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第九章:甘い香り

3:女の襲撃

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 ミアは久しぶりに黄昏になる前に教会を出た。辺りはまだ陽光に照らされている。教会を出てから、馴染みの店へも立ち寄ったが、空はまだ明るい。

 石畳に長い影が描かれているのを見ながら、店を出て帰途についた。夕食の材料を抱えながら、思わず鼻歌を歌ってしまう。シルファのために食事を用意する。それだけの事なのに、ごまかしようもなく気分が弾む。

 ここまで気持ちが浮つくと、自覚した想いに言い訳する気にもならない。

(そういえば、最近はひどい事件が起きたって聞かないな)

 王宮で起きた事件以来、魔女狩りの噂を聞かない。どのくらいの頻度で繰り返されてきたのか分からないが、悲惨な事件が起きていないのは喜ぶべきだ。もしかすると、シルファの率いる呪術対策局が、何らかの真相にたどり着いたのだろうか。既に解決させたのかもしれない。

 そこまで考えて、ミアはさすがに希望を重ねすぎだと自重した。

 シルファに危険な目にあってほしくない。晴れない憂慮が、都合の良い結果を求めてしまう。

(何事もなく解決するといいのにな)

 小さな家が見えてくる頃には、おっとりとした陽光も失われ、空が暮れ始めていた。朝の喧騒が嘘のように、人の気配が途絶えた路。

 赤く焼けた空の端が、怖いくらいに美しい。

 ミアは思わず足を止めて魅入ってしまう。

(こういうの、なんて言うのかな。――逢魔が時?)

 昼と夜の狭間。人の欲が溢れて魑魅魍魎を呼ぶ。こちらの世界にはない考え方だろうか。夕焼けが街並みを赤く染め上げ、ゆっくりと闇にのまれ始める。

 ミアは再び歩き始めながら、視界の端に何かが過ったのを感じた。咄嗟に目を向けると、細い路地へ入るこむように、ひらりと白い生地が閃いて見えなくなった。

(あれはーー)

「あの……」

「ひゃあっ!」

 ミアは小さく悲鳴をあげる。
 すぐ背後から聞こえた、か細い声。胸を押さえながら振り返ると、ふくよかな女性が立っている。どこかで見たことが在るような気がしたが、知り合いでもなく良くわからない。

「あ、ごめんなさい。後ろに人がいるなんて思わなかったので、驚いてしまって……」

 言いながら、ミアは鼻に触れた香りを意識した。嗅ぎなれた甘い香り。思わず近くにシルファがいるのではないかと、さっと視線を彷徨わせるが姿はない。
 気のせいかと諦めて、ミアは改めて声をかけてきた女性を見た。

「わたしに何か?」

 女性が一歩ミアに近づいた。再びふわりと甘い香りが漂う。

「あなたは聖女ですか?」

「え?」

 ミアはぎくりとして一歩後ずさる。どういう意味なのかを推し量りながら女の顔を見るが、何の意図も掴めない。磁器人形のような無表情と虚ろな瞳。ぞっと血の気が引いた。

「はいはい! そこまでですよ!」

 場違いな陽気さで、聞きなれた声が二人の間に割って入った。

「セラフィ!」

 現れた華奢な人影。自分と変わらない小さな背中なのに、なぜかミアは底知れない逞しさを感じた。

「なんでしょうね? これはやっぱり洗脳かな?」

 ミアに背を向けたまま、女と対峙してセラフィが首を傾げている。ミアはふと辺りの気配が変わっていることに気づく。いつの間にか、支部で見たことのあるシルファの部下――影の一族シャドウが、半円を描くように並び、背後に集っていた。

「私はあなたに伺いたいことがあるのです」

 女は動じることもなく、セラフィごしにミアを見据えている。

「聖女なら救いを。もし違うのなら、悪しき魔女には罰を――」

 当たり前のことを語るように、女は言い募る。その様が余計に不気味だった。

「あなたは聖女ですか?」

「ご婦人! あなたの相手はこっちですよ」

 セラフィが女の肩に触れると、女がばしりとセラフィの手を弾いた。

「邪魔をするな!」

 女はわき目もふらずに、ミアへと詰め寄ってくる。底知れない恐れにのまれて、ミアは一歩も動けない。ざっと影の一族シャドウが女へと近付く。セラフィが今まで聞いたこともない厳しい声を出した。

「捕えてください! そのご婦人を調べる必要があります」

 影の一族シャドウが取り囲むと、ふくよかな女性は咆哮のような声をあげて暴れる。さっきまでの穏やかさが嘘のように豹変した。まるで理性を失った獣のように手足を振り回す。どこから取り出したのか、手に刃物を持って影の一族に斬りつけようとする。
 ミアは思わず「危ない!」と叫んだ。

「邪魔をするな! 魔女のしもべか!」

 罵るように叫びながら、正気とは思えない眼差しで女がミアを見た。目が合っただけなのに、ミアは背筋が凍る。
 やがて屈強な影の一族シャドウが女の首に手刀を放った。的確に意識を奪い、影の一族シャドウが女を荷物のように抱え上げる。

「局長に連絡を! 女は本部へ連行して下さい」

 セラフィの指示に、影の一族は速やかに従う。ミアはぺたりとその場に座り込んでしまった。小刻みに自分の身体が震えていることに気づく。

「ミア? 大丈夫ですか? ――大丈夫じゃないみたい?」

 セラフィがいつもの調子を取り戻して、ミアの前にかがみ込む。同じ視線の高さで労わるように綺麗な顔を曇らせている。

「あ、大丈夫。ちょっと、びっくりしただけで……」

 いつの間に手を放していたのか、買い物した荷物を落としていた。ミアは抱えなおしながら、辺りに転がっていた物を拾う。落し物に伸ばした手が、やはりガタガタと震えていた。
 セラフィが先に手を伸ばして拾うと、ミアの手を握った。

「もう大丈夫ですから」

「うん」

 セラフィの労わるような微笑みに、ミアは少しだけ落ち着きを取り戻した。すうっと大きく呼吸をする。
スカートをはたきながら立ち上がると、セラフィがぎゅっと肩を抱いてくれた。

「送りますよ」

「うん、ありがとう。セラフィ」
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