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第一話 天落の地

第1章:1 待ち合わせ

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 朱里あかりの通う学校は、辺りでは名の通った私立学院である。幼等部から大学院まで揃っており、現在、朱里の在籍している高等部は自由で穏やかな校風だった。 
 それでも小等部、中等部と厳しく躾けられてきた持ち上がりの学生は、目に余るほど羽目を外すこともなかった。 

 けれど、今夜ばかりは話が違う。同級生達は純粋な好奇心から、とんでもない悪事を企てているのだ。 
 時刻はもうすぐ午後八時に差し掛かろうとしている。 
 企てた同級生達は用意周到である。今夜の計画は学院の警備システムの調査から始まっているのだ。 
 朱里はすっかり日の暮れた校庭の片隅で、暗い顔をして立ち尽くしていた。気が気でなく、思わず探検隊が集合する場所に一番乗りしている。 

(まるで、これじゃ私がはりきっているみたい)

 この企てが計画されてから、朱里は何度自分の性格を呪ったか判らない。 
 聳え立つ見慣れた校舎は、昼間とは別の様相を呈している。同じ建物なのかと疑いたくなるくらい恐ろしげに迫っていた。暗闇に浮かび上がる校舎を眺めていると、窓際に有り得ない人影を見てしまいそうな気がして、朱里はすぐに視線を逸らした。 

 その時。 
 すっと肩に手の触れる気配がした。朱里は短く悲鳴をあげて、びくりと肩を上下させる。 

「委員長、声が大きいよ」 
「び、びっくりした」 

 校庭の片隅にいることが心細くなった矢先に、そんな現れ方をしないでほしい。朱里は大きく息をついて、やって来た生徒と向かい合った。 

「楽しみだね、委員長」 

 精悍な顔立ちに屈託のない笑みが浮かんだ。 
 焦げ茶の髪に碧眼を持った、浅黒い肌の男子生徒。闇の中にあっても、明るい瞳だけが不思議な色合いで浮かび上がっている。 

「私は楽しくないんだけど」 

 朱里が素直に告げると、彼は悪戯っぽく笑って肩をすくめて見せた。新学期が始まってから、同じ学級に編入してきた海外留学生である。名を彼方かなた=グリーンゲートと言う。 
 朱里が訊いたこともないような国の出身で、両親のどちらかが日本人ということらしい。母国では王族に仕えるような高い家柄の生まれであるらしかった。 

 彼の人懐こい笑顔を見て、朱里はふと彼が諸悪の根源であったことを思い出した。異国からやって来た留学生は、なぜか昔の神話や言い伝えに造詣が深い。結果として、学院の鬼の噂を耳にして強く興味を示したのだ。 

 鬼の巣窟そうくつと噂される場所に踏み込むという発想は、間違いなく彼の興味が発端だろう。思わず恨みがましい眼差まなざしで彼を見てしまう。 

「委員長はどうしてメガネをかけているの? それ、レンズに度が入っていないよね」 

 簡単に言い当てられて朱里は戸惑う。どう答えていいのか判らずうろたえていると、背後で聞きなれた声がした。 

「あのね、朱里は自分の瞳の色が嫌いなの。小さい頃、からかわれて嫌な思いをしたから」 

 的確に事実を伝えたのは、幼等部からの友人である川瀬夏美かわせ なつみだった。小柄で色白で、少しおっとりとした動作には、まだ少しだけ少女の頃の面影が残っている。 

「――夏美」 

 朱里は気心の知れた友人の登場にほっとして、思わず肩の力が抜ける。 

「綺麗な瞳の色をしているのに、もったいないね」 
 彼方は朱里に近づいて、何のためらいもなく眼鏡に手をかけた。 
「ちょっと」 
 朱里が声をあげると、彼は指先でメガネをくるくると弄びながら、朱里の素顔を眺めた。 

「委員長は美人なのに、どうして隠すの?」 

 人懐こい笑顔で、彼は臆面もなく言う。朱里は頬が熱くなるのを感じだか、すぐに彼が弄んでいる眼鏡を奪い返した。 

「冗談はいいから、返して。とにかく、眼鏡をしていないと落ち着かないの」 
「ふうん。もったいない」 

 素直な感想が可笑しかったらしく、夏美が横で控えめに笑っている。朱里は携帯電話で時間を確かめた。あと五分もすれば約束の時間になる。 
 今夜の計画で立ち入り禁止区域に向かう探検隊は三名に決定していた。朱里と彼方と、あと一名である。 

 夏美はこの場所で見張りを兼ねた連絡係として留まる役割だった。校庭内にはそういう役割の生徒が決められた場所で潜んでいるのだ。もしもの時にはすぐに携帯電話で連絡が入る。学院内の見回りに対して、万全の警戒態勢が敷かれていた。 
 朱里はふと名案を思いついて、さっそく彼方と夏美に提案してみた。 

「私も夏美とここで見張り番をやっていようかな。夏美もこんな処に独りぼっちなんて、心細いでしょ?」 
 我ながらうまい回避作戦だと思ったが、夏美はあどけない笑顔でぴしゃりと答えた。 
「私は平気よ。幽霊なんて信じていないし、鬼が出たって怖くないわ。一人で真っ暗な校舎の中を歩いてみてもいいくらいよ」 

 顔に似合わず肝の据わった性格である。朱里は「でも」と挫けずに彼方に目を向ける。 

「でもね、私なんかが彼方達と一緒にいっても足手まといだと思うのよ」 
「そんなことないよ、委員長。二人より三人の方が心強い」 

 次々と提案を却下されて、朱里はがっくりと肩を落とす。 

「朱里ったら、諦めが悪いわね」 

 夏美は他人事のように笑っている。朱里にはもはや返す言葉がない。大袈裟に溜息をつくことしかできなかった。 

「あれ? もしかして俺が最後? もうみんな揃っているんだな」 

 時刻が八時になったとき、ようやく最後の生徒が合流した。 
 微笑む夏美に見送られながら、三人が立ち入り禁止区域へと向かう。 

(どうして、私が……) 

 朱里は「はぁ」と重い溜息をついた。恐れに竦む思いを奮い立たせて、闇に沈む校庭を進んだ。
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