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第二章:破滅(ラグナロク)の傷跡
8:魔王の描く世界
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「魔王の丘は古き者の加護が働いている場所なので、ルシア様にとっては一番安全な場所です。天界の王であっても手出しは出来ないはずですし、契約を果たしたディオン様の許しがなければ、出入りはできません。そんな異形の者が紛れ込むなんてありえないです」
「ですが、私は本当に見たのです」
霧に紛れて駆け抜けながら、ルシアは思わず悲鳴をあげそうになるほど恐ろしかったのだ。
「もちろんルシア様を疑っているわけではありません。ただ、ディオン様にもお伝えしておいた方が良いかもしれませんね」
クルドは綺麗な顔を曇らせて眉根を寄せていたが、すぐに不安を払拭するようにルシアに大きな瞳を向けた。
「とにかくここは古き者ーーブーリンの加護で安全です。それに、ルシア様が庭に出たい時は私もご一緒します」
クルドの笑顔には悪意を感じない。屈託のない様子でルシアに接してくれている。
「ありがとうございます」
ルシアは素直に微笑み返す。好意的な者を疑う自分にも疲れていた。
繰り返されるクルドの話は荒唐無稽だが、不思議と内容には齟齬がない。たしかな出来事を元に物語が描かれているように、辻褄だけがあっている。
魔王の望む女神に仕立て上げるために、完璧な作り事で成り行きが構成されているのだ。ルシアはふと魔王の描く筋書きに興味を向ける。この状況を変える糸口があるかもしれない。そう考えるとクルドの語る絵空事に付き合うことにも意味がある。
「魔王の丘を守る古き者の加護というのは、どういう力なのでしょうか。魔族や魔獣を近づかせないということですか?」
「古き者は、ずっと昔に地底を治めていた王の事で、今も地底の死者の泉に存在しています。今は頭だけの存在で自ら動くことはないみたいですけど。魔王の丘はその古き者の住処だった場所で、今も彼の加護で保たれ守られています。だから、ルシア様の仰るとおりここには結界のような作用が働いています」
やはり作られた筋書きには綻びが生まれるのだと、ルシアは安堵にも似た息をついた。再びノルンと逃亡をはかった折に見た者の姿を思い出していた。魔族が滅びたという話が信憑性を帯びてこない。仮に本当に滅びていたとしても、結界内に現れた異形の存在が、古き者の加護という力を破綻させる。何もかもが信じるに値しないと再確認しながら、ルシアは魔王の描く筋書きを確かめる。
「さっき魔族は滅びたと言っていましたが、それはなぜですか?」
「ーー地底はその昔、人界よりも天界よりも繁栄を極めていたと言われていますが、滅びた理由はわかりません。古き者なら知っているのかもしれませんけど……」
「では、今の魔王は本当に魔族ではないのですか?」
クルドには何度も彼の素性を説明されたが、ルシアには信じがたい。たしかに右眼さえ隠していれば美しい容姿をしているが、右眼を思い出すだけで身の毛がよだつ。
アレは本当に魔族ではないのだろうか。
脳裏に刻まれた光景は、血の気が引くほど恐ろしい。ルシアの冴えない顔色を見て、クルドは哀しそうな眼をする。
「そんなにディオン様が恐ろしいですか?」
「ーーはい。恐ろしいです」
「何度でも申し上げますが、ディオン様はルシア様と同じで元は天界の神です。破滅の後、天界を追われ、堕天して地底に身を寄せました」
「だから、あんな姿になってしまったというのですか?」
「わたしには、ディオン様がなぜ天界の姿を失ったのかはわかりません。でも、お心は以前と同じです。堕天したのも人界の民のためです。地底の最果てで再興をはかるために」
「私も人界の民です。その話が本当なら、どうして私だけ最果てを訪れることが許されないのですか」
「ルシア様には古き者の加護が必要だからです。ディオン様が一番守りたい女神だから、魔王の丘からお出しすることは出来ません」
地底にある最果てという地で、魔王ディオンに救われた人々が再興をはかっている。これまでにも何度も聞かされた話だった。ほんとうにそんな場所があるのなら、一目で良いから見せてくれれば良いのだ。けれど、それは出来ないという。
ルシアには全てが信じる理由のない作り話に過ぎない。
バカバカしい絵空事だと呆れるが、その片隅で何かか引っかかるのも確かだった。
ディオンがいったい何のためにそんな筋書きを描いているのか。些細な疑問が浮かぶ。ルシアに与えられた虚構が、魔王に、あるいはこの地底に、いったいどんな利益をもたらすのか。
わからない。
ルシアには何も思い描けない。
何かを読み解こうとすることが、理解しようとすることが、すでに愚かなのだろうか。
「ですが、私は本当に見たのです」
霧に紛れて駆け抜けながら、ルシアは思わず悲鳴をあげそうになるほど恐ろしかったのだ。
「もちろんルシア様を疑っているわけではありません。ただ、ディオン様にもお伝えしておいた方が良いかもしれませんね」
クルドは綺麗な顔を曇らせて眉根を寄せていたが、すぐに不安を払拭するようにルシアに大きな瞳を向けた。
「とにかくここは古き者ーーブーリンの加護で安全です。それに、ルシア様が庭に出たい時は私もご一緒します」
クルドの笑顔には悪意を感じない。屈託のない様子でルシアに接してくれている。
「ありがとうございます」
ルシアは素直に微笑み返す。好意的な者を疑う自分にも疲れていた。
繰り返されるクルドの話は荒唐無稽だが、不思議と内容には齟齬がない。たしかな出来事を元に物語が描かれているように、辻褄だけがあっている。
魔王の望む女神に仕立て上げるために、完璧な作り事で成り行きが構成されているのだ。ルシアはふと魔王の描く筋書きに興味を向ける。この状況を変える糸口があるかもしれない。そう考えるとクルドの語る絵空事に付き合うことにも意味がある。
「魔王の丘を守る古き者の加護というのは、どういう力なのでしょうか。魔族や魔獣を近づかせないということですか?」
「古き者は、ずっと昔に地底を治めていた王の事で、今も地底の死者の泉に存在しています。今は頭だけの存在で自ら動くことはないみたいですけど。魔王の丘はその古き者の住処だった場所で、今も彼の加護で保たれ守られています。だから、ルシア様の仰るとおりここには結界のような作用が働いています」
やはり作られた筋書きには綻びが生まれるのだと、ルシアは安堵にも似た息をついた。再びノルンと逃亡をはかった折に見た者の姿を思い出していた。魔族が滅びたという話が信憑性を帯びてこない。仮に本当に滅びていたとしても、結界内に現れた異形の存在が、古き者の加護という力を破綻させる。何もかもが信じるに値しないと再確認しながら、ルシアは魔王の描く筋書きを確かめる。
「さっき魔族は滅びたと言っていましたが、それはなぜですか?」
「ーー地底はその昔、人界よりも天界よりも繁栄を極めていたと言われていますが、滅びた理由はわかりません。古き者なら知っているのかもしれませんけど……」
「では、今の魔王は本当に魔族ではないのですか?」
クルドには何度も彼の素性を説明されたが、ルシアには信じがたい。たしかに右眼さえ隠していれば美しい容姿をしているが、右眼を思い出すだけで身の毛がよだつ。
アレは本当に魔族ではないのだろうか。
脳裏に刻まれた光景は、血の気が引くほど恐ろしい。ルシアの冴えない顔色を見て、クルドは哀しそうな眼をする。
「そんなにディオン様が恐ろしいですか?」
「ーーはい。恐ろしいです」
「何度でも申し上げますが、ディオン様はルシア様と同じで元は天界の神です。破滅の後、天界を追われ、堕天して地底に身を寄せました」
「だから、あんな姿になってしまったというのですか?」
「わたしには、ディオン様がなぜ天界の姿を失ったのかはわかりません。でも、お心は以前と同じです。堕天したのも人界の民のためです。地底の最果てで再興をはかるために」
「私も人界の民です。その話が本当なら、どうして私だけ最果てを訪れることが許されないのですか」
「ルシア様には古き者の加護が必要だからです。ディオン様が一番守りたい女神だから、魔王の丘からお出しすることは出来ません」
地底にある最果てという地で、魔王ディオンに救われた人々が再興をはかっている。これまでにも何度も聞かされた話だった。ほんとうにそんな場所があるのなら、一目で良いから見せてくれれば良いのだ。けれど、それは出来ないという。
ルシアには全てが信じる理由のない作り話に過ぎない。
バカバカしい絵空事だと呆れるが、その片隅で何かか引っかかるのも確かだった。
ディオンがいったい何のためにそんな筋書きを描いているのか。些細な疑問が浮かぶ。ルシアに与えられた虚構が、魔王に、あるいはこの地底に、いったいどんな利益をもたらすのか。
わからない。
ルシアには何も思い描けない。
何かを読み解こうとすることが、理解しようとすることが、すでに愚かなのだろうか。
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