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第七章:昔日に重なる日々
35:決して裏切らない
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ディオンが見守っていると、彼女は白い手をゆっくりとヨルムンドの黒い鼻先に差し出す。ヒクヒクと匂いを確かめるように髭が動いたが、ヨルムンドには噛み付くような凶暴さはない。
「触らせてくださいね」
おそるおそるヨルムンドの顎を辿るようにして、ルシアは深い毛色を帯びた首筋に手を添わせた。ディオンよりも優しげな手つきで、美しい毛並みを梳くように撫でる。柔らかいがハリのある体毛が、彼女に撫でつけられて艶をましたように見えた。
大人しく身を任せる魔獣に、ルシアの顔が自然に綻んだ。鼓動を刻む体温に触れて、魔獣への恐れが完全に遠ざかったようだ。
「綺麗な毛並み。柔らかい。そして、とても温かい」
ルシアのうっとりとした声に応えるように、ぐうっとヨルムンドの喉が鳴った。ルシアがよろめきそうな勢いでヨルムンドがぐいぐいと顔をこすりつけている。ヨルムンドの力に戸惑っている華奢な体を支えるために、ディオンがルシアを抱きよせるように腕を伸ばした。
「私よりルシアに撫でられる方が気持ちが良いみたいだな」
「え? 本当ですか?」
グウゥグルルゥと低くうなるように、繰り返しヨルムンドの喉が鳴っているのがわかる。自分への警戒が溶けたことを理解したのか、ルシアはさらにヨルムンドに近づき首筋を抱くように細い腕をまわした。彼女が長い体毛をかき分けるように撫でると、ますますヨルムンドの喉が鳴る。凶悪に見えるはずの赤い眼に、喜びに満ちた愛嬌が光っていた。
「あなたは、良く見ると可愛い顔をしているのですね」
ルシアも同じ感想を抱いたのか、ヨルムンドに笑いかけている。
ヨルムンドがぐうぅと応えるように低くうなった。大きな尾が風を起こしそうな勢いで、ぶんぶんと勢いよく振られている。
「ルシア。退屈なら、これからはヨルムンドの相手をしてくれないか?」
「良いのですか?」
嬉しそうにディオンを振り返った顔には、ヨルムンドへの恐れや警戒は跡形もない。
「ああ。こんな凶悪な顔をして寂しがり屋なところがある」
「では私と同じですね」
「おまえと?」
「あっ」と声をあげてルシアが視線を泳がせる。どうやら勢いで口にしてしまったのか、瞬く間に頰が赤く染まった。
「い、いえ。なんでもありません。私にはクルドもいますし。ディオン様もおいでになります。決して寂しいわけでは‥‥‥」
「――……」
ディオンの脳裏で、突如こみ上げた昔日の光景が重なる。
変わらない。
全てを忘れても、彼女は決して変わらない。
去来した思い出に焼かれるような痛みが駆け抜ける。決して取り戻せない情景。
耐えるようにディオンはルシアを抱き寄せた。
「知っている」
「え?」
「おまえが強がりなことは……」
「あの、ですから私は寂しいわけでは――」
「そういう時は素直に言えばいい。おまえは昔から滅多に我侭を言わない」
「ですから、寂しくなどありません!」
ディオンは焦げ付きそうな愛しさを殺す。感傷は何も生まない。これからの妨げになるだけだった。昔日の面影を振りはらい、ルシアに悪戯っぽく微笑む。
「――寂しくないと否定されるのも寂しいがな」
「ディオン様! からかうのはおやめください!」
「からかってなどいない。なぁ、ヨルムンド」
ぐうぅと、まるで同調するようにヨルムンドがうなる。
「ヨルムンドの方が素直だな」
さらに茶化すと、ルシアがディオンから身を離すようにヨルムンドに縋り付く。
「では、ディオン様への懐き方はこれからヨルムンドに教えてもらいます!」
「それは期待が持てそうだ」
巨体に縋り付くルシアにはヨルムンドへの戸惑いがない。ヨルムンドも心を許したのか、ルシアの顔をベロベロと舐め始めた。ヨルムンドの仕草に慌てるルシアを眺めながら、ディオンはそっと安堵する。魔獣は人と違い、蛇に囚われることもない。
ひとたび懐けば、ヨルムンドが彼女を裏切ることは決してない。
「触らせてくださいね」
おそるおそるヨルムンドの顎を辿るようにして、ルシアは深い毛色を帯びた首筋に手を添わせた。ディオンよりも優しげな手つきで、美しい毛並みを梳くように撫でる。柔らかいがハリのある体毛が、彼女に撫でつけられて艶をましたように見えた。
大人しく身を任せる魔獣に、ルシアの顔が自然に綻んだ。鼓動を刻む体温に触れて、魔獣への恐れが完全に遠ざかったようだ。
「綺麗な毛並み。柔らかい。そして、とても温かい」
ルシアのうっとりとした声に応えるように、ぐうっとヨルムンドの喉が鳴った。ルシアがよろめきそうな勢いでヨルムンドがぐいぐいと顔をこすりつけている。ヨルムンドの力に戸惑っている華奢な体を支えるために、ディオンがルシアを抱きよせるように腕を伸ばした。
「私よりルシアに撫でられる方が気持ちが良いみたいだな」
「え? 本当ですか?」
グウゥグルルゥと低くうなるように、繰り返しヨルムンドの喉が鳴っているのがわかる。自分への警戒が溶けたことを理解したのか、ルシアはさらにヨルムンドに近づき首筋を抱くように細い腕をまわした。彼女が長い体毛をかき分けるように撫でると、ますますヨルムンドの喉が鳴る。凶悪に見えるはずの赤い眼に、喜びに満ちた愛嬌が光っていた。
「あなたは、良く見ると可愛い顔をしているのですね」
ルシアも同じ感想を抱いたのか、ヨルムンドに笑いかけている。
ヨルムンドがぐうぅと応えるように低くうなった。大きな尾が風を起こしそうな勢いで、ぶんぶんと勢いよく振られている。
「ルシア。退屈なら、これからはヨルムンドの相手をしてくれないか?」
「良いのですか?」
嬉しそうにディオンを振り返った顔には、ヨルムンドへの恐れや警戒は跡形もない。
「ああ。こんな凶悪な顔をして寂しがり屋なところがある」
「では私と同じですね」
「おまえと?」
「あっ」と声をあげてルシアが視線を泳がせる。どうやら勢いで口にしてしまったのか、瞬く間に頰が赤く染まった。
「い、いえ。なんでもありません。私にはクルドもいますし。ディオン様もおいでになります。決して寂しいわけでは‥‥‥」
「――……」
ディオンの脳裏で、突如こみ上げた昔日の光景が重なる。
変わらない。
全てを忘れても、彼女は決して変わらない。
去来した思い出に焼かれるような痛みが駆け抜ける。決して取り戻せない情景。
耐えるようにディオンはルシアを抱き寄せた。
「知っている」
「え?」
「おまえが強がりなことは……」
「あの、ですから私は寂しいわけでは――」
「そういう時は素直に言えばいい。おまえは昔から滅多に我侭を言わない」
「ですから、寂しくなどありません!」
ディオンは焦げ付きそうな愛しさを殺す。感傷は何も生まない。これからの妨げになるだけだった。昔日の面影を振りはらい、ルシアに悪戯っぽく微笑む。
「――寂しくないと否定されるのも寂しいがな」
「ディオン様! からかうのはおやめください!」
「からかってなどいない。なぁ、ヨルムンド」
ぐうぅと、まるで同調するようにヨルムンドがうなる。
「ヨルムンドの方が素直だな」
さらに茶化すと、ルシアがディオンから身を離すようにヨルムンドに縋り付く。
「では、ディオン様への懐き方はこれからヨルムンドに教えてもらいます!」
「それは期待が持てそうだ」
巨体に縋り付くルシアにはヨルムンドへの戸惑いがない。ヨルムンドも心を許したのか、ルシアの顔をベロベロと舐め始めた。ヨルムンドの仕草に慌てるルシアを眺めながら、ディオンはそっと安堵する。魔獣は人と違い、蛇に囚われることもない。
ひとたび懐けば、ヨルムンドが彼女を裏切ることは決してない。
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