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第十四章 アラディアと聖なる光(アウル)
1:導く翠の光
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泣いてしまうとシルファを困らせる。そう思ってミアは別れを意識する度に、ぐっと奥歯を噛み締めた。
大魔女アラディアを捕らえ、力を取り戻したシルファに聖女は必要ない。
何度もそう言い聞かせて、「まだ帰りたくない」と我がままを言いそうになるのを堪えた。
心の整理がつかないまま、日が暮れるとミアはシルファと共に教会を訪れた。
ベルゼとセラフィも同行している。
「ベルゼ、もし司祭を見つけたらこれを与えてほしい。暗示を解いておきたい」
「はい」
ミアを大失態に招いた聖糖を、シルファがベルゼに手渡す。夜の闇の中では、透けた容器からも翠の光が漏れていた。
シルファが最後にドラクルに会ってから、どうやら司祭の行方が掴めないようだった。シルファは子ども達を案じて、幾人かの影の一族を教会に派遣していた。
シルファは聖堂に近寄ることはなく、菜園を越えて旧聖堂へと向かう。
ミアは辺りに満ちている甘い香りに触れた。今夜も深く濃密な芳香だった。
「ミアは菜園や旧聖堂で香りがすると聞いたが、今も?」
振り返ったシルファに、ミアは頷いた。
「うん。甘い香りがする」
「そうか」
「もしかすると、その不思議な草の香りなのかな」
自分を暗示に掛けたものの正体も聞いている。陽光で枯れるというのが、不思議だった。
「翠光子の香り?」
「うん。わたしは味覚がなかったり、シルファから甘い香りがしたり、色々反応が違うみたいだから」
「そうだな」
「でも、夜の菜園は怖いね」
闇に沈む光景は、何か見てはいけないものを見てしまいそうな恐れを抱かせる。足元に触れた雑草に驚いて、ミアは思わずシルファの腕を掴んでしまう。
「ミア?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとびっくりしただけ」
すぐに離れたが、ミアは得体の知れない不安を感じていた。夜の闇に抱く心細さや、元の世界へ戻ることについての不安とは異なる、違和感のようなもの。
これまでを振り変えると、どちらかというとシルファはできるだけミアを危険なことから遠ざけるように行動していた。
今夜に限っては少し様子が違う。アラディアの行方を掴んたようだが、そんな場所に自分を伴ってくれるのだ。シルファを苦しめた大魔女については興味が尽きない。ミアとしては有り難いが、引っ掛かりは拭えなかった。
自分が元の世界に帰るためには、シルファの力だけでは足りないのだろうか。ミアはシルファの魔力が戻れば帰れると思っていたが、もしかすると違うのかもしれない。自分を伴って旧聖堂に行かなければならない理由がある気がしていた。
旧聖堂へはまだ距離のある状態で、シルファが立ち止まる。
「ミア。正直に言うが、おまえを元の世界に帰すことができる機会は限られている。アラディアは危険だが、必ず帰り道を開くから、何があっても迷わずに行ってほしい」
やはりそうだったのかと、ミアは素直に受け入れる。
「わかった」
帰りたくないという気持ちを、ミアはますます胸の奥に閉じ込めた。シルファの邪魔にならないことだけを考える。
「シルファ様、ミアは――」
背後からセラフィの声がしたが、すぐにベルゼが遮った。
「王は全て理解しておられる」
セラフィが何を伝えようとしたのか、ミアにもわかってしまう。ベルゼの落ち着いた声は、ミアの胸にもチクリと刺さった。唇を噛んで項垂れるセラフィに、ミアは心の中で「ありがとう」と呟く。シルファがそっと背後を振り返った。
「セラフィ。私はこの機会を逃すことはできない」
穏やかな声だった。セラフィは小さく頷く。
「――はい」
シルファがミアを帰すという約束を破ることはない。
しっかり受け止めて、ミアは心の準備を整えることに意識を向けた。黒い影として聳えている旧聖堂に目を向ける。
「あれ?」
ミアは夜の闇の中で、何かが光っているのを見つける。
ぽうっと、小さな光が翠を帯びている。
「シルファ、あれ」
ミアが指さすと、シルファにも見えたようだった。歩み寄っていくと、丸みを帯びた蕾も、重なり合う葉も、茎に至るまで、全体が翠に発光する草花が落ちていた。それは一定の間隔を保って落とされており、旧聖堂の入り口へと続く。
シルファは見逃すことなく全てを拾いながら、誘われるように入り口の扉の前に立った。鎖で封鎖されていた扉は開放されている。建物の中にも翠光子の光が点々と続いていた。
ミアは甘い香りがどんどん強くなるのを感じる。
目的地へと誘う道しるべのように、翠の光と芳香に誘われている。
シルファの後をついて旧聖堂の中を進むが、翠光子の光は堂内から続く小さな部屋の扉へと続き、そのまま小部屋の裏口から外へと通じる。
再び外へと出てしまったが、光がすぐ先で途切れていた。
シルファが最後の翠光子を拾い上げると、草むらに隠されるようにして正方形の鉄板が敷かれている。
「――なるほど、ここか」
シルファは膝をついて鉄板の模様の一部に、何かを差し入れた。ガチリと噛み合う音がして、まるで底が抜けた箱のように、鉄板が落下したかのように開いた。中には梯子が掛けられており、暗い底へと続いている。
ミアは密度の増した香りにくらりと酔いそうになる。それは霧散してすぐに辺りの香りと馴染んだ。
「大丈夫か?」
シルファが気遣うようにミアの様子を見ている。
「うん。一瞬すごく濃い香りがしたけど、もう大丈夫」
「ここまで来ると、私にも香る」
「私は何も匂いませんけど。ベルゼは?」
ベルゼは無言で横に首を振る。セラフィが確かめるように辺りを嗅いでいるが、やはりわからないようだ。
梯子の先は暗闇だった。翠光子の光を感じないので、シルファはベルゼが手にしていた燈を持つ。迷わず地下へと続く梯子を下りた。
恐る恐るミアも続く。底までたどり着いたが、やはり翠光子の光はない。シルファの持つ燈が、暗闇に小さな部屋を映し出す。少女の部屋を感じさせる調度。燈の灯りがゆっくりと動く。
小さな卓、鏡台に椅子。寝台が見えたところで、ミアは小さく悲鳴をあげた。
寝台の傍らで誰かが座っている。
大魔女アラディアを捕らえ、力を取り戻したシルファに聖女は必要ない。
何度もそう言い聞かせて、「まだ帰りたくない」と我がままを言いそうになるのを堪えた。
心の整理がつかないまま、日が暮れるとミアはシルファと共に教会を訪れた。
ベルゼとセラフィも同行している。
「ベルゼ、もし司祭を見つけたらこれを与えてほしい。暗示を解いておきたい」
「はい」
ミアを大失態に招いた聖糖を、シルファがベルゼに手渡す。夜の闇の中では、透けた容器からも翠の光が漏れていた。
シルファが最後にドラクルに会ってから、どうやら司祭の行方が掴めないようだった。シルファは子ども達を案じて、幾人かの影の一族を教会に派遣していた。
シルファは聖堂に近寄ることはなく、菜園を越えて旧聖堂へと向かう。
ミアは辺りに満ちている甘い香りに触れた。今夜も深く濃密な芳香だった。
「ミアは菜園や旧聖堂で香りがすると聞いたが、今も?」
振り返ったシルファに、ミアは頷いた。
「うん。甘い香りがする」
「そうか」
「もしかすると、その不思議な草の香りなのかな」
自分を暗示に掛けたものの正体も聞いている。陽光で枯れるというのが、不思議だった。
「翠光子の香り?」
「うん。わたしは味覚がなかったり、シルファから甘い香りがしたり、色々反応が違うみたいだから」
「そうだな」
「でも、夜の菜園は怖いね」
闇に沈む光景は、何か見てはいけないものを見てしまいそうな恐れを抱かせる。足元に触れた雑草に驚いて、ミアは思わずシルファの腕を掴んでしまう。
「ミア?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとびっくりしただけ」
すぐに離れたが、ミアは得体の知れない不安を感じていた。夜の闇に抱く心細さや、元の世界へ戻ることについての不安とは異なる、違和感のようなもの。
これまでを振り変えると、どちらかというとシルファはできるだけミアを危険なことから遠ざけるように行動していた。
今夜に限っては少し様子が違う。アラディアの行方を掴んたようだが、そんな場所に自分を伴ってくれるのだ。シルファを苦しめた大魔女については興味が尽きない。ミアとしては有り難いが、引っ掛かりは拭えなかった。
自分が元の世界に帰るためには、シルファの力だけでは足りないのだろうか。ミアはシルファの魔力が戻れば帰れると思っていたが、もしかすると違うのかもしれない。自分を伴って旧聖堂に行かなければならない理由がある気がしていた。
旧聖堂へはまだ距離のある状態で、シルファが立ち止まる。
「ミア。正直に言うが、おまえを元の世界に帰すことができる機会は限られている。アラディアは危険だが、必ず帰り道を開くから、何があっても迷わずに行ってほしい」
やはりそうだったのかと、ミアは素直に受け入れる。
「わかった」
帰りたくないという気持ちを、ミアはますます胸の奥に閉じ込めた。シルファの邪魔にならないことだけを考える。
「シルファ様、ミアは――」
背後からセラフィの声がしたが、すぐにベルゼが遮った。
「王は全て理解しておられる」
セラフィが何を伝えようとしたのか、ミアにもわかってしまう。ベルゼの落ち着いた声は、ミアの胸にもチクリと刺さった。唇を噛んで項垂れるセラフィに、ミアは心の中で「ありがとう」と呟く。シルファがそっと背後を振り返った。
「セラフィ。私はこの機会を逃すことはできない」
穏やかな声だった。セラフィは小さく頷く。
「――はい」
シルファがミアを帰すという約束を破ることはない。
しっかり受け止めて、ミアは心の準備を整えることに意識を向けた。黒い影として聳えている旧聖堂に目を向ける。
「あれ?」
ミアは夜の闇の中で、何かが光っているのを見つける。
ぽうっと、小さな光が翠を帯びている。
「シルファ、あれ」
ミアが指さすと、シルファにも見えたようだった。歩み寄っていくと、丸みを帯びた蕾も、重なり合う葉も、茎に至るまで、全体が翠に発光する草花が落ちていた。それは一定の間隔を保って落とされており、旧聖堂の入り口へと続く。
シルファは見逃すことなく全てを拾いながら、誘われるように入り口の扉の前に立った。鎖で封鎖されていた扉は開放されている。建物の中にも翠光子の光が点々と続いていた。
ミアは甘い香りがどんどん強くなるのを感じる。
目的地へと誘う道しるべのように、翠の光と芳香に誘われている。
シルファの後をついて旧聖堂の中を進むが、翠光子の光は堂内から続く小さな部屋の扉へと続き、そのまま小部屋の裏口から外へと通じる。
再び外へと出てしまったが、光がすぐ先で途切れていた。
シルファが最後の翠光子を拾い上げると、草むらに隠されるようにして正方形の鉄板が敷かれている。
「――なるほど、ここか」
シルファは膝をついて鉄板の模様の一部に、何かを差し入れた。ガチリと噛み合う音がして、まるで底が抜けた箱のように、鉄板が落下したかのように開いた。中には梯子が掛けられており、暗い底へと続いている。
ミアは密度の増した香りにくらりと酔いそうになる。それは霧散してすぐに辺りの香りと馴染んだ。
「大丈夫か?」
シルファが気遣うようにミアの様子を見ている。
「うん。一瞬すごく濃い香りがしたけど、もう大丈夫」
「ここまで来ると、私にも香る」
「私は何も匂いませんけど。ベルゼは?」
ベルゼは無言で横に首を振る。セラフィが確かめるように辺りを嗅いでいるが、やはりわからないようだ。
梯子の先は暗闇だった。翠光子の光を感じないので、シルファはベルゼが手にしていた燈を持つ。迷わず地下へと続く梯子を下りた。
恐る恐るミアも続く。底までたどり着いたが、やはり翠光子の光はない。シルファの持つ燈が、暗闇に小さな部屋を映し出す。少女の部屋を感じさせる調度。燈の灯りがゆっくりと動く。
小さな卓、鏡台に椅子。寝台が見えたところで、ミアは小さく悲鳴をあげた。
寝台の傍らで誰かが座っている。
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