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第五章:古き者の影
25:ルシアの物思い
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「ーー懐かしいな」
穏やかなディオンの声に顔をあげると、端整な顔に美しいほほ笑みが宿っている。凶悪な印象はどこにもない。彼はルシアの髪の一房を指先で梳くようにして触れた。
「だが、おまえは何も思い出せない」
「ディオン様」
責められているのかと思ったが、ディオンは意外なことを語る。
「でも、それで良い。おまえが嘆くこともなく、思い悩むことなく過ごせるのなら、それで良い」
「私はーー」
思い悩んでいますと訴えそうになって、ルシアは何とか言葉を飲み込んだ。今となっては、はじめとはまるで異なった物思いに囚われているのだ。
「いえ、何でもありません」
美しい花園と甘い香りに誘われて、必要以上に心が緩んでいる。そう思いなおして、ルシアは改めてディオンを見つめた。
「ディオン様は、なぜ魔王の丘へおいでだったのですか?」
話題を変えると、ディオンがクルドとアルヴィを振り返ってから「ちょうどよい」とルシアを見る。
「おまえに聞きたいことがあった」
「私に?」
「ああ。ノルンと天界を目指した時、おまえが魔王の丘で魔族を見たと聞いているが……」
「はい。そうです」
ルシアはこの機会に古き者の声と影について語るべきかと逡巡するが、ディオンが続ける。
「異形の姿だったと?」
「はい。獣のような頭をしておりました。槍を持って立っていましたが、私達には気づかず動く気配はありませんでしたが……」
「それからは?」
「え?」
「それ以降に、同じような者を見たことはあったのか」
「いいえーー」
否定しようと思ったが、ルシアはディオンが魔族の話を信じてこちらを訪れていたのだと思い至る。思い切って打ち明けた。
「いえ、実はこの間ノルンの墓標を訪れた時に不思議な声を聞きました。蜃気楼のような影も現れましたが、実態はこちらにないようで……」
「実態がない?」
「はい。クルドには声も影も感じられないようでしたが。声は自分のことを古き者だと言っていました」
「古き者ーー」
明らかにディオンが息を呑んだのがわかる。ルシアは一瞬ためらったが続けた。
「前に見た魔族と同じような頭をしていました。角が頭の両横からぐるりと捻じれるように生えていて、とても恐ろしい姿でした」
「ーー何か話をしたのか」
「これといって何も。クルドが来て姿も声も消えてしまいましたので、ただーー」
ルシアは自分の物思いについて明かさずにすむように、古き者の言葉を伝えた。
「真実を語ろうか?と」
「ーー真実?」
ディオンの声が少し厳しくなる。彼の右手が金の装飾を抑えていた。ルシアはざわりと背筋が冷たくなる。ディオンを信じるべきかどうか。今語られている成り行きが本当のことであるのか。ルシアは思い悩む自分の心を隠すように、あわてて取り繕う。
「それが何のことを示していたのかは、私にもわかりません。本当に束の間のことでしたので」
ディオンが深く吐息をつく。ひどく何かを消耗しているような様子だった。
「……それ以降は会っていないのか」
「はい。それからは一度も見ていません。声を聞くこともありませんし……」
金の装飾に隠されていない左眼を閉じて、ディオンが立ち尽くす。ルシアは何かまずいことを言ったのかと、クルドとアルヴィを見るが、二人とも首を横に振るだけだった。
「ーー悪いが、私は戻る」
「え?」
ルシアが理由を聞くよりも早く、クルドの声が響く。
「ディオン様。もうすぐお昼刻です。せっかくなので、ルシア様と共にお食事でもどうでしょうか?」
ディオンが驚いたようにルシアとクルドを見る。
「私と食事をしても不味くなるだけだろう?」
「以前も申し上げましたが、私はもう何も恐れておりません」
不自然にならないように主張すると、ディオンが頷いた。
「わかった。おまえの覚悟は心に刻んでおこう。だが、今は少し用向きが出来た。また日を改めてほしい」
「本当でしょうか」
思わず恨みがましい言い方になってしまったが、ルシアは悟られないように視線に力を込める。
「本当にご一緒していただけるのでしょうか。私を避けておいでのようでしたが」
「おまえの気分を害するかと思ってのことだ。放任することが気に障るのなら、そのように振舞う」
「ーーわかりました」
受け入れると、ディオンが踵を返す。ルシアには引き留める術がない。どこか残念な思いで見送っていると、彼は少し進んでからこちらを振り返った。
「ルシア」
「は、はい」
「もし再び古き者の声を聞くことがあったとしても、その声を信じるな」
「え?」
それ以上何かを説明することもなくディオンが立ち去る。戸惑うルシアを見てどのように感じたのか、アルヴィが手に抱えていた花をばさりとルシアに差し出した。
「ルシア様。ご安心下さい。ディオン様のことは僕が必ずお連れします」
「あ、ええ。ありがとう」
花束を受け取ると、アルヴィが手を振りながらディオンについて駆けていく。ルシアはクルドと顔を見合わせてから、そっと吐息をついた。
穏やかなディオンの声に顔をあげると、端整な顔に美しいほほ笑みが宿っている。凶悪な印象はどこにもない。彼はルシアの髪の一房を指先で梳くようにして触れた。
「だが、おまえは何も思い出せない」
「ディオン様」
責められているのかと思ったが、ディオンは意外なことを語る。
「でも、それで良い。おまえが嘆くこともなく、思い悩むことなく過ごせるのなら、それで良い」
「私はーー」
思い悩んでいますと訴えそうになって、ルシアは何とか言葉を飲み込んだ。今となっては、はじめとはまるで異なった物思いに囚われているのだ。
「いえ、何でもありません」
美しい花園と甘い香りに誘われて、必要以上に心が緩んでいる。そう思いなおして、ルシアは改めてディオンを見つめた。
「ディオン様は、なぜ魔王の丘へおいでだったのですか?」
話題を変えると、ディオンがクルドとアルヴィを振り返ってから「ちょうどよい」とルシアを見る。
「おまえに聞きたいことがあった」
「私に?」
「ああ。ノルンと天界を目指した時、おまえが魔王の丘で魔族を見たと聞いているが……」
「はい。そうです」
ルシアはこの機会に古き者の声と影について語るべきかと逡巡するが、ディオンが続ける。
「異形の姿だったと?」
「はい。獣のような頭をしておりました。槍を持って立っていましたが、私達には気づかず動く気配はありませんでしたが……」
「それからは?」
「え?」
「それ以降に、同じような者を見たことはあったのか」
「いいえーー」
否定しようと思ったが、ルシアはディオンが魔族の話を信じてこちらを訪れていたのだと思い至る。思い切って打ち明けた。
「いえ、実はこの間ノルンの墓標を訪れた時に不思議な声を聞きました。蜃気楼のような影も現れましたが、実態はこちらにないようで……」
「実態がない?」
「はい。クルドには声も影も感じられないようでしたが。声は自分のことを古き者だと言っていました」
「古き者ーー」
明らかにディオンが息を呑んだのがわかる。ルシアは一瞬ためらったが続けた。
「前に見た魔族と同じような頭をしていました。角が頭の両横からぐるりと捻じれるように生えていて、とても恐ろしい姿でした」
「ーー何か話をしたのか」
「これといって何も。クルドが来て姿も声も消えてしまいましたので、ただーー」
ルシアは自分の物思いについて明かさずにすむように、古き者の言葉を伝えた。
「真実を語ろうか?と」
「ーー真実?」
ディオンの声が少し厳しくなる。彼の右手が金の装飾を抑えていた。ルシアはざわりと背筋が冷たくなる。ディオンを信じるべきかどうか。今語られている成り行きが本当のことであるのか。ルシアは思い悩む自分の心を隠すように、あわてて取り繕う。
「それが何のことを示していたのかは、私にもわかりません。本当に束の間のことでしたので」
ディオンが深く吐息をつく。ひどく何かを消耗しているような様子だった。
「……それ以降は会っていないのか」
「はい。それからは一度も見ていません。声を聞くこともありませんし……」
金の装飾に隠されていない左眼を閉じて、ディオンが立ち尽くす。ルシアは何かまずいことを言ったのかと、クルドとアルヴィを見るが、二人とも首を横に振るだけだった。
「ーー悪いが、私は戻る」
「え?」
ルシアが理由を聞くよりも早く、クルドの声が響く。
「ディオン様。もうすぐお昼刻です。せっかくなので、ルシア様と共にお食事でもどうでしょうか?」
ディオンが驚いたようにルシアとクルドを見る。
「私と食事をしても不味くなるだけだろう?」
「以前も申し上げましたが、私はもう何も恐れておりません」
不自然にならないように主張すると、ディオンが頷いた。
「わかった。おまえの覚悟は心に刻んでおこう。だが、今は少し用向きが出来た。また日を改めてほしい」
「本当でしょうか」
思わず恨みがましい言い方になってしまったが、ルシアは悟られないように視線に力を込める。
「本当にご一緒していただけるのでしょうか。私を避けておいでのようでしたが」
「おまえの気分を害するかと思ってのことだ。放任することが気に障るのなら、そのように振舞う」
「ーーわかりました」
受け入れると、ディオンが踵を返す。ルシアには引き留める術がない。どこか残念な思いで見送っていると、彼は少し進んでからこちらを振り返った。
「ルシア」
「は、はい」
「もし再び古き者の声を聞くことがあったとしても、その声を信じるな」
「え?」
それ以上何かを説明することもなくディオンが立ち去る。戸惑うルシアを見てどのように感じたのか、アルヴィが手に抱えていた花をばさりとルシアに差し出した。
「ルシア様。ご安心下さい。ディオン様のことは僕が必ずお連れします」
「あ、ええ。ありがとう」
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