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第十章:手掛かり
2:失態の上書き
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「嘘だろ?」
シルファは眩暈を感じた。飢餓状態で、かつてそんな理性の飛ばし方をしたことがあっただろうか。渇望に伴う欲情は、いつも受動的に生まれる。色香で捉えた相手に誘われて昂じて行くはずなのだ。
どんな経緯をたどろうと、ミアに愛を囁くことは最悪の失態だった。
無理矢理凌辱する方が、まだ救いがある。
彼女を望む想いで外れた枷。シルファは一つの可能性に思い至った。
「――聖女の血に酔っていたのか?」
「酔っていたでしょうね。永くお仕えしていますが、あんなシルファ様を見たのは初めてだったので」
「なるほどね」
シルファは胸を撫でおろす。まだ告白が本心ではないと誤魔化すことが出来そうだった。
「それで? 私はミアを抱いたのか?」
「そこはガツンと防いでおきましたよ。――ミアにシルファ様を嫌いになってほしくなかったので」
悪戯っぽい光を宿していたセラフィの瞳に、真摯な影がにじみだした。セラフィは目を逸らすことなく続けた。
「――影の一族は、あなたの決意に気づいていますよ」
思いも寄らない発言に、シルファは反応が遅れた。
「崇高な一族が望むなら何も言えません。だけど、だからこそ私は聖なる光を望みます。その可能性を潰すようなことはさせません。ミアにはシルファ様を好きでいてほしいです」
セラフィの思い詰めた声。シルファより早く反応したのはミアだった。
「わ、わたし、シルファを好きなんて言ってない!」
血相を変えて否定するミアに、セラフィはいつもの笑顔を取り戻した。
「はい。だから、シルファ様への信頼をなくしてほしくないっていう意味です」
シルファはあえてセラフィの告白を受け流して、話を変えた。
終焉を望む決意。いまさら影の一族に説き伏せられるような話ではない。
「それにしても、ミアは私に囚われなかったのか?」
セラフィもそれ以上何かを言うことはなく、まるで何事もなかったかのように、いつもの陽気さを取り戻した。
「そこは誉めてほしいですね」
不敵に笑って、セラフィが掌に珍しいものを乗せて、シルファに見せた。
「じゃ~ん! 崇高な一族の色香避け! 私はシルファ様の期待の上をいったでしょう?」
聖糖を淡い花色で染めたかのような、小さな立方体。シルファは瞠目した。
「まさか――、どうやって手に入れた?」
セラフィはふふっと不敵に笑う。
「影の一族の情報を甘く見ないで下さいよ」
シルファは聖糖に似た色香避けを眺めながら、以前ベルゼに何かを盛られたことを思い出す。古から変わることのない関係。影の一族は崇高な一族に必要なあらゆる知識と情報を持っているのだろう。心強いと同時に、空恐ろしくもあった。
「色香避けを使うとなると、痛みはどうやって誤魔化したんだ?」
「そこはミアの頑張りで」
「なんだって?」
「ミアが耐えてくれました」
「嘘だろ?」
「本当です」
どうしても信じられず、シルファは再びミアを見る。彼女は深く頷いてから、拗ねたように頬を膨らませてこちらを睨んだ。
「すっごく痛かったんだから!」
恨みがましそうな眼差しには、嘘をついている気配はない。
「――し、信じられない」
暗い記憶を辿れば、崇高な一族との関係を拒み、色香に囚われず吸血に臨んで亡くなった者もあった。強力な麻薬にも似た高揚感。それを断って臨めば、痛みのもたらす衝撃のあまり、死人が出るほどの過酷な儀式になってしまうのだ。
「頭に星が飛んでチカチカしたし、とにかくすっごく痛かった! 気を失いかけても、痛すぎて無理なくらい!」
痛みの問題を放棄して、単に聖女の貞操を守るだけの作戦。シルファはその方法の危うさに心が凍る。
「無謀にもほどがあるだろ。ミアが痛みに耐えきれず死んでしまったら、どうするつもりだったんだ」
「女性は痛みに強いと聞いたので」
「それだけの理由で?」
「はい」
飄々と答えるセラフィに、シルファは再び眩暈を感じた。もはや無謀を通り越して恐怖である。完全に期待の斜め上を行く作戦だった。
「いっそうのこと、色香に酔って私に抱かれた方がマシだったんじゃないのか?」
「それはもちろん考えました。ミアにもオススメしましたよ。……でも、ミアがシルファ様を嫌いになったら嫌ですからね」
ミアもセラフィの作戦には納得しているようで、声に力を込めて訴えた。
「シルファに変な事される位なら、噛み千切られた方がマシです!」
「変な事って……、心外だな」
もはやシルファには理解しがたい価値観だったが、ミアが身体を拓く事にどれほど嫌悪しているのかは伝わってきた。同時に聖なる光への希望を砕く手段であることも示されている。
聖女の信頼を粉々に打ち砕く行為。できるだけ避けて通りたいが、決意を見失いそうになった時に最終手段が在るのは、悪くない。
「まぁ、とにかく、私の期待を裏切らない働きだったことは認める。セラフィ、ありがとう」
「お役に立てて光栄です」
シルファは寝台に座っているミアを振り返る。
「ミアも、痛い思いをさせて悪かった。助かったよ、ありがとう」
「――うん。シルファが元気になったから、もういいよ」
屈託なくほほ笑むミアに、シルファは緩やかな痛みを感じる。
胸の空洞にある、深淵のような暗闇を照らすささやかな光。シルファには眩しすぎて正視できない。
だからこそ。
(――絶対に、ミアを聖なる光にはしない)
彼女は、必ず元の世界に帰してみせる。
シルファは眩暈を感じた。飢餓状態で、かつてそんな理性の飛ばし方をしたことがあっただろうか。渇望に伴う欲情は、いつも受動的に生まれる。色香で捉えた相手に誘われて昂じて行くはずなのだ。
どんな経緯をたどろうと、ミアに愛を囁くことは最悪の失態だった。
無理矢理凌辱する方が、まだ救いがある。
彼女を望む想いで外れた枷。シルファは一つの可能性に思い至った。
「――聖女の血に酔っていたのか?」
「酔っていたでしょうね。永くお仕えしていますが、あんなシルファ様を見たのは初めてだったので」
「なるほどね」
シルファは胸を撫でおろす。まだ告白が本心ではないと誤魔化すことが出来そうだった。
「それで? 私はミアを抱いたのか?」
「そこはガツンと防いでおきましたよ。――ミアにシルファ様を嫌いになってほしくなかったので」
悪戯っぽい光を宿していたセラフィの瞳に、真摯な影がにじみだした。セラフィは目を逸らすことなく続けた。
「――影の一族は、あなたの決意に気づいていますよ」
思いも寄らない発言に、シルファは反応が遅れた。
「崇高な一族が望むなら何も言えません。だけど、だからこそ私は聖なる光を望みます。その可能性を潰すようなことはさせません。ミアにはシルファ様を好きでいてほしいです」
セラフィの思い詰めた声。シルファより早く反応したのはミアだった。
「わ、わたし、シルファを好きなんて言ってない!」
血相を変えて否定するミアに、セラフィはいつもの笑顔を取り戻した。
「はい。だから、シルファ様への信頼をなくしてほしくないっていう意味です」
シルファはあえてセラフィの告白を受け流して、話を変えた。
終焉を望む決意。いまさら影の一族に説き伏せられるような話ではない。
「それにしても、ミアは私に囚われなかったのか?」
セラフィもそれ以上何かを言うことはなく、まるで何事もなかったかのように、いつもの陽気さを取り戻した。
「そこは誉めてほしいですね」
不敵に笑って、セラフィが掌に珍しいものを乗せて、シルファに見せた。
「じゃ~ん! 崇高な一族の色香避け! 私はシルファ様の期待の上をいったでしょう?」
聖糖を淡い花色で染めたかのような、小さな立方体。シルファは瞠目した。
「まさか――、どうやって手に入れた?」
セラフィはふふっと不敵に笑う。
「影の一族の情報を甘く見ないで下さいよ」
シルファは聖糖に似た色香避けを眺めながら、以前ベルゼに何かを盛られたことを思い出す。古から変わることのない関係。影の一族は崇高な一族に必要なあらゆる知識と情報を持っているのだろう。心強いと同時に、空恐ろしくもあった。
「色香避けを使うとなると、痛みはどうやって誤魔化したんだ?」
「そこはミアの頑張りで」
「なんだって?」
「ミアが耐えてくれました」
「嘘だろ?」
「本当です」
どうしても信じられず、シルファは再びミアを見る。彼女は深く頷いてから、拗ねたように頬を膨らませてこちらを睨んだ。
「すっごく痛かったんだから!」
恨みがましそうな眼差しには、嘘をついている気配はない。
「――し、信じられない」
暗い記憶を辿れば、崇高な一族との関係を拒み、色香に囚われず吸血に臨んで亡くなった者もあった。強力な麻薬にも似た高揚感。それを断って臨めば、痛みのもたらす衝撃のあまり、死人が出るほどの過酷な儀式になってしまうのだ。
「頭に星が飛んでチカチカしたし、とにかくすっごく痛かった! 気を失いかけても、痛すぎて無理なくらい!」
痛みの問題を放棄して、単に聖女の貞操を守るだけの作戦。シルファはその方法の危うさに心が凍る。
「無謀にもほどがあるだろ。ミアが痛みに耐えきれず死んでしまったら、どうするつもりだったんだ」
「女性は痛みに強いと聞いたので」
「それだけの理由で?」
「はい」
飄々と答えるセラフィに、シルファは再び眩暈を感じた。もはや無謀を通り越して恐怖である。完全に期待の斜め上を行く作戦だった。
「いっそうのこと、色香に酔って私に抱かれた方がマシだったんじゃないのか?」
「それはもちろん考えました。ミアにもオススメしましたよ。……でも、ミアがシルファ様を嫌いになったら嫌ですからね」
ミアもセラフィの作戦には納得しているようで、声に力を込めて訴えた。
「シルファに変な事される位なら、噛み千切られた方がマシです!」
「変な事って……、心外だな」
もはやシルファには理解しがたい価値観だったが、ミアが身体を拓く事にどれほど嫌悪しているのかは伝わってきた。同時に聖なる光への希望を砕く手段であることも示されている。
聖女の信頼を粉々に打ち砕く行為。できるだけ避けて通りたいが、決意を見失いそうになった時に最終手段が在るのは、悪くない。
「まぁ、とにかく、私の期待を裏切らない働きだったことは認める。セラフィ、ありがとう」
「お役に立てて光栄です」
シルファは寝台に座っているミアを振り返る。
「ミアも、痛い思いをさせて悪かった。助かったよ、ありがとう」
「――うん。シルファが元気になったから、もういいよ」
屈託なくほほ笑むミアに、シルファは緩やかな痛みを感じる。
胸の空洞にある、深淵のような暗闇を照らすささやかな光。シルファには眩しすぎて正視できない。
だからこそ。
(――絶対に、ミアを聖なる光にはしない)
彼女は、必ず元の世界に帰してみせる。
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