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第九章:魔王となった理由
45:邪悪とつながる心
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「過去に何があったのか、私に本当のことをお話しください」
ルシアが取り乱した心を何とか整えると、ディオンの手が右眼を飾る金細工から離れた。ひとまず邪悪の影響がなくなったのだと、ルシアはそっと安堵する。
危機感が去ったのか、ディオンも落ち着いた様子でこちらを見つめている。
「何か思い出したのか」
「いいえ。私が記憶を取り戻せないことは、ディオン様が一番ご存知のはずです」
ディオンの顔に何かを訝しむような色が浮かぶ。
「私の思い出はディオン様の中にあります。あなたの飼う邪悪の内に。ーー違いますか?」
「……古き者に会ったのか?」
「はい」
「その話を信じたのか?」
「古き者は、ただ昔話をして下さっただけです。そしてこの地底が天界の成れの果てであると、そう教えて下さっただけです」
「ーー昔話」
ディオンは腑に落ちたと言いたげに、額に手を当てた。ルシアは傍らのヨルムンドに体温に触れながら、怯まずに続ける。ヨルムンドの穏やかな鼓動が勇気をくれる気がした。
「邪悪を生むのは創生の悲嘆。ディオン様の飼う邪悪は、私が生み出したものだったのですね」
「……もしそうだとしても、おまえが気に病むことはない。私が間違えた結果だ」
「ディオン様が間違えた?」
「私が自分の力を過信して起きてしまった事だ。ヴァンスに天界の王位を譲った。その浅はかさが全てを招いた」
「どういう事でしょうか」
「おまえの悲嘆だけで邪悪が生まれたりはしない。それはただのきっかけであり、邪悪が力を伴うのは人界の絶望を喰うからだ。人界の悲劇がなければ邪悪にはなり得なかった。人界に破滅が下されるのを止められなかった私が悪い」
自分が悪いと言い切るディオンに、ルシアは不安が滲む。誰のせいにもしない。その姿勢に恐ろしさを感じる。全てを独りで背負ってたどり着く先で、彼の道が途切れている気がしたのだ。
いずれつかみ取る希望を、自分で確かめることを諦めている。そんな予感がして仕方がない。
「ディオン様はーー」
声が震えたが、ルシアは挫けずに続ける。
「ディオン様はご自分を犠牲にして成し遂げようとしているのではありませんか?」
彼の表情は動かない。何も読み取れない。
「人界が再興された時、そこにディオン様はいらっしゃるのですか? 今と変わらず私がお傍に寄ることはできますか?」
「もちろんだ」
躊躇いのない様子でディオンが微笑む。ルシアの不安を一笑に付すようにあっさりと受け流した。
「私はずっと傍にいる」
望んでいた答えを得てもルシアの不安は止まない。うしろめたさを感じさせないディオンの様子は自然で、疑うことが愚かにも思える。ルシアには真実を見抜くことができない。締め付けられるように不安が増す一方だった。
「信じていない顔だな」
「ーーそういうわけでは……」
「私がなぜ自分を犠牲にしてまで成し遂げる必要がある? おまえには私がそこまで献身的な人間に見えているのか。……まぁ、覚えていないが故の錯覚だろうが、その調子だと色々と期待を裏切ってしまうかもしれないな」
ディオンの赤い左目が、射抜くようにルシアを見る。
「残念だが私はそこまで優しくない。必要だと感じたら信頼を欺くこともためらわない」
「ーー……」
どうしても心に馴染まない。ルシアは話を戻した。
「ディオン様は、邪悪の正体を認めるのですね」
息を呑むような間があったが、ディオンは頷いた。
「そうだな。たしかに、これはおまえの心とつながっている。……だが、おまえが気に病むことはない」
金の細工で隠された右目に触れながら、穏やかな声が続けた。
「おかげで私を疑うおまえの気持ちも見逃さない」
複雑な胸の内を言い当てられて、ルシアは身じろぐ。
「全て私を案じてのことだ。おまえの想いは心地が良い。邪悪を飼うのも悪くはない」
「ディオン様……」
こみ上げる気持ちを殺して必死に取り繕っていたのに、すぐに視界が滲んだ。ヨルムンドに縋るよりも強く、ディオンに腕を伸ばした。
「私は心配でたまりません」
「ーー知っている」
「不安なのです」
「知っている」
何も弁明せず、ディオンはひたすら泣きじゃくるルシアの体を支えるように腕を回した。
ルシアが取り乱した心を何とか整えると、ディオンの手が右眼を飾る金細工から離れた。ひとまず邪悪の影響がなくなったのだと、ルシアはそっと安堵する。
危機感が去ったのか、ディオンも落ち着いた様子でこちらを見つめている。
「何か思い出したのか」
「いいえ。私が記憶を取り戻せないことは、ディオン様が一番ご存知のはずです」
ディオンの顔に何かを訝しむような色が浮かぶ。
「私の思い出はディオン様の中にあります。あなたの飼う邪悪の内に。ーー違いますか?」
「……古き者に会ったのか?」
「はい」
「その話を信じたのか?」
「古き者は、ただ昔話をして下さっただけです。そしてこの地底が天界の成れの果てであると、そう教えて下さっただけです」
「ーー昔話」
ディオンは腑に落ちたと言いたげに、額に手を当てた。ルシアは傍らのヨルムンドに体温に触れながら、怯まずに続ける。ヨルムンドの穏やかな鼓動が勇気をくれる気がした。
「邪悪を生むのは創生の悲嘆。ディオン様の飼う邪悪は、私が生み出したものだったのですね」
「……もしそうだとしても、おまえが気に病むことはない。私が間違えた結果だ」
「ディオン様が間違えた?」
「私が自分の力を過信して起きてしまった事だ。ヴァンスに天界の王位を譲った。その浅はかさが全てを招いた」
「どういう事でしょうか」
「おまえの悲嘆だけで邪悪が生まれたりはしない。それはただのきっかけであり、邪悪が力を伴うのは人界の絶望を喰うからだ。人界の悲劇がなければ邪悪にはなり得なかった。人界に破滅が下されるのを止められなかった私が悪い」
自分が悪いと言い切るディオンに、ルシアは不安が滲む。誰のせいにもしない。その姿勢に恐ろしさを感じる。全てを独りで背負ってたどり着く先で、彼の道が途切れている気がしたのだ。
いずれつかみ取る希望を、自分で確かめることを諦めている。そんな予感がして仕方がない。
「ディオン様はーー」
声が震えたが、ルシアは挫けずに続ける。
「ディオン様はご自分を犠牲にして成し遂げようとしているのではありませんか?」
彼の表情は動かない。何も読み取れない。
「人界が再興された時、そこにディオン様はいらっしゃるのですか? 今と変わらず私がお傍に寄ることはできますか?」
「もちろんだ」
躊躇いのない様子でディオンが微笑む。ルシアの不安を一笑に付すようにあっさりと受け流した。
「私はずっと傍にいる」
望んでいた答えを得てもルシアの不安は止まない。うしろめたさを感じさせないディオンの様子は自然で、疑うことが愚かにも思える。ルシアには真実を見抜くことができない。締め付けられるように不安が増す一方だった。
「信じていない顔だな」
「ーーそういうわけでは……」
「私がなぜ自分を犠牲にしてまで成し遂げる必要がある? おまえには私がそこまで献身的な人間に見えているのか。……まぁ、覚えていないが故の錯覚だろうが、その調子だと色々と期待を裏切ってしまうかもしれないな」
ディオンの赤い左目が、射抜くようにルシアを見る。
「残念だが私はそこまで優しくない。必要だと感じたら信頼を欺くこともためらわない」
「ーー……」
どうしても心に馴染まない。ルシアは話を戻した。
「ディオン様は、邪悪の正体を認めるのですね」
息を呑むような間があったが、ディオンは頷いた。
「そうだな。たしかに、これはおまえの心とつながっている。……だが、おまえが気に病むことはない」
金の細工で隠された右目に触れながら、穏やかな声が続けた。
「おかげで私を疑うおまえの気持ちも見逃さない」
複雑な胸の内を言い当てられて、ルシアは身じろぐ。
「全て私を案じてのことだ。おまえの想いは心地が良い。邪悪を飼うのも悪くはない」
「ディオン様……」
こみ上げる気持ちを殺して必死に取り繕っていたのに、すぐに視界が滲んだ。ヨルムンドに縋るよりも強く、ディオンに腕を伸ばした。
「私は心配でたまりません」
「ーー知っている」
「不安なのです」
「知っている」
何も弁明せず、ディオンはひたすら泣きじゃくるルシアの体を支えるように腕を回した。
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