:3 魂禍(こんか)1

しおりを挟む
 保健医の指示に従って、はるか夏美なつみを寝台へ運んだ。朱里あかりは彼の背後から覗き込むように、横になった夏美の様子を窺っていた。 

 保健医の説明によると、やはり夏美は地震の衝撃で気を失ってしまったようだ。大事には至らないと確信ができて、朱里は「良かった」と呟きながら副担任を仰いだ。 
 振り返った彼は無表情で、副担任を演じているときの微笑みが消えている。 

 朱里は戦慄せんりつを覚えたが、とりあえず夏美のことを保健医に託して保健室を出た。副担任である遥は、扉の前で会釈えしゃくをしてから朱里の後に続く。 
 彼が保健室の扉を閉めるのを見届けてから、朱里は彼と向き合った。 

「あれは、黒沢先生の仕業しわざですか」 

 彼は意図が分からないという顔をして、眼鏡を指で押し上げた。 

「教室で昨日の黒いもやを見たんです」 

 遥にはそれだけで通じる筈である。理科室の前に現れた女子生徒を取り囲んでいた暗い影。朱里は思い返すだけで、どことなく寒気を催すほどだ。 

 分厚い眼鏡レンズを通して、遥の眼差しが真っ直ぐにこちらを見つめている。朱里は教室で見た一部始終を事細かに彼に伝えた。 
 遥は納得したように、小さく頷く。 

「そうか。では、彼は君を助けようとしたわけだ」 

 朱里を引き倒した彼方かなたの行動を、遥も同じように受け止めたようだった。 

「先生はかれの国のことを何か知っているんですか。彼方かなたも先生と何か関係があるとか? 王子がどうだとか言っていたけれど、彼方は自分の生まれた国では王子様だったり?」 

 異国からの留学生である彼は、朱里にとってはそれだけで別世界の住人であるという錯覚があった。実は王子だったと明かされても、それほど驚きを感じない気がした。 

「王子。そうだな。……それだけではないのかもしれないが、君にとってはそれでいいだろう。彼方かなた=グリーンゲートだったかな。……呆れるほど単純な名前だ。まぁ、私も人の事は言えないが」 

 低く笑う遥は、やはり謎に包まれている。朱里は腑に落ちない。 

「彼方と先生は昔からの知り合いですか。国に出入りしていて、彼の父親を知っているとか?」 

 重ねて問いかける朱里に、彼はいつもの微笑みを向けた。 

「そんなことよりも、今は君の友達を始末することが先決だな」 
「――は?」 

 朱里は何か聞き間違いをしたのかと、思わず聞き返してしまう。遥は立てた親指で平然と保健室の方を示す。 

「彼女は生かしておけない」 
「そんな、突然何を言い出すんですか」 
「キに輪郭かたちを与え、こちらのことわりを乱す。滑稽な姿をした女子生徒、生き物のように蠢く影。全て彼女の仕業だ。既に本人にも自覚があるだろう」 
「だけど……」 

 朱里は縋りつくような夏美の表情を思い出した。 

「だけど、彼女は助けてと言っていた。ちがうって、望んでいないって」 
「そうだとしても、既に輪郭かたちになっている。そして友人を傷つけた」 
「夏美が?」 
「そうだ。今朝、怪我をしていた友達がいただろう。そして、現れた影は彼女を狙っていた」 

 遥は的確に見抜いている。朱里はつながった事実を伝えられても、信じられない。 

「でも、夏美が望んだことじゃないわ。昨日の女の子だって、助けてって、そればかり繰り返していた。助けを求めているのに、生かしておけないなんて、ひどいです」 
「君がどう思おうと勝手だが、全て彼女の中に在ったものだ。キは強い呪いに触れなければ、輪郭かたちになることはない」 

「そんな筈ありません。夏美がこんなことを願う筈がない。動機がないです」 

 遥は目を閉じて、ただ横に首を振った。 

「元凶は夏美じゃないでしょう?先生の言うキって、一体何ですか。それの仕業じゃないですか」 
「キにこちらの字を当てるなら。罪過によって闇に染まった魂魄こんぱく魂鬼こんき、あるいは魂禍こんかとも言う」 
「じゃあ、夏美にとりついたソレを払うとか。昨日の理科室の時みたいに」 
が彼女にとりついたわけじゃない。どちらかと言えば、彼女の思いがにとりついたと考えたほうがいいな」 
「とにかく、何でもいいから、夏美を救う方法はないんですかっ」 
「――天宮あまみやさん」 

 遥はいきなり副担任に戻ると、口元に人差し指を立てるような仕草をする。朱里は咄嗟に自分の口を手で押さえた。静寂を取り戻すと、廊下にかすかな足音が響いている。人の気配を感じて振り返ると、再び異国からの留学生である彼方の姿があった。 

「なるほどね。何となく判ったような気がする」 
「彼方、どうしたの? 授業は?」 

 朱里は遥との会話が聞かれていたのかと緊張を取り戻す。彼方は真っ直ぐに副担任である遥を見つめたまま、律儀に朱里の問いに答えた。 

「授業よりもこっちの方が重要」 
「夏美のこと? 保健の先生は気を失っているだけで心配はいらないって」 
「違うよ、委員長。そういうことじゃないんだよね。重要なのは、そこにいる副担任に化けた奴のことだよ」 
「黒沢先生が? どうして?」 

 彼方がどこまで会話を聞いていたのかは判らない。我ながら白々しい芝居だと思ったが、朱里にはそんなふうに振る舞うことが精一杯だった。 
 彼方はうろたえる朱里とは対照的に、はっきりと答えた。 

「ここからは委員長には判らないお話。なぜなら、僕の国に関わることだから」 
「彼方の?」 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【完結】私の婚約者はもう死んだので

miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」 結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。 そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。 彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。 これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

処理中です...