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第一話 天落の地
第2章:4 副担任
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自宅謹慎の日々を終えて、朱里は三日ぶりに登校した。昇降口で同じ処分を受けていた涼一の姿を見つける。駆け寄って声をかけると、彼は「おはよう」と手をあげた。
「おつとめ、ご苦労様でした」
朱里が茶化すと、彼は声を立てて笑う。
「お互い様だろ」
謹慎処分を受けた翌日、二人は電話やメールで互いの状況をやりとりしていた。涼一の両親は能天気で放任な保護者であるらしい。不始末については自己責任で挽回しろと言われたようだ。
「反省文が最悪だったよ」
涼一は顔をしかめているが、朱里もこの三日間は、ほぼそれにつきっきりだった。
「原稿用紙に三十枚だぜ。途中から自分のこれからの目標とか意欲とか、関係ないことを書いてごまかしたけど。天宮は? 電話ではかなり煮詰まっていたけど」
「うん。本当に苦労した。そんな長い作文とか書いたことなかったし。私も途中から内容が脱線しているよ。とにかく三十枚埋めたって感じ」
二人で謹慎中に与えられた課題について語り合いながら昇降口から廊下へ向かう。
「それから、電話で言っていた通り、あの夜の抜け道で起きたことはみんなには内緒ってことで頼むよ」
涼一の提案に朱里は頷いた。わざわざ不思議な体験を語って、再び噂に火をつけることもないという配慮である。
彼は飛ばされた衝撃で意識を失っていたため、現れた人影については知らなかった。朱里は電話で学院の関係者だったらしいと、簡単に説明をしていた。涼一はそれで納得したようだ。爆風の謎についても二人で想像を巡らせたが、結局答えは得られなかった。
「あとは彼方と口裏を合わせておけば完璧だな」
「そうだね。彼も懲りただろうし」
朱里は教室へ入ると真っ先に気掛かりだった彼方の席に目を向けた。この三日間彼とは連絡がつかなかったのだ。机の様子ではまだ登校していない。朱里がそこまで確かめた時には、周りにクラスメート達が寄り集まってきていた。
「委員長達、ごめん」
涼一と朱里を囲んで、次々に謝罪の言葉が投げられる。どうやら彼らは、首謀者として一番厳しい処分を下されたことを、申し訳なく思っているらしい。
戸惑う朱里の傍らで、涼一がすぐにその場をまとめてくれた。処分は公平だったと、彼は委員長として迷いのない声で級友を宥めている。
騒然としている状況はすぐに収集がついた。この三日間で禁忌の場所にまつわる学級内の噂はかなり落ち着いていたようだ。涼一が禁じられた場所にたどり着けなかったと事実だけを語ると、クラスメートはそれだけで全てが腑に落ちたらしい。
それ以上追求することもなく、すぐに次の話題に移る。
「それよりも、二人が休みの間に変わったことがあってさ」
「変わったことって?」
朱里が興味を持つと、友人たちは待っていましたと言わんばかりに口を開く。
「新しい先生が赴任してきた」
「そうなんだ」
教師の異動は珍しいが、それだけでは生徒が興味を持つ対象としては弱い。動じない朱里に、いつの間にか傍らにいた夏美が続ける。
「その先生ね、私達のクラスに副担任として来たの」
「副担任?」
学院の高等部には、副担任という形は導入されていない。朱里が目を丸くしていると、涼一が腕を組んで夏美を見た。
「それって、今回の事件でこのクラスに目をつけられたってことかな」
「たしかに、それはあるかもしれないね」
心から快諾できる理由ではないが、生徒を案じる学院側としては筋を通しているのだろう。クラスメート達も突然の副担任出現については、既にその見解で一致していたらしい。涼一の意見に驚く友人はいなかった。
「そっか」と吐息をつく朱里に、夏美は更に続ける。
「その副担任がまたすごいのよ」
「え?」
周りでは友人達が控えめに笑っている。新たな話題として、副担任は標的に最適だったようだ。どうやら禁忌の場所や鬼にまつわる好奇心が想像以上に落ち着いたのは、その新たに赴任してきた教師のおかげらしい。
生徒達の興味は常に新しいことに向けられているのだ。朱里は切り替えの早いクラスメートを興味深く眺める。どのような副担任なのか素直に気になった。
「説明するより見たほうが早いけれど。今時ありえないわよ」
夏美は副担任に呆れているようだが、朱里には全く見当がつかない。
「とにかく、朱里も見れば分かるわ。もう学級内朝礼が始まるし……」
夏美の台詞に重なるように朝の予鈴が鳴った。クラスメート達が素早く席に戻ると、見慣れた調子で担任が教室にやって来た。続いて見慣れない人影が教室に入ってくる。
朱里はその背の高い副担任らしい教師を見て、ぽかんと動きを止めた。
今時ありえないという夏美の台詞が脳裏をよぎる。
「では、出欠をとります」
担任が教壇に立ち、出席簿を広げた。副担任らしき教師は窓際でひっそりと佇んでいる。朱里は出欠を取る担任の声を聞きながら、傍らに立つ教師をそっと眺めていた。
長身を包むのは、今時珍しい白衣だった。しかも皺で寄れて格好良い着こなしとは言えない。着崩していると言うよりも、明らかにだらしない風体だった。
寝起きそのままではないかと思われるぼさぼさの頭。癖のある柔らかそうな髪質は全くまとまりをもたない。深めの茶髪は窓からの陽光を受けた部分だけが、明るい茶の縁取りで輝いていた。
極めつけは黒縁の大きな眼鏡だった。朱里とは違いレンズにはかなりの度が入っているのだろう。素顔を歪ませるほど渦を巻いている。おかげで見た目だけでは年齢が不詳だった。
「今日から学級委員の二人も出ているな。副担任から挨拶を兼ねて一言があります。……どうぞ」
担任に促されて、副担任の教師がふらりと教壇に立った。
「本日から学級委員が復活ということで」
朱里はハッとして教壇に立つ副担任に強い眼差しを向ける。その声には聞き覚えがあった。大きくはないのに、よく通る声。
確かにどこかで聞いたのだ。強烈な印象と共に刻まれた声。囁き。
(――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る――)
肌が粟立っていた。聞き間違えるはずがない、低く明瞭な発音。この上もなく耳に残っている。朱里は信じられない思いで、呆然と副担任を眺めていた。
どんなに見つめても、眼鏡の向こう側にある素顔を暴けない。同一人物だとは思えないが、大袈裟な位にだらしない様子が、逆にわざとらしい気もする。
「えー、宮迫君と天宮さんですね。初めまして、副担任を勤めることになりました黒沢遥です。教科は理科Ⅱを受け持っています。まだ分からないことが多いので、頼りにしています。よろし
く」
言い終えると、彼は軽く頭を下げて教壇を下りた。担任が連絡事項を伝えると、共に教室を後にした。
朱里は何がどう繋がるのか分からない。
禁忌の場所に繋がる抜け道で出会った誰か。あの出会いが現実であったのかも、今となっては自信が持てない。現れた人影は幻想的で現実味が希薄だった。
「朱里、副担任を見た感想は?」
隣の席の友人が、可笑しそうに朱里の反応を眺めていた。朱里は考えがまとまらないまま、ただ「驚いた」と呟いた。ぼんやりと空席のままの彼方の机を眺めて、ずれてもいない眼鏡を指で押し上げていた。
「おつとめ、ご苦労様でした」
朱里が茶化すと、彼は声を立てて笑う。
「お互い様だろ」
謹慎処分を受けた翌日、二人は電話やメールで互いの状況をやりとりしていた。涼一の両親は能天気で放任な保護者であるらしい。不始末については自己責任で挽回しろと言われたようだ。
「反省文が最悪だったよ」
涼一は顔をしかめているが、朱里もこの三日間は、ほぼそれにつきっきりだった。
「原稿用紙に三十枚だぜ。途中から自分のこれからの目標とか意欲とか、関係ないことを書いてごまかしたけど。天宮は? 電話ではかなり煮詰まっていたけど」
「うん。本当に苦労した。そんな長い作文とか書いたことなかったし。私も途中から内容が脱線しているよ。とにかく三十枚埋めたって感じ」
二人で謹慎中に与えられた課題について語り合いながら昇降口から廊下へ向かう。
「それから、電話で言っていた通り、あの夜の抜け道で起きたことはみんなには内緒ってことで頼むよ」
涼一の提案に朱里は頷いた。わざわざ不思議な体験を語って、再び噂に火をつけることもないという配慮である。
彼は飛ばされた衝撃で意識を失っていたため、現れた人影については知らなかった。朱里は電話で学院の関係者だったらしいと、簡単に説明をしていた。涼一はそれで納得したようだ。爆風の謎についても二人で想像を巡らせたが、結局答えは得られなかった。
「あとは彼方と口裏を合わせておけば完璧だな」
「そうだね。彼も懲りただろうし」
朱里は教室へ入ると真っ先に気掛かりだった彼方の席に目を向けた。この三日間彼とは連絡がつかなかったのだ。机の様子ではまだ登校していない。朱里がそこまで確かめた時には、周りにクラスメート達が寄り集まってきていた。
「委員長達、ごめん」
涼一と朱里を囲んで、次々に謝罪の言葉が投げられる。どうやら彼らは、首謀者として一番厳しい処分を下されたことを、申し訳なく思っているらしい。
戸惑う朱里の傍らで、涼一がすぐにその場をまとめてくれた。処分は公平だったと、彼は委員長として迷いのない声で級友を宥めている。
騒然としている状況はすぐに収集がついた。この三日間で禁忌の場所にまつわる学級内の噂はかなり落ち着いていたようだ。涼一が禁じられた場所にたどり着けなかったと事実だけを語ると、クラスメートはそれだけで全てが腑に落ちたらしい。
それ以上追求することもなく、すぐに次の話題に移る。
「それよりも、二人が休みの間に変わったことがあってさ」
「変わったことって?」
朱里が興味を持つと、友人たちは待っていましたと言わんばかりに口を開く。
「新しい先生が赴任してきた」
「そうなんだ」
教師の異動は珍しいが、それだけでは生徒が興味を持つ対象としては弱い。動じない朱里に、いつの間にか傍らにいた夏美が続ける。
「その先生ね、私達のクラスに副担任として来たの」
「副担任?」
学院の高等部には、副担任という形は導入されていない。朱里が目を丸くしていると、涼一が腕を組んで夏美を見た。
「それって、今回の事件でこのクラスに目をつけられたってことかな」
「たしかに、それはあるかもしれないね」
心から快諾できる理由ではないが、生徒を案じる学院側としては筋を通しているのだろう。クラスメート達も突然の副担任出現については、既にその見解で一致していたらしい。涼一の意見に驚く友人はいなかった。
「そっか」と吐息をつく朱里に、夏美は更に続ける。
「その副担任がまたすごいのよ」
「え?」
周りでは友人達が控えめに笑っている。新たな話題として、副担任は標的に最適だったようだ。どうやら禁忌の場所や鬼にまつわる好奇心が想像以上に落ち着いたのは、その新たに赴任してきた教師のおかげらしい。
生徒達の興味は常に新しいことに向けられているのだ。朱里は切り替えの早いクラスメートを興味深く眺める。どのような副担任なのか素直に気になった。
「説明するより見たほうが早いけれど。今時ありえないわよ」
夏美は副担任に呆れているようだが、朱里には全く見当がつかない。
「とにかく、朱里も見れば分かるわ。もう学級内朝礼が始まるし……」
夏美の台詞に重なるように朝の予鈴が鳴った。クラスメート達が素早く席に戻ると、見慣れた調子で担任が教室にやって来た。続いて見慣れない人影が教室に入ってくる。
朱里はその背の高い副担任らしい教師を見て、ぽかんと動きを止めた。
今時ありえないという夏美の台詞が脳裏をよぎる。
「では、出欠をとります」
担任が教壇に立ち、出席簿を広げた。副担任らしき教師は窓際でひっそりと佇んでいる。朱里は出欠を取る担任の声を聞きながら、傍らに立つ教師をそっと眺めていた。
長身を包むのは、今時珍しい白衣だった。しかも皺で寄れて格好良い着こなしとは言えない。着崩していると言うよりも、明らかにだらしない風体だった。
寝起きそのままではないかと思われるぼさぼさの頭。癖のある柔らかそうな髪質は全くまとまりをもたない。深めの茶髪は窓からの陽光を受けた部分だけが、明るい茶の縁取りで輝いていた。
極めつけは黒縁の大きな眼鏡だった。朱里とは違いレンズにはかなりの度が入っているのだろう。素顔を歪ませるほど渦を巻いている。おかげで見た目だけでは年齢が不詳だった。
「今日から学級委員の二人も出ているな。副担任から挨拶を兼ねて一言があります。……どうぞ」
担任に促されて、副担任の教師がふらりと教壇に立った。
「本日から学級委員が復活ということで」
朱里はハッとして教壇に立つ副担任に強い眼差しを向ける。その声には聞き覚えがあった。大きくはないのに、よく通る声。
確かにどこかで聞いたのだ。強烈な印象と共に刻まれた声。囁き。
(――君が望むのなら、私は全身全霊をかけて護る――)
肌が粟立っていた。聞き間違えるはずがない、低く明瞭な発音。この上もなく耳に残っている。朱里は信じられない思いで、呆然と副担任を眺めていた。
どんなに見つめても、眼鏡の向こう側にある素顔を暴けない。同一人物だとは思えないが、大袈裟な位にだらしない様子が、逆にわざとらしい気もする。
「えー、宮迫君と天宮さんですね。初めまして、副担任を勤めることになりました黒沢遥です。教科は理科Ⅱを受け持っています。まだ分からないことが多いので、頼りにしています。よろし
く」
言い終えると、彼は軽く頭を下げて教壇を下りた。担任が連絡事項を伝えると、共に教室を後にした。
朱里は何がどう繋がるのか分からない。
禁忌の場所に繋がる抜け道で出会った誰か。あの出会いが現実であったのかも、今となっては自信が持てない。現れた人影は幻想的で現実味が希薄だった。
「朱里、副担任を見た感想は?」
隣の席の友人が、可笑しそうに朱里の反応を眺めていた。朱里は考えがまとまらないまま、ただ「驚いた」と呟いた。ぼんやりと空席のままの彼方の机を眺めて、ずれてもいない眼鏡を指で押し上げていた。
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