魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

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第九章:魔王となった理由

42:古き者の気まぐれ

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「私が以前に見た姿とは違うようですが……」

 警戒心を解けずにいると、現れた人影は笑う。

「異形の姿がお望みか?」

 微笑みながら古き者ブーリンを名乗る人影が、まるで見せつけるようにすっと手を掲げた。見る間に繊細な指先が毛皮に覆われ隆起し、爪が長く伸びる。

「の、望んでいません」

「だから気を遣ってやったのだ」

 可笑しそうに笑いながら、古き者ブーリンが異形に変化した手を元に戻した。何の悪戯なのかと目を瞠るルシアを、じっと美しい碧眼が見つめている。

「女神の呼びかけに力が伴いはじめた。力も満ちたようだな。もう我が守ることもあるまい」

 古き者ブーリンは微笑みを浮かべながら石像に背を預けて、自身の長い髪を指先で絡め取る。ゆるく癖のある金髪は色が深い。

「おまえはもうあの男を疑ってはいないようだが、ーーなぜ今さら我を呼ぶ?」

 ルシアを心の内を言い当て、絡め取った頭髪の一束を指先から解いた。そこに実体があるように、古き者ブーリンの姿は以前よりも明瞭に映る。ルシアは大きく息をついて心を落ち着けた。

「あなたにお聞きしたいことがあります」

「我にか?」

「ディオン様のことです」

 古き者ブーリンはふっと吐息をついて姿勢を正す。もたれかかっていた石像を見上げて何かを考えているようだ。

「我はあまり語りたくない。しかし、おまえの質問にもよる」

「では、あなたはディオン様をご存知なのですか?」

「ーー答えたくない」

「……ディオン様はあなたのことをご存知のようでしたが」

 古き者ブーリンは美しい容姿のまま、じっとルシアを見つめる。

「おまえが本当に知りたいことは何だ?」

 当たり障りのない問いかけは望んでいないと言いたげだった。改めて聞かれると躊躇ってしまうが、ルシアはまっすぐ答えた。

「ディオン様は本当に大丈夫なのでしょうか」

 どうやら古き者ブーリンにはそれで伝わったらしい。美しい顔に面白がるような笑みが浮かぶ。

「答えたくない」

 期待とは裏腹に古き者ブーリンは口を閉ざす。ルシアが何も言えずにいると、彼は緩やかな癖をもつ金髪を閃かせながら周辺を見回し、石で作られた長椅子を指さす。

「しかし、せっかく我を呼んでくれたのだ。面白い話を聞かせてやろう」

「面白い話?」

 何のためらいもなくルシアの前を通り過ぎ、彼は見つけた長椅子に腰かける。長い脚を組むと、再び面白そうな笑みを浮かべてルシアを手招きした。

「昔話を聞かせてやる。そして自分で考えてみればいい」

 隣に座れるほど心を緩めることはできない。少し歩み寄るだけに留めて、ルシアは古き者ブーリンの様子を窺う。彼は警戒するルシアに気を悪くする様子もなく語り始めた。

「はるか昔の話だが、一人の男のことを教えてやろう」

「一人の男?」

「適当に思い描くがいい。神に与えられた力で覇者となり、世界を治めた男の話だ」

「それはーー」

 一瞬ディオンのことではないかと思えたが、ルシアは深く追求することを避けた。せっかく何かを聞かせてくれるのだ。古き者ブーリンの気が変わらないように口を閉ざす。

「男には愛する女があった。美しいと名高い双子の妹。心の繋がった姉を慕う優しい女だった」

「!?」

 さらに自分達に重なる情報が、古き者ブーリンの語る男の正体を示している気がする。

「それはディオン様のお話でしょうか」

 思わず反応すると古き者ブーリンは心得ていたとばかりに嗤う。ルシアが怪訝な目を向けても、古き者ブーリンは動じる様子もない。

「我はさっき答えたくないと言った」

「ですが、それではまるで私達と……」

 同じだという言葉をルシアは濁す。古き者ブーリンは小さく声をあげて笑った。

「心配せずともおまえ達の話ではない」

 はっきりとした否定だった。滑稽な想像だと笑う古き者ブーリンの様子に、ルシアは何も言わず頷いた。

「さて、おまえ達とは異なる双子の姉妹の話だが。それが後々大変な厄災を招く……」

 何か思うことでもあるのか、古き者ブーリンが視線を伏せた。自嘲するような微笑みに変わっている。

「大変な厄災とは?」

 ルシアの問いには答えず、古き者ブーリンはすぐに心の底の読めない微笑を取り戻した。

「男の話を続けようか。ーー男は何の問題もなく世界を治めたが、やがて神は男の住む世界とは異なる、もう一つの世界を作った。そして男の治める世界を天界トロイ。もう一つの世界を人界ヨルズと呼ぶようになる。しかし、長い時を過ごすうちに人界ヨルズの者は天界トロイを羨み、天界トロイの者は人界ヨルズを蔑み、終わりのない争いが起きた。そして、ついに神の逆鱗に触れる。世界に鉄槌が下された」

「それは、いつのお話ですか? 天界トロイ人界ヨルズが争うなんてーー」

 ディオンの理想とはかけ離れている。語られる男の正体から面影を見失い、ルシアは戸惑った。
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