魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

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第二章:破滅(ラグナロク)の傷跡

6:ディオンの失態

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 王宮を出ながら、ディオンは自分の犯した失態に強く歯噛みする。
 傷心のルシアに刻み込まれた、魔王への憎しみ。

 破滅ラグナロクの後、魔王の丘オーズを顧みなかった自分が悪いが、まさかこのような形で天界トロイの罠があるとは思わなかったのだ。

 いつからノルンは天界トロイに心を奪われていたのか。王妃レイアの従者として在ったことは間違いがない。レイアの信頼が厚かったことも知っている。

 人界ヨルズの王妃、レイア=ニブルヘム。
 元はルシアと双神であり、天界トロイの女神であったが人界ヨルズの王トールを愛し、大地に降嫁した。レイアは女神としての死を選び、天界トロイを去ったのだ。

 それでもルシアとの絆は切れず、二人の心は繋がっていた。
 天と地にわかれた女神は、天界トロイ人界ヨルズの繋がりとなり世界を柔軟にした。ディオンも人界ヨルズの王トールと親交を深め、世界を学んだ。

 同じ夢を語り、互いに寝食を忘れるほどに、理想の世界についてを話し合ったものだ。
 屈託のない時間。けれど、ディオンにも見えていないことがあった。

 神の嫉妬。
 天界トロイの王となったヴァンスが放った破滅ラグナロク

 圧倒的な一撃だった。
 呆気なく失われてしまった世界。

 美しい大地ヨルズは、跡形もなく焼かれた。
 ディオンとルシアは、トールとレイアをはじめーー人界ヨルズの全てを失うに至った。

 破滅ラグナロクのもたらした結末に心を痛めたルシア。彼女を慰める者として、ディオンは人界ヨルズから救い出した者からノルンを選んだ。王妃レイアに仕えていた侍女である。ルシアと想いを分かち合うには、最適な者であったはずなのだ。

 そのノルンが裏切るとは、さすがにディオンにも考えが及ばなかった。
 ノルンをしもべとして、天界トロイの王ヴァンスの思惑は叶えられただろう。

 レイアを悼むあまり、残された最期の想いに同調したルシア。ノルンはその心に見事に偽りを植え付けた。
 ルシアは今、この上もなく自分を憎んでいるのだ。

 美しい碧眼に映る苛烈な憎悪を見るたび、ディオンは失った右眼の痕にもたらされた試練に、心が奪われそうになる。

 この身に潜んでいる、手の付けられない狂気。囚われないように最善の注意を払っているが、ときおり不安定に蠢いてディオンを苛む。

 金の装飾で隠した右眼に手を当てながら、彼はやり切れない思いで魔王の丘オーズを後にする。

「ヨルムンド」

 霧の深い森に入りながら、ディオンが呼ぶとざっと風が舞った。大きな影がすぐに駆けつける。銀のたてがみと赤い瞳の魔獣。人界ヨルズの狼より巨大な体躯で、彼の鼻先とディオンの目の高さが等しい。

 ヨルムンドを見つけた時は、まだ子犬ほどの大きさで森の食物連鎖の餌食になりかけていたが、瀕死のところをディオンが拾った。

 今思えば、なぜただの魔獣の子に意識が向いたのか。赤く光る眼に憐憫を感じたせいだろうか。あるいは導きだったのだろうか。

 ヨルムンドとの邂逅で、ディオンは一つの事実を手に入れた。これまで地底ガルズの魔獣は決して懐かないと言われてきたが、そうではなかったのだ。

 地底ガルズを拠り所とするのに、この上もなく重要な情報だった。
 ディオンが腕を伸ばして首筋を撫でると、ヨルムンドは何の警戒心もなく大きな頭を擦り付けてくる。グルルルと甘えるような唸りが聞こえた。

 しっかりと手を当てて鼻先から顔を撫でると、気持ちよさそうにひくひくと髭が動く。

「ヨルムンド、悪いが今は飛べそうにない。乗せてくれるか」

 ディオンは六枚の羽を持つ有翼種だが、普段は隠している。魔界ガルズで翼を出すことに伴う変化には、未だに慣れない。黒色の翼を広げることに、言い様のない危機感がともなう。

 ヨルムンドはディオンの声を聞くと、ばさりと木をなぎ倒しそうな勢いで尾を振った。すっかりディオンを主だと思い定めているのか、喜んでいる気配がする。

「すまないな。私は最果てユグドラシルへ戻る」

 ディオンが大きな背に飛び乗ると、ヨルムンドは迷わず駆けだした。一気に辺りの光景が流れる。空を翔るような軽い足取り。ディオンを乗せても変わらない俊足だった。

「――っ」

 ディオンは再び右眼を隠す装飾に触れる。右眼の痕が、焼かれたように痛んだ。
 身の内に飼うおぞましい影。

 久しぶりにルシアの顔を見たが、今の彼女はディオンの狂気を掻き立てる。傍に居ることはできそうにない。クルドに託すことが最善だと判断した。

 微笑まない女神。触れることも出来ない。

「ルシア……」

 破滅ラグナロクにより、失われた世界。
 過ぎた日の輝きが、今はあまりにも遠い。
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