上 下
31 / 58
第七章:昔日に重なる日々

31:訪れを待つ日々

しおりを挟む
 以前の音沙汰のなさを思えば、ルシアがディオンの傍で過ごす時間は増えた。それでも彼は最果てユグドラシルを放置することができないらしく、毎日訪れるというわけにはいかないようだった。

  ずっと傍にいたいという我がままを抑え込んで、ルシアはディオンの訪れを待つ日々を送っている。
  魔王の丘オーズからは決して出られない。理解はしているが、待つだけの日々を繰り返しているうちに、だんだん釈然としなくなっていた。

  もうディオンを信じて疑っていない。アルヴィとクルドにも心を許している。何も思い出せない非力さを認めても、全く何の助けにもなれないことがもどかしい。

 「ねぇ、クルド。私にも何かできることはないのかしら?」

  クルドはルシアの居室で床に敷布を広げ、器用に籠を編んでいる。ルシアは長椅子からクルドの隣へと移動して敷布に腰をおろした。

 「ルシア様からそれを聞くのは、もう何度目でしょうか」

 「だって、最果てユグドラシルは大変そうですし。クルドも暇を見つけては籠を編んだりしているでしょう?」

 「ルシア様に内職をさせるなんて出来ません!」

 「私はきっと器用です。何かしている方が時が経つのも早くなりますし……」

 「ディオン様を待つ時間を長く感じておいでですか?」

 「そ、そういうわけではなくて。とにかく、教えてくれたら何だって出来ます!」

  たしかにクルドのいう事も図星だった。以前は何気なく日々を過ごしていたが、最近はディオンが傍にいない日は、とても一日を長く感じる。

 「そう仰られても。……それに私はそれほど上手ではありません。これを見ていただければわかりますよね?」

  クルドが編みかけの籠を掲げて見せてくれる。細く大きな葉を細く編み、ねじり上げたものをさらに幾本も編みあわせて器の形になりつつあるが、編み目は不揃いに見えた。

 「私にはお教えできるほどの腕がまだないのです」

  再び籠を手元に戻しクルドがため息をつく。ルシアは傍らに束のようにして置かれている細い葉を手に取って、見様見真似で手先を動かしてみる。クルドも強く止めることがないので、くるくると葉を捩って細い三つ編みを作った。

 「器用ですね、ルシア様」

 「そうでしょう?」

  クルドに笑顔を向けながらも、ルシアは手先が覚えている感覚に意識が向く。こんな風に何かを編むことがあったのだろうか。

 「えー!? クルドってば、ルシア様に内職をさせているの?」

  葉を捩ったり編んだりしていると、背後で闊達な声がした。ルシアが振り返る前にアルヴィが隣に駆け寄ってきて二人の間に座る。

 「うわ! クルドの籠ひどいよ! 編み目がぐちゃぐちゃ!」

  顔をしかめるアルヴィがクルドから籠を取り上げて続きを編み始める。彼の器用さは一目瞭然だった。あまりの手さばきにルシアが言葉を失っていると、背後に近づいた気配がふっと視界に影を作る。
  まさかと思ったルシアの気持ちを置き去りに、アルヴィがすぐに声をかけた。

 「ディオン様見てください。クルドのこの籠。ひどい編み目!」

 「慣れていないのだから仕方がない。それにしてもルシアまで内職か」

  ルシアに寄り添うように膝をついて、ディオンが姿を見せた。

 「そんな予想はしていたがーー」

  ディオンがルシアの手元を見て可笑しそうに笑う。

 「なんでもやってみるところが、おまえらしい」

 「デ、ディオン様……」

  アルヴィの登場で予感はしていたが、突然の再会である。ルシアはささっと居住まいを正したが後の祭りだった。クルドも意外だったのか目を丸くしている。

 「ディオン様。今日おいでになるとは聞いておりませんでしたが」

  驚くクルドの声を聞きながら、ルシアは自分でも滑稽なほど心が弾むのがわかる。胸が躍るようなときめきを隠さず、満面の笑みで彼を迎えた。

 「ディオン様もアルヴィも、私はいつでも歓迎いたします」

  彼は頷いてからクルドを見る。

 「驚かせたなら悪かったが、いまさらルシアに心構えをさせる必要もないだろう。そう思ってムギンを飛ばすのをやめた」

 「そうだったのですか。言われてみればそうですね。ルシア様は毎日ディオン様のことを待ちくたびれておりますし」

 「そ、そんなことはありません!」

  慌てて声をあげるが、頬には熱がこもってしまう。あからさまに笑ってはいけないと思ったのか、アルヴィが口元に手をあてて肩を震わせていたが、すぐに明るい声が姉のクルドに同調する。

 「ルシア様はもっと我がままを言えば良いと思います。ずっと魔王の丘オーズから出られないのですから、退屈ですよね」

 「でも、最果てユグドラシルに迷惑をかけるわけには」

 「大丈夫です! 残った者で知恵を出し合って、少しずつ色んなことが安定してきています」

 「そうなのですか」

  失われた人界ヨルズが少しずつ再興しているのは知らされているが、アルヴィの明るい笑顔に一番説得力があるような気がした。

  だからと言って、ディオンの来訪を催促したり、魔王の丘オーズに引き留めたりはできない。彼に進む道があるのなら、それを邪魔するような行いは許されない。

 魔王の正体を知った今でも、ルシアにはディオンに対して畏敬の念がある。どれほど打ち解け、傍によっても消えない。刻み込まれた掟のように胸に染み込んでいるのだ。

  天界トロイを成す背くことのできない序列。ディオンは過去について何も語らない。ルシアの記憶からも失われているが、彼の立場の尊さが当時の敬愛と共に、心の深いところに刻まれている。

  不思議には思うが煩わしく思うことも、厭う気持ちもない。ディオンに焦がれる気持ちに、自然に寄り添っている心の働きだった。

 「私もいつか最果てユグドラシルを見てみたいです」

  アルヴィの笑顔に答えると、傍らのディオンが何でもない事のように告げる。

 「心配しなくても少しずつその日は近づいている。私もずっとおまえをここに幽閉する気はない。今は力が満ちるのを待っているようなものだ。ルシアには最果てユグドラシルの希望になる役割がある」

 「私が希望に?」

 「そうだ」

  ディオンが立ち上がったので、ルシアも立ち上がる。

 「どちらへ?」

 「せっかくだから、すこし外を歩こうか」

  ディオンが自然に手を差し出す。黒い爪を伸ばす魔性の手を見ても、ルシアにはもう何の戸惑いも生まれてこない。邪悪ガルドルが彼の心を乱さなければ、この爪が自分を傷つけることはない。ルシアはそっと白い手を重ねた。彼の掌の熱に触れると、それだけできゅっと胸が切なく痛む。

 クルドとアルヴィに庭へ出ることを伝えて、ルシアはディオンに導かれるままに居室を出た。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

王妃の手習い

桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。 真の婚約者は既に内定している。 近い将来、オフィーリアは候補から外される。 ❇妄想の産物につき史実と100%異なります。 ❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。 ❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...