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第一話 天落の地
第4章:3 非日常1
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「まったく、君は無茶をする」
さっきまでの出来事が嘘のように、廊下はいつもどおりひっそりとしていた。校庭から聞こえる部活動の喧騒だけが響いている。朱里は遥の腕から下ろされると、そのままへたりこんでしまいそうになって、再び彼に腕をつかまれた。
「おい、大丈夫か」
労わるようにかけられた声に、どう答えて良いのかもわからない。明らかに人ではない者が恐ろしいのか、呆気なく人を刺し貫く遥を恐れているのか。
立て続けに起きた出来事の全てが、この世の常識や法則では捉えきれない。
そんな状況にあって、決して動じることのない遥。
「先生は、何を知っているんですか」
彼に出会ってから全てが始まっているような気がする。一番恐れなければならないのは、学院の噂よりも、ありえない出来事よりも、彼自身なのかもしれない。
考えてみれば、それが一番自然に辿りつく結論だった。なのに、なぜか朱里は認めたくなかったのだ。自分の中に在る不自然な思い入れ。
それがどこに根ざしているのか。
(――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る)
あの夜に語られた言葉に、きっと捕らわれているのだ。
朱里は真っ直ぐ遥を見た。彼は朱里の考えを察したのか、浅く笑った。
「君が恐れるのも無理はないな」
遥は理科室の扉を開けて朱里を中へと促した。校庭側の大きな窓からは、夕刻の空が広がり始めていた。朱里が所在無く並ぶ席の一つにかけると、彼は窓際に立ってこちらを向いた。
「今の君には、何を話しても理解できないし、わからない」
「それは、……聞いてみないとわかりません」
これまでの体験を振り返れば、少々のことでは驚かない自信があった。今もタスケテと呟いていた女子生徒の姿が強く刻まれているが、この恐れを払拭するためにも、彼にこれまでの出来事を解説してもらう必要がある。
遥は諦めたのか、吐息をついて頷いた。
「いいだろう。では、私に何を聞きたい?」
いざ問いかけられると、朱里は質問に戸惑ってしまう。とりあえず一番の疑問を口にした。
「先生は、いったいどういう人なんですか」
彼は綺麗な眼差しを伏せて答える。
「私は世界に禍をもたらす凶兆。そう言われている」
想像を絶する返答だった。朱里がどういう意味なのかと考えていると、彼は迷いなく続けた。
「君が私を信用できないのならそれでいい。私はただ君の望みを護るだけだ。君が幸せになれるのなら、それ以外のことは望んでいない」
「私の幸せって……」
どうにも会話が噛みあわない。だからと言って、遥が話をごまかしているとも思えなかった。
「君が理解できないのは仕方がない」
「先生。だから、理解できるように話してください」
「それは難しいだろうが。――そうだな。例えるなら、君は自分に強い呪いをかけた。そしてここに在る」
「自分に呪い? どうしてですか」
「残念ながら、その理由は私にもわからない。今は推測することしか出来ないが、きっと私のせいだろう」
「先生の?」
根拠の感じられない例え話を鵜呑みにするのもどうかと思うが、自分と彼が知り合いだったということだろうか。
「もしかして、それって前世が関わっているとか」
「前世? 全然関係がないが。どうして?」
「どうしてって。まるで私と先生が知り合いみたいな言い方をするから」
否定されると思っていたのに、遥は少し考えてから頷いた。
「君は覚えていないだけだ。私は君を知っている」
どんなに考えても記憶にないが、少しだけ何かが繋がるような気がした。朱里が覚えていないだけで、幼い頃に既に彼との出会いを果たしていたのかもしれない。遥はその頃の思い出を抱えていて、もしかすると朱里に対して負い目を感じるような出来事があったのだろうか。理事長や兄達を知っているのも教育に携わるためではなく、朱里がきっかけだったとしても不思議ではない。
朱里が完全に忘れてしまうような出来事。
彼はその贖罪のためにここに現れたのだろうか。
「じゃあ、先生は昔、私に何か申し訳のないことでもしたんですか。私は全然記憶にありませんけど、それで私に罪滅ぼしをしなければいけないと考えていて、だから幸せになってほしいと、そういうことですか」
「――そうだな。その通りだよ」
答える遥の声は自嘲的だった。朱里の目には、当時の出来事を思い出して、苦い思いに捕らわれているように見えた。
ようやく筋道が見えてくると、朱里にも後遺症だと思える心の働きがあった。自分の中にある理由のわからない不安と恐れ。その原因が記憶から失われてしまった遥との体験の中にあるのかもしれない。
心の深層に刷り込まれて、今まで引き摺っているのだとすれば、それはたしかにものすごい出来事だったのだろう。
朱里は更に麟華の戯言を思い返して、これも辻褄が合うと一人でパズルを組み立ててしまう。双子がこの事実を知っているのならば、麟華の示していた運命的な出会いだとか、好きになってほしい人というのは、遥のことに間違いないだろう。
一つの筋道を辿ることができると、全てが繋がっていくような気がした。
遥はこの世の法則の外にある何かと渡り合える力を持っているのだ。
(世界に禍をもたらす凶兆だと言われている)
異質な力が人々の目にどんなふうに映ったのか。朱里が幼い頃に鬼の娘だと囃し立てられた以上に、遥にも苦い体験があるのかもしれない。
さっきまでの出来事が嘘のように、廊下はいつもどおりひっそりとしていた。校庭から聞こえる部活動の喧騒だけが響いている。朱里は遥の腕から下ろされると、そのままへたりこんでしまいそうになって、再び彼に腕をつかまれた。
「おい、大丈夫か」
労わるようにかけられた声に、どう答えて良いのかもわからない。明らかに人ではない者が恐ろしいのか、呆気なく人を刺し貫く遥を恐れているのか。
立て続けに起きた出来事の全てが、この世の常識や法則では捉えきれない。
そんな状況にあって、決して動じることのない遥。
「先生は、何を知っているんですか」
彼に出会ってから全てが始まっているような気がする。一番恐れなければならないのは、学院の噂よりも、ありえない出来事よりも、彼自身なのかもしれない。
考えてみれば、それが一番自然に辿りつく結論だった。なのに、なぜか朱里は認めたくなかったのだ。自分の中に在る不自然な思い入れ。
それがどこに根ざしているのか。
(――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る)
あの夜に語られた言葉に、きっと捕らわれているのだ。
朱里は真っ直ぐ遥を見た。彼は朱里の考えを察したのか、浅く笑った。
「君が恐れるのも無理はないな」
遥は理科室の扉を開けて朱里を中へと促した。校庭側の大きな窓からは、夕刻の空が広がり始めていた。朱里が所在無く並ぶ席の一つにかけると、彼は窓際に立ってこちらを向いた。
「今の君には、何を話しても理解できないし、わからない」
「それは、……聞いてみないとわかりません」
これまでの体験を振り返れば、少々のことでは驚かない自信があった。今もタスケテと呟いていた女子生徒の姿が強く刻まれているが、この恐れを払拭するためにも、彼にこれまでの出来事を解説してもらう必要がある。
遥は諦めたのか、吐息をついて頷いた。
「いいだろう。では、私に何を聞きたい?」
いざ問いかけられると、朱里は質問に戸惑ってしまう。とりあえず一番の疑問を口にした。
「先生は、いったいどういう人なんですか」
彼は綺麗な眼差しを伏せて答える。
「私は世界に禍をもたらす凶兆。そう言われている」
想像を絶する返答だった。朱里がどういう意味なのかと考えていると、彼は迷いなく続けた。
「君が私を信用できないのならそれでいい。私はただ君の望みを護るだけだ。君が幸せになれるのなら、それ以外のことは望んでいない」
「私の幸せって……」
どうにも会話が噛みあわない。だからと言って、遥が話をごまかしているとも思えなかった。
「君が理解できないのは仕方がない」
「先生。だから、理解できるように話してください」
「それは難しいだろうが。――そうだな。例えるなら、君は自分に強い呪いをかけた。そしてここに在る」
「自分に呪い? どうしてですか」
「残念ながら、その理由は私にもわからない。今は推測することしか出来ないが、きっと私のせいだろう」
「先生の?」
根拠の感じられない例え話を鵜呑みにするのもどうかと思うが、自分と彼が知り合いだったということだろうか。
「もしかして、それって前世が関わっているとか」
「前世? 全然関係がないが。どうして?」
「どうしてって。まるで私と先生が知り合いみたいな言い方をするから」
否定されると思っていたのに、遥は少し考えてから頷いた。
「君は覚えていないだけだ。私は君を知っている」
どんなに考えても記憶にないが、少しだけ何かが繋がるような気がした。朱里が覚えていないだけで、幼い頃に既に彼との出会いを果たしていたのかもしれない。遥はその頃の思い出を抱えていて、もしかすると朱里に対して負い目を感じるような出来事があったのだろうか。理事長や兄達を知っているのも教育に携わるためではなく、朱里がきっかけだったとしても不思議ではない。
朱里が完全に忘れてしまうような出来事。
彼はその贖罪のためにここに現れたのだろうか。
「じゃあ、先生は昔、私に何か申し訳のないことでもしたんですか。私は全然記憶にありませんけど、それで私に罪滅ぼしをしなければいけないと考えていて、だから幸せになってほしいと、そういうことですか」
「――そうだな。その通りだよ」
答える遥の声は自嘲的だった。朱里の目には、当時の出来事を思い出して、苦い思いに捕らわれているように見えた。
ようやく筋道が見えてくると、朱里にも後遺症だと思える心の働きがあった。自分の中にある理由のわからない不安と恐れ。その原因が記憶から失われてしまった遥との体験の中にあるのかもしれない。
心の深層に刷り込まれて、今まで引き摺っているのだとすれば、それはたしかにものすごい出来事だったのだろう。
朱里は更に麟華の戯言を思い返して、これも辻褄が合うと一人でパズルを組み立ててしまう。双子がこの事実を知っているのならば、麟華の示していた運命的な出会いだとか、好きになってほしい人というのは、遥のことに間違いないだろう。
一つの筋道を辿ることができると、全てが繋がっていくような気がした。
遥はこの世の法則の外にある何かと渡り合える力を持っているのだ。
(世界に禍をもたらす凶兆だと言われている)
異質な力が人々の目にどんなふうに映ったのか。朱里が幼い頃に鬼の娘だと囃し立てられた以上に、遥にも苦い体験があるのかもしれない。
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