31 / 83
第八章:マスティアの信仰
1:聖糖
しおりを挟む
教会に迷い込んだ少年――ルミエは、しばらく教会で預かることになった。ミアが見つけるまでの事情を、ルミエは一切語らない。
年齢は十歳にも満たない幼い容貌で、身に着けていた衣服から、どこかの子息ではないかと考えられたが、自分の素性を話したくない事情がありそうだった。
頑なに何も語らない少年に降参したのか、司祭のドラクルは自ら打ち明けるようになるまで、教会で少年の世話をすることを決めた。もともと教会には身寄りのない子や、事情を抱えた子どもたちが生活している。
ドラクルは公にルミエについての届けを出して、教会で受け入れた。今のところ、失踪や行方不明についての情報に当てはまることはなく、少年が語ったルミエという名が正しいのかどうかも分からない。
「あ、ルミエ」
彼が現れてから数日が経ったが、ミアはすっかりルミエに馴染んでいた。
ミアが教会にやって来て、文字を学んだり雑用の手伝いをしていると、いつのまにかルミエが傍らに現れる。まるで刷り込みでもあったかのように、ミアを親鳥のように追いかけてくるのだ。
「今日はこれから聖糖の補充に行こうかな」
ミアは角砂糖のような立方体の形をした砂糖菓子の容器を抱えていた。聖堂へと歩き出しながらルミエを振り返る。彼は頷いてぴったりとミアの隣に並んで歩きだした。
ミアもこの国では身寄りのない異端児のようなものだ。あどけない雰囲気で後ろをトコトコとついてくるルミエは素直に可愛かった。慕われることに悪い気はしない。
ドラクルもルミエの相手をミアに委ねてくれている。
二人が聖堂に入ると、中では幾人かの人が閑談していた。聖堂は毎日決まった時刻に開放されている。昼下がりの午後にもなると、聖堂には入れ替わり立ち代わり人が訪れる。
聖堂では常に聖糖と呼ばれる砂糖菓子が用意されていた。聖壇には美しい器に、山のように聖糖が積まれている。小さな白い立方体からは甘い匂いがする。ミアには角砂糖にしか見えない。マスティアでは縁起の良い物らしく、教会に訪れるたびに一ついただいているが、味覚を失っているので味は判断できなかった。
聖堂に訪れた人々は、聖糖を手に入れると幾何かの通貨を投じる。まるで神社の賽銭のようだったが、それがこの国の信仰の形なのかもしれない。
直接口に含む人もいれば、持ち帰って料理に使用する人もいる。
角砂糖のような、四角い飴玉のような、不思議な食感の砂糖菓子である。
教会で配布される聖糖は、マスティア王国の人々にとっては身近で、健やかな日々の象徴のようでもあった。
昼下がりの午後ともなれば、聖糖を求めてきた人達があちこちで閑談していたりする。ミアもすっかり見慣れてしまった、いつもの光景だった。
ミアがルミエと聖壇の聖糖を補充していると、ふいにルミエがミアのスカートをつんと引っ張った。
「どうしたの?」
ルミエを見ると彼は聖堂の出入り口を示す。見慣れた司祭服が過った。
「ドラクル司祭?」
ミアの声にルミエは頷く。彼がスカートを引っ張って催促するので、ミアは聖糖の補充を中断して、彼に促されるまま司祭を追いかけた。ドラクルは聖堂の影にある大きな木の下で、誰かと話している様だ。ミアが声をかけようとすると、ルミエが強く手を引っ張った。口元に人差し指を立てている。
どうやら隠れて様子を窺おうということらしい。意味が分からないまま、ルミエの示す通り聖堂の影に身を潜めて二人の様子を見る。
ふくよかな女性に向かってドラクルが何かを言っているが、ミアには内容が聞き取れない。やがて女性は無表情な面持ちのまま、ドラクルの前から走り去った。残されたドラクルは厳しい表情をしている。どこか深刻な空気だった。ミアは後ろめたさを感じて、ルミエの手を引いて聖堂の中に戻る。
再び聖壇の裏側に入って聖糖の補充をしながら、ルミエを見た。
「何か事情がありそうだったけど、でもね、ルミエ。人の話を盗み聞きするのは良くないよ」
ルミエは黒い大きな瞳でミアを仰いで、何か言いたげな顔をしていたが、すぐにしゅんと俯いてしまった。項垂れたルミエに、ミアは慌てて続ける。
「盗み聞きは良くないけど、――ルミエはあの二人に何か気になることがあったの? 心配してる事でもあるとか?」
ルミエはそっとミアの手を取った。掌に指を滑らせる。
「き、を、つ、け、て……気を付けて?」
少年は頷く。さらに指を滑らせた。
「この教会には秘密があるかもしれない?って、どんな秘密?」
ルミエは「まだわからない」と指先で示した。「とにかく気を付けて」というのが、ルミエの主張だった。ミアは昼下がりの聖堂を見渡すが、不穏な気配は感じられない。けれど、ルミエの黒い瞳は、真摯な光を宿している。ミアは頷いた。
「わかった。ルミエも何かあったらわたしに言ってね」
少年は頷く代わりに、ミアの小指をきゅっと握りしめた。
年齢は十歳にも満たない幼い容貌で、身に着けていた衣服から、どこかの子息ではないかと考えられたが、自分の素性を話したくない事情がありそうだった。
頑なに何も語らない少年に降参したのか、司祭のドラクルは自ら打ち明けるようになるまで、教会で少年の世話をすることを決めた。もともと教会には身寄りのない子や、事情を抱えた子どもたちが生活している。
ドラクルは公にルミエについての届けを出して、教会で受け入れた。今のところ、失踪や行方不明についての情報に当てはまることはなく、少年が語ったルミエという名が正しいのかどうかも分からない。
「あ、ルミエ」
彼が現れてから数日が経ったが、ミアはすっかりルミエに馴染んでいた。
ミアが教会にやって来て、文字を学んだり雑用の手伝いをしていると、いつのまにかルミエが傍らに現れる。まるで刷り込みでもあったかのように、ミアを親鳥のように追いかけてくるのだ。
「今日はこれから聖糖の補充に行こうかな」
ミアは角砂糖のような立方体の形をした砂糖菓子の容器を抱えていた。聖堂へと歩き出しながらルミエを振り返る。彼は頷いてぴったりとミアの隣に並んで歩きだした。
ミアもこの国では身寄りのない異端児のようなものだ。あどけない雰囲気で後ろをトコトコとついてくるルミエは素直に可愛かった。慕われることに悪い気はしない。
ドラクルもルミエの相手をミアに委ねてくれている。
二人が聖堂に入ると、中では幾人かの人が閑談していた。聖堂は毎日決まった時刻に開放されている。昼下がりの午後にもなると、聖堂には入れ替わり立ち代わり人が訪れる。
聖堂では常に聖糖と呼ばれる砂糖菓子が用意されていた。聖壇には美しい器に、山のように聖糖が積まれている。小さな白い立方体からは甘い匂いがする。ミアには角砂糖にしか見えない。マスティアでは縁起の良い物らしく、教会に訪れるたびに一ついただいているが、味覚を失っているので味は判断できなかった。
聖堂に訪れた人々は、聖糖を手に入れると幾何かの通貨を投じる。まるで神社の賽銭のようだったが、それがこの国の信仰の形なのかもしれない。
直接口に含む人もいれば、持ち帰って料理に使用する人もいる。
角砂糖のような、四角い飴玉のような、不思議な食感の砂糖菓子である。
教会で配布される聖糖は、マスティア王国の人々にとっては身近で、健やかな日々の象徴のようでもあった。
昼下がりの午後ともなれば、聖糖を求めてきた人達があちこちで閑談していたりする。ミアもすっかり見慣れてしまった、いつもの光景だった。
ミアがルミエと聖壇の聖糖を補充していると、ふいにルミエがミアのスカートをつんと引っ張った。
「どうしたの?」
ルミエを見ると彼は聖堂の出入り口を示す。見慣れた司祭服が過った。
「ドラクル司祭?」
ミアの声にルミエは頷く。彼がスカートを引っ張って催促するので、ミアは聖糖の補充を中断して、彼に促されるまま司祭を追いかけた。ドラクルは聖堂の影にある大きな木の下で、誰かと話している様だ。ミアが声をかけようとすると、ルミエが強く手を引っ張った。口元に人差し指を立てている。
どうやら隠れて様子を窺おうということらしい。意味が分からないまま、ルミエの示す通り聖堂の影に身を潜めて二人の様子を見る。
ふくよかな女性に向かってドラクルが何かを言っているが、ミアには内容が聞き取れない。やがて女性は無表情な面持ちのまま、ドラクルの前から走り去った。残されたドラクルは厳しい表情をしている。どこか深刻な空気だった。ミアは後ろめたさを感じて、ルミエの手を引いて聖堂の中に戻る。
再び聖壇の裏側に入って聖糖の補充をしながら、ルミエを見た。
「何か事情がありそうだったけど、でもね、ルミエ。人の話を盗み聞きするのは良くないよ」
ルミエは黒い大きな瞳でミアを仰いで、何か言いたげな顔をしていたが、すぐにしゅんと俯いてしまった。項垂れたルミエに、ミアは慌てて続ける。
「盗み聞きは良くないけど、――ルミエはあの二人に何か気になることがあったの? 心配してる事でもあるとか?」
ルミエはそっとミアの手を取った。掌に指を滑らせる。
「き、を、つ、け、て……気を付けて?」
少年は頷く。さらに指を滑らせた。
「この教会には秘密があるかもしれない?って、どんな秘密?」
ルミエは「まだわからない」と指先で示した。「とにかく気を付けて」というのが、ルミエの主張だった。ミアは昼下がりの聖堂を見渡すが、不穏な気配は感じられない。けれど、ルミエの黒い瞳は、真摯な光を宿している。ミアは頷いた。
「わかった。ルミエも何かあったらわたしに言ってね」
少年は頷く代わりに、ミアの小指をきゅっと握りしめた。
0
お気に入りに追加
452
あなたにおすすめの小説


二度目の召喚なんて、聞いてません!
みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。
その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。
それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」
❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。
❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。
❋他視点の話があります。

教会を追放された元聖女の私、果実飴を作っていたのに、なぜかイケメン騎士様が溺愛してきます!
海空里和
恋愛
王都にある果実店の果実飴は、連日行列の人気店。
そこで働く孤児院出身のエレノアは、聖女として教会からやりがい搾取されたあげく、あっさり捨てられた。大切な人を失い、働くことへの意義を失ったエレノア。しかし、果実飴の成功により、働き方改革に成功して、穏やかな日常を取り戻していた。
そこにやって来たのは、場違いなイケメン騎士。
「エレノア殿、迎えに来ました」
「はあ?」
それから毎日果実飴を買いにやって来る騎士。
果実飴が気に入ったのかと思ったその騎士、イザークは、実はエレノアとの結婚が目的で?!
これは、エレノアにだけ距離感がおかしいイザークと、失意にいながらも大切な物を取り返していくエレノアが、次第に心を通わせていくラブストーリー。

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。
なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。
追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。
優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。
誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、
リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。
全てを知り、死を考えた彼女であったが、
とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。
後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。

聖女召喚に巻き込まれた挙句、ハズレの方と蔑まれていた私が隣国の過保護な王子に溺愛されている件
バナナマヨネーズ
恋愛
聖女召喚に巻き込まれた志乃は、召喚に巻き込まれたハズレの方と言われ、酷い扱いを受けることになる。
そんな中、隣国の第三王子であるジークリンデが志乃を保護することに。
志乃を保護したジークリンデは、地面が泥濘んでいると言っては、志乃を抱き上げ、用意した食事が熱ければ火傷をしないようにと息を吹きかけて冷ましてくれるほど過保護だった。
そんな過保護すぎるジークリンデの行動に志乃は戸惑うばかり。
「私は子供じゃないからそんなことしなくてもいいから!」
「いや、シノはこんなに小さいじゃないか。だから、俺は君を命を懸けて守るから」
「お…重い……」
「ん?ああ、ごめんな。その荷物は俺が持とう」
「これくらい大丈夫だし、重いってそういうことじゃ……。はぁ……」
過保護にされたくない志乃と過保護にしたいジークリンデ。
二人は共に過ごすうちに知ることになる。その人がお互いの運命の人なのだと。
全31話
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる