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第九章:甘い香り
2:旧聖堂
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ミアは菜園の中を歩き回って、香りの出所を探った。
どちらかというと、菜園の奥の方から漂ってきている。ミアは視界に入った古びた建物をじっと眺めた。
手入れを諦めて久しいのか、寂れているが造形の美しさは損なわれていない。もしかすると現在の聖堂の前には、こちらの建物が聖堂として機能していたのだろうか。
ミアは菜園をあてもなく徘徊して、少しずつ香りの出所を探っていく。香りを追いかけていると、少しずつその朽ちた聖堂へと近づいていく。はじめは気のせいかと思ったが、とうやら香りがそちらから流れてくるのは間違いない。
建物の裏にこの香りを生む雑草でも生えているのだろうか。香りを辿っていると、とりどりの野菜が植えられた菜園の敷地を越えていた。いつのまにか畝のない耕されていない所を踏み越えて、ミアは誘われるように、真っすぐ古びた建物へと進む。
やがて菜園が背後に遠ざかる。ミアは今まで踏み入ったことのない朽ちた聖堂の前に立っていた。
一帯を包むように芳香が充満している。シルファの苛烈な香りほどではないが、心地よくミアを包み込む。
ミアはどこかに原因となる植物や花でも咲いていないかと、ぐるりと建物の周りを歩いた。
遠目に眺めていた時よりは、建物を大きく感じる。現在の聖堂と異なり、装飾の輝きは褪せ、窓は鎧戸のようなもので閉ざされている。
建物の周りを一周してみたが、これといって強く香る不自然なものはない。朽ちた聖堂の大きな扉には、取っ手の部分には鎖が施され、錠のようなものが付けられていた。
出入りは禁止かと思ったが、よく見ると鎖につけられている錠がきちんと噛み合っていない。
(鍵が外れてる?)
ミアが鎖にかかっているだけの錠に手を伸ばした時、背後で草を踏みしめる音がした。
誰かがいるとは考えていなかったミアは、ぎくりとして弾かれたように振り返った。
「ドラクル司祭?」
黒髪と白い衣装が、緩い風に洗われてなびく。午前中の光線を浴びて、彼の纏う衣装の細工が輝いた。見慣れた厳かな立ち姿に、ミアは肩の力を抜いた。
「ミアには話していませんでしたか? この建物は危険なのです。いつ壁が剥がれ落ちてくるかもわかりませんから、近づかない方が良いのですよ」
言われてみれば、子どもたちがこの建物に近づいているのを見たことがない。
崩れ落ちてくるほどの廃墟という印象はなかったが、ミアは素直に頷いた。
「ごめんなさい」
香りを辿ってきただけだと言いかけて呑み込んだ。自分の鼻にしか触れない香りのことを話しても仕方がない。
「それにしても、こんなところで何をしていたのですか?」
「あ、……まるで聖堂みたいだなって。少し近くで眺めてみたかっただけです」
「ああ。昔は聖堂でした。今の聖堂が新しく建つ前の話です。教会の敷地も、今とは少し異なっていたようですよ」
「え? それはドラクル司祭が来る前の話ですか?」
ドラクルが元来た道を戻るように歩き出したので、ミアもついて歩く。
「――ええ。私がこちらの司祭になってからは、まだ日が浅いですから」
「そうなんですか」
ドラクルの若さでは、司祭としては若輩のようだった。人々の慕い方やこどもの懐き方から、彼は長い月日をこの土地で過ごしてきたように見えたが、この町で生まれ育ったわけではないのだろうか。
「私はマスティアの生まれではありません」
「え?」
「隣国のリディア出身です。こちらの教会に赴任してからは、まだ五、六年といったところでしょうか」
「ドラクル司祭は町の人に慕われているから、この町の生まれだとばかり思っていました」
素直に司祭の印象を語りながら、ミアはふと古い聖堂の外れた錠を思い出して、ドラクルを仰ぐ。
「そういえば、あの聖堂の入り口の鍵が外れていましたよ」
「え?」
ドラクルが予想以上に驚いた顔でミアを見た。どこか焦りの見られる反応だった。
「扉の鎖についている鍵です。もし子ども達がふざけて入ったりすると危ないかも」
「そうですか。――ミアはこのまま戻って下さい。私は鍵を見てきます」
「はい。気を付けてくださいね」
「ありがとうございます」
ドラクルはすぐに踵を返して、古びた旧聖堂へと戻る。ミアが菜園まで戻ると、緑の影に隠れるようにルミエが立っていた。
「どうしたの? もうお勉強は終わった?」
他の子ども達の気配はない。ルミエはふるふると首を振った。そっとミアの手をとって、指先を滑らせる。
(「ミアが心配だったから、抜けてきた」)
「ええ? わたしは大丈夫だよ。何も危ないことしてないし」
まるで小さな騎士だなと、ミアは微笑ましくなる。「ありがとう」と笑うと、ルミエも笑顔を見せた。戻ろうと言いたげに、小さな手がミアの腕を引いた。
どちらかというと、菜園の奥の方から漂ってきている。ミアは視界に入った古びた建物をじっと眺めた。
手入れを諦めて久しいのか、寂れているが造形の美しさは損なわれていない。もしかすると現在の聖堂の前には、こちらの建物が聖堂として機能していたのだろうか。
ミアは菜園をあてもなく徘徊して、少しずつ香りの出所を探っていく。香りを追いかけていると、少しずつその朽ちた聖堂へと近づいていく。はじめは気のせいかと思ったが、とうやら香りがそちらから流れてくるのは間違いない。
建物の裏にこの香りを生む雑草でも生えているのだろうか。香りを辿っていると、とりどりの野菜が植えられた菜園の敷地を越えていた。いつのまにか畝のない耕されていない所を踏み越えて、ミアは誘われるように、真っすぐ古びた建物へと進む。
やがて菜園が背後に遠ざかる。ミアは今まで踏み入ったことのない朽ちた聖堂の前に立っていた。
一帯を包むように芳香が充満している。シルファの苛烈な香りほどではないが、心地よくミアを包み込む。
ミアはどこかに原因となる植物や花でも咲いていないかと、ぐるりと建物の周りを歩いた。
遠目に眺めていた時よりは、建物を大きく感じる。現在の聖堂と異なり、装飾の輝きは褪せ、窓は鎧戸のようなもので閉ざされている。
建物の周りを一周してみたが、これといって強く香る不自然なものはない。朽ちた聖堂の大きな扉には、取っ手の部分には鎖が施され、錠のようなものが付けられていた。
出入りは禁止かと思ったが、よく見ると鎖につけられている錠がきちんと噛み合っていない。
(鍵が外れてる?)
ミアが鎖にかかっているだけの錠に手を伸ばした時、背後で草を踏みしめる音がした。
誰かがいるとは考えていなかったミアは、ぎくりとして弾かれたように振り返った。
「ドラクル司祭?」
黒髪と白い衣装が、緩い風に洗われてなびく。午前中の光線を浴びて、彼の纏う衣装の細工が輝いた。見慣れた厳かな立ち姿に、ミアは肩の力を抜いた。
「ミアには話していませんでしたか? この建物は危険なのです。いつ壁が剥がれ落ちてくるかもわかりませんから、近づかない方が良いのですよ」
言われてみれば、子どもたちがこの建物に近づいているのを見たことがない。
崩れ落ちてくるほどの廃墟という印象はなかったが、ミアは素直に頷いた。
「ごめんなさい」
香りを辿ってきただけだと言いかけて呑み込んだ。自分の鼻にしか触れない香りのことを話しても仕方がない。
「それにしても、こんなところで何をしていたのですか?」
「あ、……まるで聖堂みたいだなって。少し近くで眺めてみたかっただけです」
「ああ。昔は聖堂でした。今の聖堂が新しく建つ前の話です。教会の敷地も、今とは少し異なっていたようですよ」
「え? それはドラクル司祭が来る前の話ですか?」
ドラクルが元来た道を戻るように歩き出したので、ミアもついて歩く。
「――ええ。私がこちらの司祭になってからは、まだ日が浅いですから」
「そうなんですか」
ドラクルの若さでは、司祭としては若輩のようだった。人々の慕い方やこどもの懐き方から、彼は長い月日をこの土地で過ごしてきたように見えたが、この町で生まれ育ったわけではないのだろうか。
「私はマスティアの生まれではありません」
「え?」
「隣国のリディア出身です。こちらの教会に赴任してからは、まだ五、六年といったところでしょうか」
「ドラクル司祭は町の人に慕われているから、この町の生まれだとばかり思っていました」
素直に司祭の印象を語りながら、ミアはふと古い聖堂の外れた錠を思い出して、ドラクルを仰ぐ。
「そういえば、あの聖堂の入り口の鍵が外れていましたよ」
「え?」
ドラクルが予想以上に驚いた顔でミアを見た。どこか焦りの見られる反応だった。
「扉の鎖についている鍵です。もし子ども達がふざけて入ったりすると危ないかも」
「そうですか。――ミアはこのまま戻って下さい。私は鍵を見てきます」
「はい。気を付けてくださいね」
「ありがとうございます」
ドラクルはすぐに踵を返して、古びた旧聖堂へと戻る。ミアが菜園まで戻ると、緑の影に隠れるようにルミエが立っていた。
「どうしたの? もうお勉強は終わった?」
他の子ども達の気配はない。ルミエはふるふると首を振った。そっとミアの手をとって、指先を滑らせる。
(「ミアが心配だったから、抜けてきた」)
「ええ? わたしは大丈夫だよ。何も危ないことしてないし」
まるで小さな騎士だなと、ミアは微笑ましくなる。「ありがとう」と笑うと、ルミエも笑顔を見せた。戻ろうと言いたげに、小さな手がミアの腕を引いた。
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