28 / 58
第六章:重なり焦がれる心
28:呵責にも似た思い
しおりを挟む
ルシアの想いが流れ込んでくるように、ディオンに甘い気配が届くようになった。邪悪を通して伝えられる感情の行方。自分に向けられた恐れや憎悪はいつのまにか失われていた。クルドとアルヴィのおかげなのだろう。想い出を取り戻せるはずもないのに、ルシアは再び自分に心を向けた。
時にはくすぐったくなるような甘さを伴って、ルシアの心の機微が伝わって来る。
疑いようのない恋情。
もう邪悪に影響が及ぶことを恐れる必要もない。
破滅が訪れる前にそうであったように、ディオンはルシアの心を手に入れた。
かすかな希望が少しだけ光を増す。
邪悪を受け入れ、覚悟を決めた日。
零からのはじまりになる。わかっていてディオンは望んだ。
天界での日々、輝いていた昔日。過去の残像は自分の胸にだけ残れば良い。
ルシアは必ずまた自分に心を傾ける。
なぜそう思ったのか。なぜそれを信じられたのかはわからない。
確かな証は何もなかったが、ルシアはディオンの予想を裏切らず辿りついた
遣わされた蛇の罠で憎悪を刻まれても、彼女は自分を信じる道を選び、失う前と同じように心を向けてくれる。
そして、再び同じ希望を見つめてくれる。
人界の再興。
ディオンは傍らで眠るルシアの髪を梳くように、指先で触れる。天界の輝きを纏っているかのような金髪。緩く癖をもつ長い髪が、彼女の背中を覆うように広がり、寝台へと流れている。華奢な肩と、なめらかな白い肌。
彼女が創生を継承する前から、数えきれないほど肌を重ね、想いを通わせてきた。
ディオンは彼女の髪を梳く手を止めた。黒く伸びる爪。寝台の上に広がる、おぞましい色に染められた頭髪。金の装飾で隠した、邪悪を飼う右眼。
明らかに失われた輝き。身を犯す魔性がディオンの姿を蝕む。
輝くように美しいルシアに触れることに罪悪を覚えるが、愛しいという思いを示すことにためらいはなかった。彼女が受け入れ、自分を求めるのであれば迷うこともない。
ディオンは醜悪な爪が彼女の肌を傷つけないように、そっと彼女の背中に手を添わせ、肩に繋がる線をなぞった。見る事が叶わなくなった美しい翼。
自分と同じ六枚羽の有翼を与えたのは、いつだったのか。弾けるような光を受けて、まるで世界を抱くように翼を広げ、優雅に羽ばたく姿の美しさは今も鮮明に刻まれている。
天界でも稀有な姿。六枚の翼を許されるのは、破滅と創生に選ばれた者だけだった。
「ーー……」
眠るルシアの美しい顔を見つめながら、ディオンは呵責にも似た、言いようのない感情に支配される。
何がはじまりだったのだろう。
レイアがトールを愛したことだったのか、あるいはルシアが創生の女神となったことだったのか。
それとも、自分がーー。
考えても答えは出ない。わかっていても、ディオンは過去をなぞらずにはいられなかった。
世界の秩序。
あまりにも傲慢な導き。
神が人を愛したことが許されない罪となって、全てを狂わせてしまったとでも言うのか。一方的に下される破滅と創生。
本来であればヴァンスの行いが正しく、自分が狂っているのかもしれない。
大いなる世界の掟に背いているのは、どちらなのか。
わかっていても、諦めることは出来ない。
トールと語り合った理想。美しい大地。人界の者が放つ輝きを忘れることなど出来はしない。
神の嫉妬。訪れた破滅。
結局、最悪の事態を招いた。
レイアを失ったルシアの衝撃は、創生の絶望となってさらなる悲劇を生んだ。
臨界を越えた悲嘆がもたらしたもの。
「おまえの絶望は、私が引き受ける。……だから」
ディオンは身を屈めて、横たわるルシアの白い背に口づける。
(ーー思い出さなくていい)
心を痛めるだけの記憶など失われてしまった方が良い。
過去に縋って取り戻せるものなど何もない。後戻りはできない。
今にも消えてしまいそうな小さな光が残されている。全てを失った訳ではない。この道の先には希望がある。
そう信じている。
「ルシア」
白い肌に唇を寄せて、ディオンは祈るように目を閉じた。
身に邪悪を飼おうとも、これ以上大いなる世界の秩序に従うことは出来ない。
時にはくすぐったくなるような甘さを伴って、ルシアの心の機微が伝わって来る。
疑いようのない恋情。
もう邪悪に影響が及ぶことを恐れる必要もない。
破滅が訪れる前にそうであったように、ディオンはルシアの心を手に入れた。
かすかな希望が少しだけ光を増す。
邪悪を受け入れ、覚悟を決めた日。
零からのはじまりになる。わかっていてディオンは望んだ。
天界での日々、輝いていた昔日。過去の残像は自分の胸にだけ残れば良い。
ルシアは必ずまた自分に心を傾ける。
なぜそう思ったのか。なぜそれを信じられたのかはわからない。
確かな証は何もなかったが、ルシアはディオンの予想を裏切らず辿りついた
遣わされた蛇の罠で憎悪を刻まれても、彼女は自分を信じる道を選び、失う前と同じように心を向けてくれる。
そして、再び同じ希望を見つめてくれる。
人界の再興。
ディオンは傍らで眠るルシアの髪を梳くように、指先で触れる。天界の輝きを纏っているかのような金髪。緩く癖をもつ長い髪が、彼女の背中を覆うように広がり、寝台へと流れている。華奢な肩と、なめらかな白い肌。
彼女が創生を継承する前から、数えきれないほど肌を重ね、想いを通わせてきた。
ディオンは彼女の髪を梳く手を止めた。黒く伸びる爪。寝台の上に広がる、おぞましい色に染められた頭髪。金の装飾で隠した、邪悪を飼う右眼。
明らかに失われた輝き。身を犯す魔性がディオンの姿を蝕む。
輝くように美しいルシアに触れることに罪悪を覚えるが、愛しいという思いを示すことにためらいはなかった。彼女が受け入れ、自分を求めるのであれば迷うこともない。
ディオンは醜悪な爪が彼女の肌を傷つけないように、そっと彼女の背中に手を添わせ、肩に繋がる線をなぞった。見る事が叶わなくなった美しい翼。
自分と同じ六枚羽の有翼を与えたのは、いつだったのか。弾けるような光を受けて、まるで世界を抱くように翼を広げ、優雅に羽ばたく姿の美しさは今も鮮明に刻まれている。
天界でも稀有な姿。六枚の翼を許されるのは、破滅と創生に選ばれた者だけだった。
「ーー……」
眠るルシアの美しい顔を見つめながら、ディオンは呵責にも似た、言いようのない感情に支配される。
何がはじまりだったのだろう。
レイアがトールを愛したことだったのか、あるいはルシアが創生の女神となったことだったのか。
それとも、自分がーー。
考えても答えは出ない。わかっていても、ディオンは過去をなぞらずにはいられなかった。
世界の秩序。
あまりにも傲慢な導き。
神が人を愛したことが許されない罪となって、全てを狂わせてしまったとでも言うのか。一方的に下される破滅と創生。
本来であればヴァンスの行いが正しく、自分が狂っているのかもしれない。
大いなる世界の掟に背いているのは、どちらなのか。
わかっていても、諦めることは出来ない。
トールと語り合った理想。美しい大地。人界の者が放つ輝きを忘れることなど出来はしない。
神の嫉妬。訪れた破滅。
結局、最悪の事態を招いた。
レイアを失ったルシアの衝撃は、創生の絶望となってさらなる悲劇を生んだ。
臨界を越えた悲嘆がもたらしたもの。
「おまえの絶望は、私が引き受ける。……だから」
ディオンは身を屈めて、横たわるルシアの白い背に口づける。
(ーー思い出さなくていい)
心を痛めるだけの記憶など失われてしまった方が良い。
過去に縋って取り戻せるものなど何もない。後戻りはできない。
今にも消えてしまいそうな小さな光が残されている。全てを失った訳ではない。この道の先には希望がある。
そう信じている。
「ルシア」
白い肌に唇を寄せて、ディオンは祈るように目を閉じた。
身に邪悪を飼おうとも、これ以上大いなる世界の秩序に従うことは出来ない。
0
お気に入りに追加
195
あなたにおすすめの小説
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
果たされなかった約束
家紋武範
恋愛
子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。
しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。
このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。
怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。
※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
私が素直になったとき……君の甘過ぎる溺愛が止まらない
朝陽七彩
恋愛
十五年ぶりに君に再開して。
止まっていた時が。
再び、動き出す―――。
*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*
衣川遥稀(いがわ はるき)
好きな人に素直になることができない
松尾聖志(まつお さとし)
イケメンで人気者
*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*
誰にも言えないあなたへ
天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。
マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。
年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】伯爵の愛は狂い咲く
白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。
実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。
だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。
仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ!
そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。
両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。
「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、
その渦に巻き込んでいくのだった…
アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。
異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点)
《完結しました》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる