50 / 83
第十一章:仕掛け
3:異なる聖糖
しおりを挟む
離れの書庫で何冊かの絵本を手に取って、ミアは各階に設けられている小さな卓に、抱えていた絵本とドミニオにもらった聖糖を置いた。隣に配置されている長椅子に掛けてさっそく絵本を開く。以前よりは文字の多い絵本が読めるようになっていた。
書庫内にも影の一族の気配はあるが、静寂は守られている。ミアが一冊の絵本を読み終えた時、食事を用意してくれたゲルムが近づいてきた。
「珈琲がお好きだと聞いたので、お持ちしました」
「わぁ、ありがとうございます。あ、そうだ」
ミアは小卓に置いてあった白い包みに手を伸ばす。
「せっかくだから、王子にもらった聖糖をいただこうかな」
「では、こちらの器に移しましょう」
ゲルムが白い包みを開き、小さな器に盛った。角砂糖のような白い立方体。全て同じはずなのに、ミアは一つだけ色目のある聖糖を見つけた。光の加減だろうか。淡緑の色合い。かすかに発光しているように見える。
「これ、一つだけ緑に光ってないですか?」
教会で補充をした経験もあるが、色の付いた聖糖を見たのは初めてだった。錯覚かと思い、異色を放っている立方体をつまんで掌にのせる。窓からの陽光に当ててみるが、やはりかすかに緑色をしている。
「聖糖に色付きなんてあるんだ?」
ミアが角度を変えて眺めていると、傍で一部始終を見ていたゲルムが首を傾げた。
「色? 僕には全て純白に見えますけど」
「え? ほらこれ。これだけ淡い緑色してませんか? それに影で見ると少し光って見えるみたい」
ミアはゲルムの掌に、ころりと色の付いた聖糖をのせた。彼は綺麗な瞳でしげしげと眺めて、もう一度首をひねる。
「いえ、白いですよ。他のと同じように見えます」
ゲルムは器からもう一つ聖糖をとって掌にのせ、二つを比べるように眺める。ミアには明らかに色が異なるが、彼にはわからないようだった。
「同じですよ」
「そう、ですね」
視界の中で二つの違いは明白だったが、ミアは光と影の加減なのかもしれないと思いなおす。
「味は同じなのかな」
味覚を失っているので確かめようもないが、ゲルムが不思議そうに二つを見比べていたので、ミアは色の付いた聖糖を手に取って、少しだけ舐めてみた。
「甘い!」
「ええ、聖糖は甘くておいしいですよね」
ゲルムはミアの事情を知らないようだ。大袈裟にも見える反応にほほ笑むが、ミアには衝撃だった。
シルファの唾液と色香避けに加えて、聖糖。
甘く感じるものが増えていく。聖糖が甘いなら、味覚への欲求が癒される術になる。
ミアは期待を込めて純白の聖糖も舐めてみたが、やはり味を感じない。
「なんだろう、これ。当たりくじみたいなものかな」
「当たりくじ?」
「あ、ううん。なんでもないです」
ミアは淡く緑に発光している聖糖を眺める。ひとつだけ他とは違うが、自分の錯覚なのだろうか。または教会の遊び心だろうか。口に含むことにためらいがあったが、甘さに反応してしまったせいか、味覚への飢えが急激に高まっていた。味覚に触れた味を確かめたくなる。思い切って口に含むと、酔いそうな甘さが口内に満ちた。与えられる味覚への刺激に、思わず身震いする。
「おいしい」
ミアの嬉しそうな様子に微笑みながら、ゲルムが器に珈琲をそそぐ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ミアは唾液に残る甘さを追いかける。口内から甘味が失われてから、ようやく芳香を漂わせる珈琲をすすった。
何冊目かの絵本を読み終えて、さらに新しい絵本を開いた時、ミアはやはり教会に行くべきだという気持ちになっていた。不安に感じるほど、その気持ちが高まっている。
(やっぱり、わたしはルミエが心配なんだ)
あどけなさの残った少年の事を思うと、自分が教会へ行きたくなるのは仕方がないと思う。
姿が見えなくなったというが、本当だろうか。教会に何か手掛かりになるものは残されていないだろうか。考え始めると、ミアは居ても立ってもいられなくなる。
貧血によるふらつきも大したことはない。
窓の外を見ると、昼下がりの陽光が黄昏に近づいているのを感じた。自分が呑気に絵本を読んでいたことに罪悪感が生まれる。
ミアは手早く絵本を片付けて、書庫の正面扉に向かった。
「こちらはいけません」
正面扉の両脇に立っていた影の一族が、声を揃えてミアの進路をふさぐ。
「ミア? どこへ行くんですか? 戻るなら二階の通路から」
気配を感じなかったが、ゲルムは書庫にとどまっていたようだ。素早く書庫の大きな扉の前に駆け付けてくる。三人の影の一族に阻まれて、ミアは仕方なく立ち止まった。
「わたし、教会へ行きたいんです」
「教会へ?」
「はい。やっぱり、ルミエが心配で」
「――お気持ちはわかりますが、今日は諦めてください」
「でも、いなくなった手掛かりを探すなら、早い方がいいんじゃないかって」
「きっと教会が手配をして捜索をしてくれているはずです。ミアは貧血気味ですし、王宮の離れからお出しすることはできません。今あなたに出歩かれるとシルファ様が心配されます」
「シルファが――」
そうかもしれないと思う。彼の気遣いはわかっているが、自分はどうしても教会へ行きたい。
行かなければならない。
「でも、教会に行かなくちゃ」
「ミア、いけません」
「すごく嫌な予感がするんです。わたし、教会に行かなくちゃ」
諦めることができない。自分の身の危険は承知しているが、今は胸に広がった不安が上回っている。
ルミエへの心配が肥大する。教会に行きたい。
行かなければならない。
「お願いです。教会に行かせて!」
「――……」
ゲルムは戸惑った顔をしたが、決して縦に首を振らなかった。ミアは考えを改める。
「――ごめんなさい。そうですよね。私がここを出るとみんなに迷惑がかかっちゃう」
「そういうわけでは」
「ごめんなさい。とりあえず部屋に戻ります」
ミアはゲルムに案内されて、離れへと戻った。
(――でも、わたしは教会に行かなくちゃ……)
書庫内にも影の一族の気配はあるが、静寂は守られている。ミアが一冊の絵本を読み終えた時、食事を用意してくれたゲルムが近づいてきた。
「珈琲がお好きだと聞いたので、お持ちしました」
「わぁ、ありがとうございます。あ、そうだ」
ミアは小卓に置いてあった白い包みに手を伸ばす。
「せっかくだから、王子にもらった聖糖をいただこうかな」
「では、こちらの器に移しましょう」
ゲルムが白い包みを開き、小さな器に盛った。角砂糖のような白い立方体。全て同じはずなのに、ミアは一つだけ色目のある聖糖を見つけた。光の加減だろうか。淡緑の色合い。かすかに発光しているように見える。
「これ、一つだけ緑に光ってないですか?」
教会で補充をした経験もあるが、色の付いた聖糖を見たのは初めてだった。錯覚かと思い、異色を放っている立方体をつまんで掌にのせる。窓からの陽光に当ててみるが、やはりかすかに緑色をしている。
「聖糖に色付きなんてあるんだ?」
ミアが角度を変えて眺めていると、傍で一部始終を見ていたゲルムが首を傾げた。
「色? 僕には全て純白に見えますけど」
「え? ほらこれ。これだけ淡い緑色してませんか? それに影で見ると少し光って見えるみたい」
ミアはゲルムの掌に、ころりと色の付いた聖糖をのせた。彼は綺麗な瞳でしげしげと眺めて、もう一度首をひねる。
「いえ、白いですよ。他のと同じように見えます」
ゲルムは器からもう一つ聖糖をとって掌にのせ、二つを比べるように眺める。ミアには明らかに色が異なるが、彼にはわからないようだった。
「同じですよ」
「そう、ですね」
視界の中で二つの違いは明白だったが、ミアは光と影の加減なのかもしれないと思いなおす。
「味は同じなのかな」
味覚を失っているので確かめようもないが、ゲルムが不思議そうに二つを見比べていたので、ミアは色の付いた聖糖を手に取って、少しだけ舐めてみた。
「甘い!」
「ええ、聖糖は甘くておいしいですよね」
ゲルムはミアの事情を知らないようだ。大袈裟にも見える反応にほほ笑むが、ミアには衝撃だった。
シルファの唾液と色香避けに加えて、聖糖。
甘く感じるものが増えていく。聖糖が甘いなら、味覚への欲求が癒される術になる。
ミアは期待を込めて純白の聖糖も舐めてみたが、やはり味を感じない。
「なんだろう、これ。当たりくじみたいなものかな」
「当たりくじ?」
「あ、ううん。なんでもないです」
ミアは淡く緑に発光している聖糖を眺める。ひとつだけ他とは違うが、自分の錯覚なのだろうか。または教会の遊び心だろうか。口に含むことにためらいがあったが、甘さに反応してしまったせいか、味覚への飢えが急激に高まっていた。味覚に触れた味を確かめたくなる。思い切って口に含むと、酔いそうな甘さが口内に満ちた。与えられる味覚への刺激に、思わず身震いする。
「おいしい」
ミアの嬉しそうな様子に微笑みながら、ゲルムが器に珈琲をそそぐ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ミアは唾液に残る甘さを追いかける。口内から甘味が失われてから、ようやく芳香を漂わせる珈琲をすすった。
何冊目かの絵本を読み終えて、さらに新しい絵本を開いた時、ミアはやはり教会に行くべきだという気持ちになっていた。不安に感じるほど、その気持ちが高まっている。
(やっぱり、わたしはルミエが心配なんだ)
あどけなさの残った少年の事を思うと、自分が教会へ行きたくなるのは仕方がないと思う。
姿が見えなくなったというが、本当だろうか。教会に何か手掛かりになるものは残されていないだろうか。考え始めると、ミアは居ても立ってもいられなくなる。
貧血によるふらつきも大したことはない。
窓の外を見ると、昼下がりの陽光が黄昏に近づいているのを感じた。自分が呑気に絵本を読んでいたことに罪悪感が生まれる。
ミアは手早く絵本を片付けて、書庫の正面扉に向かった。
「こちらはいけません」
正面扉の両脇に立っていた影の一族が、声を揃えてミアの進路をふさぐ。
「ミア? どこへ行くんですか? 戻るなら二階の通路から」
気配を感じなかったが、ゲルムは書庫にとどまっていたようだ。素早く書庫の大きな扉の前に駆け付けてくる。三人の影の一族に阻まれて、ミアは仕方なく立ち止まった。
「わたし、教会へ行きたいんです」
「教会へ?」
「はい。やっぱり、ルミエが心配で」
「――お気持ちはわかりますが、今日は諦めてください」
「でも、いなくなった手掛かりを探すなら、早い方がいいんじゃないかって」
「きっと教会が手配をして捜索をしてくれているはずです。ミアは貧血気味ですし、王宮の離れからお出しすることはできません。今あなたに出歩かれるとシルファ様が心配されます」
「シルファが――」
そうかもしれないと思う。彼の気遣いはわかっているが、自分はどうしても教会へ行きたい。
行かなければならない。
「でも、教会に行かなくちゃ」
「ミア、いけません」
「すごく嫌な予感がするんです。わたし、教会に行かなくちゃ」
諦めることができない。自分の身の危険は承知しているが、今は胸に広がった不安が上回っている。
ルミエへの心配が肥大する。教会に行きたい。
行かなければならない。
「お願いです。教会に行かせて!」
「――……」
ゲルムは戸惑った顔をしたが、決して縦に首を振らなかった。ミアは考えを改める。
「――ごめんなさい。そうですよね。私がここを出るとみんなに迷惑がかかっちゃう」
「そういうわけでは」
「ごめんなさい。とりあえず部屋に戻ります」
ミアはゲルムに案内されて、離れへと戻った。
(――でも、わたしは教会に行かなくちゃ……)
0
お気に入りに追加
452
あなたにおすすめの小説


二度目の召喚なんて、聞いてません!
みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。
その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。
それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」
❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。
❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。
❋他視点の話があります。
覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―
Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。

教会を追放された元聖女の私、果実飴を作っていたのに、なぜかイケメン騎士様が溺愛してきます!
海空里和
恋愛
王都にある果実店の果実飴は、連日行列の人気店。
そこで働く孤児院出身のエレノアは、聖女として教会からやりがい搾取されたあげく、あっさり捨てられた。大切な人を失い、働くことへの意義を失ったエレノア。しかし、果実飴の成功により、働き方改革に成功して、穏やかな日常を取り戻していた。
そこにやって来たのは、場違いなイケメン騎士。
「エレノア殿、迎えに来ました」
「はあ?」
それから毎日果実飴を買いにやって来る騎士。
果実飴が気に入ったのかと思ったその騎士、イザークは、実はエレノアとの結婚が目的で?!
これは、エレノアにだけ距離感がおかしいイザークと、失意にいながらも大切な物を取り返していくエレノアが、次第に心を通わせていくラブストーリー。

聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件
バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。
そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。
志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。
そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。
「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」
「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」
「お…重い……」
「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」
「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」
過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。
二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。
全31話
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。
なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。
追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。
優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。
誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、
リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。
全てを知り、死を考えた彼女であったが、
とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。
後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる