魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

文字の大きさ
上 下
8 / 58
第二章:破滅(ラグナロク)の傷跡

8:魔王の描く世界

しおりを挟む
魔王の丘オーズは古き者の加護が働いている場所なので、ルシア様にとっては一番安全な場所です。天界トロイの王であっても手出しは出来ないはずですし、契約を果たしたディオン様の許しがなければ、出入りはできません。そんな異形の者が紛れ込むなんてありえないです」

「ですが、私は本当に見たのです」

 霧に紛れて駆け抜けながら、ルシアは思わず悲鳴をあげそうになるほど恐ろしかったのだ。

「もちろんルシア様を疑っているわけではありません。ただ、ディオン様にもお伝えしておいた方が良いかもしれませんね」

 クルドは綺麗な顔を曇らせて眉根を寄せていたが、すぐに不安を払拭するようにルシアに大きな瞳を向けた。 

「とにかくここは古き者ーーブーリンの加護で安全です。それに、ルシア様が庭に出たい時は私もご一緒します」

 クルドの笑顔には悪意を感じない。屈託のない様子でルシアに接してくれている。

「ありがとうございます」

 ルシアは素直に微笑み返す。好意的な者を疑う自分にも疲れていた。
 繰り返されるクルドの話は荒唐無稽だが、不思議と内容には齟齬がない。たしかな出来事を元に物語が描かれているように、辻褄だけがあっている。

 魔王の望む女神に仕立て上げるために、完璧な作り事で成り行きが構成されているのだ。ルシアはふと魔王の描く筋書きに興味を向ける。この状況を変える糸口があるかもしれない。そう考えるとクルドの語る絵空事に付き合うことにも意味がある。

魔王の丘オーズを守る古き者ブーリンの加護というのは、どういう力なのでしょうか。魔族や魔獣を近づかせないということですか?」

古き者ブーリンは、ずっと昔に地底ガルズを治めていた王の事で、今も地底ガルズ死者の泉ヘルゲルに存在しています。今は頭だけの存在で自ら動くことはないみたいですけど。魔王の丘オーズはその古き者ブーリンの住処だった場所で、今も彼の加護で保たれ守られています。だから、ルシア様の仰るとおりここには結界のような作用が働いています」

 やはり作られた筋書きには綻びが生まれるのだと、ルシアは安堵にも似た息をついた。再びノルンと逃亡をはかった折に見た者の姿を思い出していた。魔族が滅びたという話が信憑性を帯びてこない。仮に本当に滅びていたとしても、結界内に現れた異形の存在が、古き者ブーリンの加護という力を破綻させる。何もかもが信じるに値しないと再確認しながら、ルシアは魔王の描く筋書きを確かめる。

「さっき魔族は滅びたと言っていましたが、それはなぜですか?」

「ーー地底ガルズはその昔、人界ヨルズよりも天界トロイよりも繁栄を極めていたと言われていますが、滅びた理由はわかりません。古き者ブーリンなら知っているのかもしれませんけど……」

「では、今の魔王は本当に魔族ではないのですか?」

 クルドには何度も彼の素性を説明されたが、ルシアには信じがたい。たしかに右眼さえ隠していれば美しい容姿をしているが、右眼を思い出すだけで身の毛がよだつ。

 アレは本当に魔族ではないのだろうか。
 脳裏に刻まれた光景は、血の気が引くほど恐ろしい。ルシアの冴えない顔色を見て、クルドは哀しそうな眼をする。

「そんなにディオン様が恐ろしいですか?」

「ーーはい。恐ろしいです」

「何度でも申し上げますが、ディオン様はルシア様と同じで元は天界トロイの神です。破滅ラグナロクの後、天界トロイを追われ、堕天して地底ガルズに身を寄せました」

「だから、あんな姿になってしまったというのですか?」

「わたしには、ディオン様がなぜ天界トロイの姿を失ったのかはわかりません。でも、お心は以前と同じです。堕天したのも人界ヨルズの民のためです。地底ガルズ最果てユグドラシルで再興をはかるために」

「私も人界ヨルズの民です。その話が本当なら、どうして私だけ最果てユグドラシルを訪れることが許されないのですか」

「ルシア様には古き者ブーリンの加護が必要だからです。ディオン様が一番守りたい女神だから、魔王の丘オーズからお出しすることは出来ません」

 地底ガルズにある最果てユグドラシルという地で、魔王ディオンに救われた人々が再興をはかっている。これまでにも何度も聞かされた話だった。ほんとうにそんな場所があるのなら、一目で良いから見せてくれれば良いのだ。けれど、それは出来ないという。

 ルシアには全てが信じる理由のない作り話に過ぎない。
 バカバカしい絵空事だと呆れるが、その片隅で何かか引っかかるのも確かだった。

 ディオンがいったい何のためにそんな筋書きを描いているのか。些細な疑問が浮かぶ。ルシアに与えられた虚構が、魔王に、あるいはこの地底ガルズに、いったいどんな利益をもたらすのか。

 わからない。
 ルシアには何も思い描けない。
 何かを読み解こうとすることが、理解しようとすることが、すでに愚かなのだろうか。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫は私を愛してくれない

はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」 「…ああ。ご苦労様」 彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。 二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

記憶がないなら私は……

しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。  *全4話

私が素直になったとき……君の甘過ぎる溺愛が止まらない

朝陽七彩
恋愛
十五年ぶりに君に再開して。 止まっていた時が。 再び、動き出す―――。 *◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦* 衣川遥稀(いがわ はるき) 好きな人に素直になることができない 松尾聖志(まつお さとし) イケメンで人気者 *◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*◦*

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

処理中です...