39 / 83
第九章:甘い香り
4:ベルゼの報告
しおりを挟む
シルファはベルゼからの連絡を受けて、本部から王宮の離れへと移っていた。離れの最奥の部屋には、気休め程度に魔力を助ける魔具があった。変幻を強いているベルゼの声を聞くには、魔鏡に声を映す方が効率が良い。
「ベルゼか? 待たせたな」
(いいえ。ドラクル司祭について、噂が……)
「司祭?」
(はい。娘がいたという噂があります)
「――娘?」
(はい。聖堂で隣国からやって来た商人が、そんな話をしていたようです)
「隣国? リディアか?」
(ーーはい)
シルファは長椅子に掛けたまま、表情を険しくした。
隣国リディア。元はマスティアの一地域だったが、古に独立した国である。マスティアに等しい信仰をもっていたが、月日が経るごとに同じ祖の信仰が、少しずつ変遷している。
アラディアが潜伏しているのではないかと、一番危惧している地域でもあった。
「だが、司祭に娘がいて、何がおかしいんだ?」
(司祭の娘が悪魔付きだったとの話があったようです)
「――悪魔憑き」
マスティアの魔女狩りに等しく、リディアには悪魔祓いがある。聖なる黒の書の影響を如実に受けているのだ。本来であれば、崇高な一族しか知らない黒の書の内容がリディアでは流布されている。
教会は真っ向から否定しているが、今では聖なる双書を源に、リディアでは信仰が二つに割れるほどである。
自然に寄り添う営みを礎にした、聖なる白の書を聖典とする信仰を、聖白派。
心の闇から逃げないことを礎とする、聖なる双書を聖典とする信仰を、真双派。
真双派の誕生には、アラディアが長い月日をかけて介入しているのではないかと睨んでいる。
「だが、今は司祭に娘がいるという話は聞かないな。しかも現在マスティアの教会にあるのなら、ドラクル司祭は聖白派だ。なぜ悪魔憑きと言う話になる?」
(娘は生まれつき体が弱く、治療も薬も効かない状態だったようです。もちろんドラクル司祭は聖白派の人間なので、悪魔憑きを真っ向から否定していたようですが、母親が悪魔の仕業だという考えに縋るようになったと。司祭はその妻とは離縁したとの噂です。娘は悪魔払いの甲斐もなく、亡くなったらしいですが……)
「わかった。その噂については、裏を取る」
(はい。ただ、ドラクル司祭がマスティアに赴任した折に、その娘を連れていたのではないかという話があります)
「亡くなった娘を? 仮に生きていたとしても、今は誰も見たことがないだろ?」
(子どもたちの噂です。司祭と同じ、黒髪の幼女を見たことがあると。いつの間にかいなくなったそうですが)
「まるで幽鬼だな。とにかくリディアでの話の裏を取る。娘の消息の是非もそれで明らかになるだろう」
(わかりました。娘の話もそうですが、まだ気になることがーーっ)
「ベルゼ?」
唐突に声が途切れた。シルファは立ち上がって魔鏡に触れる。どんなに呼びかけても返答がない。
「ベルーーっ」
突然、シルファの胸にどっと衝撃が走った。一瞬にして脳裏が真紅に染まる。まずいと思う間もなく、砕け散るかのような激痛に襲われた。
「――っ!」
その場に膝をつくと、床に敷き詰められた美しい絨毯の模様が、真紅の染みで失われていた。さらに、ボタリと夥しい量の血が飛散する。自分が吐血していることに、ようやく気づいた。
(まさかーーベルゼが、殺られた?)
誰にと考える余裕もない。
早急に変幻を解いて引き戻す必要があったが、圧倒的に魔力が足りない。
(これは、まずいな)
命を削る勢いで力が消耗していくのがわかる。切り離すべきか一瞬逡巡したが、シルファはベルゼを留めおくことを選んだ。
永い時を過ごした相棒を見捨てる選択肢などない。
魔鏡のある美しい部屋が遠ざかる。目の前がすうっと狭窄し、調度の色が失われていく。視界が真紅にのまれ、やがてそれは暗黒となった。
シルファは崩れ落ちるように、意識を手放した。
支部と住居を兼ねている小さな家に戻ってから、ミアはセラフィと女の襲撃について振り返っていた。
「セラフィがいなかったら、どうなっていたんだろう」
もし自分に影の一族の護衛がなければ、これまでに起きた凄惨な事件と同じ末路を辿っていたのだろうか。
「ミアは絶対に守りますから、大丈夫ですよ」
セラフィが食卓について、ミアの入れた珈琲をすすっている。女の襲撃にも全く動じている気配がない。彼女の余裕が心強く映る。ミアもセラフィの向かいの椅子にかけようとした時、玄関が騒がしくなった。こんな時間に支部を訪れる人間がいるだろうか。ミアが不安を感じていると、セラフィがすぐに動く。
支部の戸を叩いたのは、どうやら影の一族のようだった。ミアがほっと安堵したのも束の間で、セラフィが血相を変えて戻ってくる。
「ミア! まずいです! とにかく王宮の離れに向いましょう!」
「え? どうしたの?」
「ベルゼが失敗したみたいです!」
「どういうこと?」
全く状況がわからないが、セラフィの切羽詰まった様子から、ミアは何の迷いもなく王宮の離れに向かった。
「ベルゼか? 待たせたな」
(いいえ。ドラクル司祭について、噂が……)
「司祭?」
(はい。娘がいたという噂があります)
「――娘?」
(はい。聖堂で隣国からやって来た商人が、そんな話をしていたようです)
「隣国? リディアか?」
(ーーはい)
シルファは長椅子に掛けたまま、表情を険しくした。
隣国リディア。元はマスティアの一地域だったが、古に独立した国である。マスティアに等しい信仰をもっていたが、月日が経るごとに同じ祖の信仰が、少しずつ変遷している。
アラディアが潜伏しているのではないかと、一番危惧している地域でもあった。
「だが、司祭に娘がいて、何がおかしいんだ?」
(司祭の娘が悪魔付きだったとの話があったようです)
「――悪魔憑き」
マスティアの魔女狩りに等しく、リディアには悪魔祓いがある。聖なる黒の書の影響を如実に受けているのだ。本来であれば、崇高な一族しか知らない黒の書の内容がリディアでは流布されている。
教会は真っ向から否定しているが、今では聖なる双書を源に、リディアでは信仰が二つに割れるほどである。
自然に寄り添う営みを礎にした、聖なる白の書を聖典とする信仰を、聖白派。
心の闇から逃げないことを礎とする、聖なる双書を聖典とする信仰を、真双派。
真双派の誕生には、アラディアが長い月日をかけて介入しているのではないかと睨んでいる。
「だが、今は司祭に娘がいるという話は聞かないな。しかも現在マスティアの教会にあるのなら、ドラクル司祭は聖白派だ。なぜ悪魔憑きと言う話になる?」
(娘は生まれつき体が弱く、治療も薬も効かない状態だったようです。もちろんドラクル司祭は聖白派の人間なので、悪魔憑きを真っ向から否定していたようですが、母親が悪魔の仕業だという考えに縋るようになったと。司祭はその妻とは離縁したとの噂です。娘は悪魔払いの甲斐もなく、亡くなったらしいですが……)
「わかった。その噂については、裏を取る」
(はい。ただ、ドラクル司祭がマスティアに赴任した折に、その娘を連れていたのではないかという話があります)
「亡くなった娘を? 仮に生きていたとしても、今は誰も見たことがないだろ?」
(子どもたちの噂です。司祭と同じ、黒髪の幼女を見たことがあると。いつの間にかいなくなったそうですが)
「まるで幽鬼だな。とにかくリディアでの話の裏を取る。娘の消息の是非もそれで明らかになるだろう」
(わかりました。娘の話もそうですが、まだ気になることがーーっ)
「ベルゼ?」
唐突に声が途切れた。シルファは立ち上がって魔鏡に触れる。どんなに呼びかけても返答がない。
「ベルーーっ」
突然、シルファの胸にどっと衝撃が走った。一瞬にして脳裏が真紅に染まる。まずいと思う間もなく、砕け散るかのような激痛に襲われた。
「――っ!」
その場に膝をつくと、床に敷き詰められた美しい絨毯の模様が、真紅の染みで失われていた。さらに、ボタリと夥しい量の血が飛散する。自分が吐血していることに、ようやく気づいた。
(まさかーーベルゼが、殺られた?)
誰にと考える余裕もない。
早急に変幻を解いて引き戻す必要があったが、圧倒的に魔力が足りない。
(これは、まずいな)
命を削る勢いで力が消耗していくのがわかる。切り離すべきか一瞬逡巡したが、シルファはベルゼを留めおくことを選んだ。
永い時を過ごした相棒を見捨てる選択肢などない。
魔鏡のある美しい部屋が遠ざかる。目の前がすうっと狭窄し、調度の色が失われていく。視界が真紅にのまれ、やがてそれは暗黒となった。
シルファは崩れ落ちるように、意識を手放した。
支部と住居を兼ねている小さな家に戻ってから、ミアはセラフィと女の襲撃について振り返っていた。
「セラフィがいなかったら、どうなっていたんだろう」
もし自分に影の一族の護衛がなければ、これまでに起きた凄惨な事件と同じ末路を辿っていたのだろうか。
「ミアは絶対に守りますから、大丈夫ですよ」
セラフィが食卓について、ミアの入れた珈琲をすすっている。女の襲撃にも全く動じている気配がない。彼女の余裕が心強く映る。ミアもセラフィの向かいの椅子にかけようとした時、玄関が騒がしくなった。こんな時間に支部を訪れる人間がいるだろうか。ミアが不安を感じていると、セラフィがすぐに動く。
支部の戸を叩いたのは、どうやら影の一族のようだった。ミアがほっと安堵したのも束の間で、セラフィが血相を変えて戻ってくる。
「ミア! まずいです! とにかく王宮の離れに向いましょう!」
「え? どうしたの?」
「ベルゼが失敗したみたいです!」
「どういうこと?」
全く状況がわからないが、セラフィの切羽詰まった様子から、ミアは何の迷いもなく王宮の離れに向かった。
10
お気に入りに追加
452
あなたにおすすめの小説


二度目の召喚なんて、聞いてません!
みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。
その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。
それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」
❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。
❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。
❋他視点の話があります。

聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件
バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。
そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。
志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。
そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。
「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」
「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」
「お…重い……」
「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」
「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」
過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。
二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。
全31話
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

教会を追放された元聖女の私、果実飴を作っていたのに、なぜかイケメン騎士様が溺愛してきます!
海空里和
恋愛
王都にある果実店の果実飴は、連日行列の人気店。
そこで働く孤児院出身のエレノアは、聖女として教会からやりがい搾取されたあげく、あっさり捨てられた。大切な人を失い、働くことへの意義を失ったエレノア。しかし、果実飴の成功により、働き方改革に成功して、穏やかな日常を取り戻していた。
そこにやって来たのは、場違いなイケメン騎士。
「エレノア殿、迎えに来ました」
「はあ?」
それから毎日果実飴を買いにやって来る騎士。
果実飴が気に入ったのかと思ったその騎士、イザークは、実はエレノアとの結婚が目的で?!
これは、エレノアにだけ距離感がおかしいイザークと、失意にいながらも大切な物を取り返していくエレノアが、次第に心を通わせていくラブストーリー。
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです
新条 カイ
恋愛
ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。
それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?
将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!?
婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。
■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…)
■■
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる