聖女よ、我に血を捧げよ 〜異世界に召喚されて望まれたのは、生贄のキスでした〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
35 / 83
第八章:マスティアの信仰

5:聖女の後悔

しおりを挟む
 穴があったら入りたい。むしろ潜りこんでしまいたい。
 苦し紛れに口から飛び出た言葉を思い出すたびに、自分でも呆れてしまう。

(シルファのことをおやつだって思うことにした!)

 もう完全にアホの子である。

 内心で失態にのたうち回りながら、ミアは何とかいつもの自分を演じていた。やはりシルファは自分を気遣って、生活時間をずらしていたのだろう。今朝は久しぶりに一緒に朝食を摂っている。

 そっとシルファを窺うと、顔色が幾分よくなっている気がした。もともと透けるような白い肌だが、見慣れた顔色に戻っている。聖女の恩恵の効果だろうかと、ミアは昨夜の失態が決して無意味ではなかったと言い聞かせた。

 食べ終わったシルファが席を立つのを見て、ミアは何とか平常心のまま切り抜けたとそっと吐息をつく。

「ごちそうさま。美味しかった」

 シルファの声に、ミアはぱっと顔が緩んでしまう。努力の結果が報われるのは、素直に嬉しい。

「良かった」

 自然に笑顔が浮かぶ。シルファは今日も支部に留まるのではなく、本部へ赴くらしい。上着を手にした彼に、ミアは予定を確認した。

「シルファ、あの、……今日は、夕食を作っておいても大丈夫?」

 彼がミアに視線を向ける。ミアは目が合った途端に頬が熱くなった。今まで装っていた平常心の仮面がいとも簡単に外れてしまう。シルファは小さく笑ってから、聞き返してきた。

「私が戻らないとミアは碌な食事を摂らないってセラフィに聞いたが、そうなのか?」

 ミアはからかわれずに済んだと、気持ちを立て直す。

「簡単に済ませてはいるけど、食べているよ?」

「例えば?」

「パンと珈琲」

「……それだけ?」

「だって、味もないし自分のために何かを買ったり作ったしても、仕方ないっていうか……」

「なるほど」

 シルファは上着に袖を通しながら「じゃあ、戻って来るようにしようか」と笑う。ミアは心が弾むのを感じたが、自分のつまらない都合でシルファの仕事を邪魔したくはない。

「忙しいなら、無理しなくても良いよ。一人でもきちんと食べるようするから」

 彼がこちらを見る目を少し細めた。時折シルファは眩しいものを見るような顔をする。せっかく平常心を取り戻していたのに、ミアはまた恥ずかしさが込み上げそうになった。

「ミア、昨夜は夢を見たか?」

「え?」

「どんな夢なのかよくわからないが、……たぶん、おやつを食べる夢?」

 ぼっと顔に熱が集中する。勝手に顔色が反応するが、昨夜はひとしきり暴れまくった後は、すぐに眠ってしまった。気がかりがなくなったせいか、今朝は久しぶりに良い寝起きだったし、何かの夢を見た記憶もない。

「昨日は夢を見ていないけど」

 ミアはシルファから目を逸らしたまま、ぱたぱたと手で顔を煽ぎながら「どうして?」と聞いた。

「いや、約束通り聖女の恩恵を頂いたから、――ごちそうさまでした」

「ええ!? あの後に?」

 どう思い返しても、夢を見た記憶はない。忘れてしまっただけだろうか。

「おかげ様でだいぶ気分が良い」

「あ、そ、……そうですか。それは良かったですね」

 どんな反応をすれば良いのか分からず、変な口調になってしまう。シルファが笑っている気配を感じながら、何となく食卓の食器を見つめた。

「一つ聞いておきたいことがあるが」

 シルファの声に、ミアはゆっくりと顔をあげた。

「何?」

「渇望を満たした勢いで、おまえのことを抱いてしまったら怒るのかなと?」

「は?」

 一瞬思考が停止しかけたが、顔色がすぐに反応する。ふざけるなと言いかけたが、何とか踏みとどまった。彼がそんなことを言い出すのは、自分をからかっている時か、何か理由がある時なのだ。

 もし後者なら、きちんと話を聞く必要がある。

「そ、それは、その、――聖女の恩恵として、必要だったりする?」

 必要だと言われても困るが、出来ることと出来ないことははっきりと伝えておく必要がある。例えば輸血のように血を抜いて与えることで、変わりにならないだろうか。

(でも、輸血をずっと続けるとなると難しいかも)

 頻度によっては貧血を伴ったり、命の危険を伴うこともある。そう考えると血を与え続けることには限界があるだろう。シルファが血肉を求めないことが、すでに危殆に瀕する可能性を示しているような気もする。

「聖女の恩恵として? まぁ体液もそうだろうが、渇望を癒すのは唾液と変わらないだろうな」

「た、体液って――」

 何か途轍もなく高い壁を登らされている気がするが、ミアはハッと思い至る。シルファが渇望を癒すとどうなるか。

(欲望が、高まるーー?)

 他人事のように考えていたが、聖女の恩恵で渇望を満たすことにも、等しく当てはまるのかもしれない。ミアは正気が遠ざかるほどの陶酔感と高揚感を思い出した。シルファにも等しくもたらされるのだとしたら。

 掌に変な汗が滲む。

「――ムリ」

 無意識が声になっていた。

 そもそも自分はまだ処女なのだろうかという疑問がもたげてくる。聖女の絶対条件のような気もするが、崇高な一族にとっては重要ではないのかもしれない。

 もしかすると、既にシルファに奪われていたりするのだろうか。

(――わたしの、知らない間に……?)

 火照っていた顔からすうっと血の気が引くのがわかった。甘い蜜を与えられる夢。あの夢に、続きがなかっただろうか。

 甘い熱に囚われて、口づけのように積極的に応じていたらどうなるのか。
 剥き出しになった欲望のままに、彼に身体を開いていたら。

(そんなの、わたしじゃない)

 記憶を辿ってみても、わからない。ぎゅっと組み合わせた手に力がこもる。
 確かめるのが怖い。動悸がする。

「ミア? ――心配しなくても、眠っている女を欲望に任せて抱くようなことはしないよ」

 恐る恐るシルファを仰ぐ。自分はどんな顔をしていたのだろう。シルファが労わるように笑った。

「さすがに、そこまで下衆じゃない」

 冷たくなっていた手が、少しずつ温もりを取り戻す。ミアは手に込めていた力を緩めた。ホッと気持ちが落ち着くと、彼に物申したくなる。

「勝手にキスするだけでも、充分下衆ですけどね」

 ミアが勝気さを取り戻して彼を睨むと、シルファが悪戯っぽく笑う。

「キス? おまえは夢の中でおやつを食べていただけだろ?」

「――っ」

 一瞬で顔に血の巡りが戻る。頬が熱い。

「でも、悪かったな。少し調子に乗ってからかいすぎた」

「は?」

「残念ながら、おまえに欲情するには色気がなさすぎる」

 ミアの脳裏で、ブツリと何かが千切れる音がした。

「この変態! 飢えて死ね! 下衆! 死んでしまえ!」

 ミアは再び力の限り暴れた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

城内別居中の国王夫妻の話

小野
恋愛
タイトル通りです。

二度目の召喚なんて、聞いてません!

みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。 その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。 それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」 ❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。 ❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。 ❋他視点の話があります。

聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件

バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。 そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。 志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。 そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。 「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」 「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」 「お…重い……」 「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」 「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」 過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。 二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。 全31話

【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした

楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。 仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。 ◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪ ◇全三話予約投稿済みです

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

教会を追放された元聖女の私、果実飴を作っていたのに、なぜかイケメン騎士様が溺愛してきます!

海空里和
恋愛
王都にある果実店の果実飴は、連日行列の人気店。 そこで働く孤児院出身のエレノアは、聖女として教会からやりがい搾取されたあげく、あっさり捨てられた。大切な人を失い、働くことへの意義を失ったエレノア。しかし、果実飴の成功により、働き方改革に成功して、穏やかな日常を取り戻していた。 そこにやって来たのは、場違いなイケメン騎士。 「エレノア殿、迎えに来ました」 「はあ?」 それから毎日果実飴を買いにやって来る騎士。 果実飴が気に入ったのかと思ったその騎士、イザークは、実はエレノアとの結婚が目的で?! これは、エレノアにだけ距離感がおかしいイザークと、失意にいながらも大切な物を取り返していくエレノアが、次第に心を通わせていくラブストーリー。

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

処理中です...