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第十章:ディオンの想い、ルシアの願い
49:眩い火(ヴァルハラ)の終わり
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体中が温かな光に包まれていくのに、目の前で繰り広げられる光景は凄絶だった。
動かなければならないのに、ルシアはその場に縫い付けられたように動くことができない。
心が追いつかない。ただ全身がガタガタと震える。
バキバキと、木の割れるような乾いた音が響いてやまない。耳障りで、心をえぐるように不快な音。
数え切れないほどの真っ黒な形骸が、ディオンの身をつき破りすぐに人影は失われた。無数の形骸が大木の梢のように絡み合い、天をめがけて無限に伸びて行く。
「ディオン!」
ヴァンスが先端に追いつこうと翼を広げ飛び上がったが、大木のようなディオンの形骸の勢いには追いつけず、空中で項垂れたように浮遊している。
何が起きたのかわからないルシアの腕を、ぎゅうっと握る熱があった。
「ルシア様!」
クルドが泣きながら抱きついてきた。アルヴィもルシアに縋り付いてくる。二人とも嗚咽で声が途切れて、意味のある言葉にならない。
形骸が編み上げるように育つ巨木は、流れるように幹を流動させ、見ることが叶わない天へと伸び続けている。
「ディオン様!」
姿は失われているのに、まるでディオンがもがき苦しんでいるように見えて、ルシアは動きを止められないかと腕を伸ばす。
触れようとしても、勢いに弾かれるだけだった。体ごと吹き飛ばされるような激しさで拒絶される。
「ーーディオン様」
くじけずになんども取り縋り、どうにか彼を取り戻すことが来ないかと繰り返すが、結果は同じだった。ルシアには成す術がない。
やがて、世界が突然閃光に包まれた。
「!ーー」
ルシアは思わず目を閉じて手を翳す。
上空で同じように打開策を模索していたヴァンスが、閃光を浴びて光から逃げるように降りてくる。やがて少しずつ緩やかな光となり、魔王の丘の霧を払うように温かなものに変化した。
世界の輪郭が柔らかくなったと錯覚するほどに、光が優しく降り注ぐ。人界の木漏れ日のようだった。
まるで頂上にだけ許されていた光が別たれ、いくつもの光が世界を満遍なく照らしているように暖かい。
「眩い火が……」
天を仰いだまま、呆然とした面持ちでヴァンスが呟く。乾いた声は、かすれて途切れた。
ルシアにも世界を照らす光が変容したのがわかる。
ディオンが成し遂げた証だった。
「あーー」
天をめがけて伸びた形骸の動きが止まっている。幾重にも絡み合うようにして形作られていた真っ黒な巨木。
編まれたように絡むささくれた枝葉は巨大な一本の幹となり、天へと繋がっている。
動かない。
永い時をかけて根をはった大木のようだった。
ルシアは手を伸ばして縋り付く。
「……っ」
あたたかい。ディオンの温もりを思い出す。
「ディオン様!」
しがみつくように身を寄せていると、だんだんと温もりが失われていく。鮮やかに感じるほどの純粋な黒色が、まるで干からびていくように色褪せる。ひび割れて砕け散りそうな危うさが滲み出した。
まるで死に絶えていく様を見せつけられているように。
「ディオン、様?」
(ーー私の愛しい女神)
「あ、ああーー」
ルシアはひたすら巨木に縋り付く。眼を閉じると、かすかに彼の香りが残っているような気がした。
ディオンの声が蘇る。
(この道の先に私はいない。ーー許してほしい)
「そんな……」
ずっと燻っていた不安の正体が明らかになった。信じたくない。この道の先に彼がいないこと。
それだけは絶対に受け入れられない。
「嫌です! 絶対に嫌! ディオン様!」
これが最後の創生の試練だというのだろうか。ディオンのいない世界で、人界の再興を果たせと。
背中に輝く六枚の有翼。皮肉なほど力に満ちている。けれど、無力だった。
泣き崩れるルシアに、アルヴィが懇願するように訴える。
「……ディオン様は、戻ってきますよね?」
「ーーアルヴィ」
「だって、僕が一人前になるまで、一緒にいてくれるって……」
約束をしたと言う声が嗚咽に変わる。
「……、ディオンさま」
古木のようにそびえるだけの大きな幹に、アルヴィも小さな手を伸ばす。抱きついて何度もディオンを呼んだ。クルドも身を寄せて歯を食いしばっている。
乾いてひび割れそうな幹に、涙の染みが滲む。
「アルヴィ、クルド」
あまりにもひどい終止符だった。
ルシアが幼い二人と身を寄せ合って嘆くことしかできないでいると、すぐ近くで聞き慣れた声が響く。
ーー創生の女神。
ルシアは涙に濡れた顔をあげる。声の主を探すが、期待した人影は見えない。
「古き者?」
ーー気づかないか? まだ道が残されていることに。
「え?」
ディオンの残した道以外に、何を選びとれると言うのか。今さら何を選んでも、どんな道を進んでも一番望むものを取り戻すことはできない。この道の先にディオンはいない。
彼は眩い火に抗い、成し遂げた。
破滅と創生の宿命を終わらせ、人界の夢が続いてゆく世界をもたらした。
ーー残された最後の創生。その力に何を望むのか。
ルシアは自身の翼に触れる。白く輝く翼。
かつて天界で破滅に選ばれ、与えられた創生。人知を超え、神をも超えた、大きな力。
この力に何を望むのか。ディオンは人界の再興を望んだ。肥沃な大地を蘇らせることを。
「私はーー」
ルシアは泣きじゃくるアルヴィとクルドを見つめる。
愛しい二人がそばにいる。最果てには、もっとたくさんの人々がいるだろう。
「私の望み--」
古き者の言葉を理解する。覚悟を決めると、胸に希望の火が灯る。それはすぐに眩い輝きになって、ルシアの進む道を示した。
望むことはただ一つ。
もう後悔はしたくない。嘆いているだけの弱さは繰り返さない。希望があるのなら、手を伸ばして触れてみせる。
だからこそ、ディオンの願いを叶えることは、どうしてもできない。
抜け殻のように色あせた巨木に、手を伸ばして身を寄せた。
「ディオン様、ーーどうか、私のそばにいてください」
ルシアは初めて、泣いて縋った。
動かなければならないのに、ルシアはその場に縫い付けられたように動くことができない。
心が追いつかない。ただ全身がガタガタと震える。
バキバキと、木の割れるような乾いた音が響いてやまない。耳障りで、心をえぐるように不快な音。
数え切れないほどの真っ黒な形骸が、ディオンの身をつき破りすぐに人影は失われた。無数の形骸が大木の梢のように絡み合い、天をめがけて無限に伸びて行く。
「ディオン!」
ヴァンスが先端に追いつこうと翼を広げ飛び上がったが、大木のようなディオンの形骸の勢いには追いつけず、空中で項垂れたように浮遊している。
何が起きたのかわからないルシアの腕を、ぎゅうっと握る熱があった。
「ルシア様!」
クルドが泣きながら抱きついてきた。アルヴィもルシアに縋り付いてくる。二人とも嗚咽で声が途切れて、意味のある言葉にならない。
形骸が編み上げるように育つ巨木は、流れるように幹を流動させ、見ることが叶わない天へと伸び続けている。
「ディオン様!」
姿は失われているのに、まるでディオンがもがき苦しんでいるように見えて、ルシアは動きを止められないかと腕を伸ばす。
触れようとしても、勢いに弾かれるだけだった。体ごと吹き飛ばされるような激しさで拒絶される。
「ーーディオン様」
くじけずになんども取り縋り、どうにか彼を取り戻すことが来ないかと繰り返すが、結果は同じだった。ルシアには成す術がない。
やがて、世界が突然閃光に包まれた。
「!ーー」
ルシアは思わず目を閉じて手を翳す。
上空で同じように打開策を模索していたヴァンスが、閃光を浴びて光から逃げるように降りてくる。やがて少しずつ緩やかな光となり、魔王の丘の霧を払うように温かなものに変化した。
世界の輪郭が柔らかくなったと錯覚するほどに、光が優しく降り注ぐ。人界の木漏れ日のようだった。
まるで頂上にだけ許されていた光が別たれ、いくつもの光が世界を満遍なく照らしているように暖かい。
「眩い火が……」
天を仰いだまま、呆然とした面持ちでヴァンスが呟く。乾いた声は、かすれて途切れた。
ルシアにも世界を照らす光が変容したのがわかる。
ディオンが成し遂げた証だった。
「あーー」
天をめがけて伸びた形骸の動きが止まっている。幾重にも絡み合うようにして形作られていた真っ黒な巨木。
編まれたように絡むささくれた枝葉は巨大な一本の幹となり、天へと繋がっている。
動かない。
永い時をかけて根をはった大木のようだった。
ルシアは手を伸ばして縋り付く。
「……っ」
あたたかい。ディオンの温もりを思い出す。
「ディオン様!」
しがみつくように身を寄せていると、だんだんと温もりが失われていく。鮮やかに感じるほどの純粋な黒色が、まるで干からびていくように色褪せる。ひび割れて砕け散りそうな危うさが滲み出した。
まるで死に絶えていく様を見せつけられているように。
「ディオン、様?」
(ーー私の愛しい女神)
「あ、ああーー」
ルシアはひたすら巨木に縋り付く。眼を閉じると、かすかに彼の香りが残っているような気がした。
ディオンの声が蘇る。
(この道の先に私はいない。ーー許してほしい)
「そんな……」
ずっと燻っていた不安の正体が明らかになった。信じたくない。この道の先に彼がいないこと。
それだけは絶対に受け入れられない。
「嫌です! 絶対に嫌! ディオン様!」
これが最後の創生の試練だというのだろうか。ディオンのいない世界で、人界の再興を果たせと。
背中に輝く六枚の有翼。皮肉なほど力に満ちている。けれど、無力だった。
泣き崩れるルシアに、アルヴィが懇願するように訴える。
「……ディオン様は、戻ってきますよね?」
「ーーアルヴィ」
「だって、僕が一人前になるまで、一緒にいてくれるって……」
約束をしたと言う声が嗚咽に変わる。
「……、ディオンさま」
古木のようにそびえるだけの大きな幹に、アルヴィも小さな手を伸ばす。抱きついて何度もディオンを呼んだ。クルドも身を寄せて歯を食いしばっている。
乾いてひび割れそうな幹に、涙の染みが滲む。
「アルヴィ、クルド」
あまりにもひどい終止符だった。
ルシアが幼い二人と身を寄せ合って嘆くことしかできないでいると、すぐ近くで聞き慣れた声が響く。
ーー創生の女神。
ルシアは涙に濡れた顔をあげる。声の主を探すが、期待した人影は見えない。
「古き者?」
ーー気づかないか? まだ道が残されていることに。
「え?」
ディオンの残した道以外に、何を選びとれると言うのか。今さら何を選んでも、どんな道を進んでも一番望むものを取り戻すことはできない。この道の先にディオンはいない。
彼は眩い火に抗い、成し遂げた。
破滅と創生の宿命を終わらせ、人界の夢が続いてゆく世界をもたらした。
ーー残された最後の創生。その力に何を望むのか。
ルシアは自身の翼に触れる。白く輝く翼。
かつて天界で破滅に選ばれ、与えられた創生。人知を超え、神をも超えた、大きな力。
この力に何を望むのか。ディオンは人界の再興を望んだ。肥沃な大地を蘇らせることを。
「私はーー」
ルシアは泣きじゃくるアルヴィとクルドを見つめる。
愛しい二人がそばにいる。最果てには、もっとたくさんの人々がいるだろう。
「私の望み--」
古き者の言葉を理解する。覚悟を決めると、胸に希望の火が灯る。それはすぐに眩い輝きになって、ルシアの進む道を示した。
望むことはただ一つ。
もう後悔はしたくない。嘆いているだけの弱さは繰り返さない。希望があるのなら、手を伸ばして触れてみせる。
だからこそ、ディオンの願いを叶えることは、どうしてもできない。
抜け殻のように色あせた巨木に、手を伸ばして身を寄せた。
「ディオン様、ーーどうか、私のそばにいてください」
ルシアは初めて、泣いて縋った。
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