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第八章:マスティアの信仰

2:死と痛み、決意と愛

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 ルミエと別れて教会を出ると、空の端に美しい藤色の闇が広がりつつあった。以前なら夕食の準備を考えて、慌てて帰途につく頃合いだが、最近は焦る必要もない。

 ここ数日、シルファは仕事の都合で帰宅が遅い。ミアが寝台に入り、眠りについてから戻って来ているようだった。朝も早くに出ていくのか、姿を見られない。ただ甘い残り香が漂っていて、彼がさっきまでここにいたのだと示す。

 自分独りだけなら、はりきって食事を作る気も起きない。珈琲をすすってパンでも齧っていれば充分だった。

 ミアが住処に戻ると、セラフィが食卓の近くにある長椅子で寛いでいた。

「あ、おかえり、ミア」

 夜が更けてからシルファが戻るせいか、いつもこの時間帯にはセラフィが顔を出す。

「セラフィ、毎日こっちに寄るの面倒じゃない? わたし、きちんと戸締りをするけど」

 セラフィはミアの警護のために支部の住処に立ち寄ってくれている。

「ミアはいい加減、自分の立場を理解してくださいよ」

 シルファが自身の素性を話した経緯から、ミアは既にセラフィが影の一族シャドウであることも承知している。

「――聖女の話?」

「そうです。本当はミアの傍には四六時中シルファ様にいてもらたい位です」

「それは無理だよ。シルファは忙しそうだし」

「忙しい、かぁ」

 意味ありげに繰り返す声に、ミアは「ん?」という顔をして彼女を見た。

「忙しくないの?」

 セラフィは何も答えない。ミアには少なからず心当たりがあるが、何となく口にすることが憚られてしまう。

「セラフィも今日は夕食一緒にどう? わたし用意するよ」

 強引に話を切り替えて、ミアは食材の準備をはじめる。セラフィは長椅子から食卓の椅子に移って「いりません」と答えた。

「夕食は遠慮しときます。ただ、ミアにひとつだけ情報をあげますね」

「情報?」

「シルファ様、かなり渇望してますよ」

「――か、渇望?」

 聖女の恩恵について打ち明けられた時から、日が経つごとにミアも気になっていた。あれから甘い蜜に満たされる夢を見た記憶がないのだ。

 自分が答えを保留にしているせいで、シルファが渇望している。
 予想していたが、もう逃げている場合ではなさそうだ。セラフィがはっきりと伝えて来るところを見ると、深刻なのだろうか。

「今はちょっと魔力の消費も必要だから、余計に渇くんですよね」

「わたしのせいだね」

 分かっていたのに、知らないふりをしていた。ミアが落ち込んだ声を出すと、セラフィが慌てて続けた。

「あ、いえ。連日人で補っているので、そこまで深刻な話じゃないですよ?」

「え?」

 ミアはセラフィの綺麗な翠色の瞳をのぞき込むように見据える。

「人でって――?」

 ミアの脳裏に以前見た光景が滲み出す。シルファの赤い瞳。血を求める延長にある女性の嬌声。絡み合う影。

「あ、それは、別に深い意味では……」

 セラフィは自分の失言に気づいたのか、視線を泳がせる。ミアが何も理解していない頃、彼女がからかうように言っていた言葉が浮かび上がってくる。

 渇望を満たすと、どうなるのか。
 ミアは胸の内に暗い気持ちが充満するのを感じた。

 聖女として考えなければならないことから目を逸らしていた。自分が悪いのであって、誰かを責めるような資格はない。

 言い聞かせても、胸が焼けるような嫌悪感があった。
 黙り込んでしまったミアの気持ちに、セラフィがそっと触れた。

「やっぱり、ミアはシルファ様が好きなんですね」

「――好きじゃない!」

 苛立ちに任せて答えると、セラフィが笑った。

「でも、妬いてますよね」

「――好きじゃないってば!」

 力強く言い募ると、セラフィはさらに笑う。

「やっぱりミアは可愛いなぁ。ミアが聖なる光アウルだったら、嬉しいのに」

 何気ない言葉に、ミアはふっと苛立ちが緩んだ。胸の内が聖なる光アウルへの興味に支配される。

「そういえば、アウルって何?」

 結局シルファには教えてもらえなかった。ただ自分は違うと言われただけだ。

聖なる光アウルは、崇高な一族サクリードを照らす光のような存在です。わかりやすく言うなら崇高な一族サクリードを愛した聖女のことですね。聖なる光アウルになると、聖女は崇高な一族サクリードになる。永久に崇高な一族サクリードと寄り添って生きる。その決意の愛が必要ですけどね」

「それって、シルファと生きる決意?」

「――はい。でも、示すのは簡単じゃないです」

「どうやって示すの?」

「あんまり話すとシルファ様に怒られちゃいますけど……。聖女が自ら、自分の心臓を抉り出して崇高な一族サクリードに与える。死と痛みと、決意と愛。全て必要です」

「自分が死んでしまうということ?」

「――まぁ、そうですね」

 崇高な一族サクリードと共に生きる。どういう意味での共生なのだろうか。心臓によってシルファに力を与えても、自分が死んでしまったら何も残らないのではないか。

 与えた心臓が彼の一部となって永久に在るということだろうか。
 崇高な一族サクリードが望む愛。ミアには理解できそうにない。理解できないことについて、覚悟が出来るはずもなかった。
 シルファが違うと言うのも当然である。

「でもまぁ、私も口伝を知っているだけなので……」

 ミアの戸惑いを察したのか、セラフィが困ったような顔をした。
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