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第五章:王宮の離れにて
3:甘く背徳的な夢
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近くで緩やかに風が動く。ふわりと甘い香りがした。ミアは綿菓子や生クリームのたっぷりと乗った洋菓子を連想する。もし味覚が戻るのなら、今は角砂糖を与えられても口に含むだろう。
うつらうつらとした意識の内に、甘い香りが充満していく。自分が夢現にあるのだとわかったが、目を開く気にはならない。このままふわりとした世界で微睡んでいたい。
甘い匂いはますます濃度を増し、ミアは思わずコクリと喉を鳴らした。唾液が滲み出して止まらない。
味覚に飢えている。とくに甘味を欲しているから、こんな夢を見るのだろうか。
甘い香りに全身を包まれ、まるで誰かに抱きしめられているようだった。
「――……」
唇に熱が触れる。いつもの合図だった。
ぬくもりを宿した蜂蜜を与えらるように、口の中いっぱいに甘味が広がる。
味覚が、今この瞬間にしか蘇らないことを知っている。
味わうということに飢えているのだと、ミアは夢を見るたびに思い知る。懸命に舌先に感じる蜜をねだった。
(甘いーー)
味わうことに満たされてくると、蜜に宿る熱に意識が囚われ始める。どこか後ろめたい気持ちが滲むのだ。甘さに絡む、官能的な熱。
翻弄されたまま、ぼんやりと意識をたどると、同じような記憶が開かれる。
(あの時、ーーシルファのキスと、……似てる)
自分はやはり彼に心を寄せているのだろう。味覚とシルファ。自分が欲しがっているものが、夢に暗示として浮かぶ。隠しようもなく、求めているものが明らかになってしまう。
ゆっくりと離れる気配を感じて、ミアは思わず腕を伸ばした。
夢なら良い。
夢なら、素直に求められる。
「――ミア」
シルファの声が形になった。ここでは、どんな希望も叶えられるのだろうか。ミアは真紅に光る、美しい瞳を見つけた。自分の欲望が見せる彼の面影。
「……シルファ?」
呼ぶと、もう一度激しく熱が触れて甘さが広がった。けれど、それはすぐに失われる。
「いけないな、これ以上はーー。おやすみ、私の聖女」
甘い香りに強く包まれ、それはふっと拡散する。ゆるやかな風が触れて、気配が離れた。
ぼんやりと目覚めると、視界の右側からほのかに光を感じた。わずかに見えるのは天蓋から下がる薄い生地。見慣れない光景に気づいて、ミアはぎくりとして辺りを見回した。
(――あ、ここは離れだった)
天蓋から下がる布越しに見える、広い室内。起きていようと思っていたのに、いつのまにか眠ってしまったようだ。部屋の灯りは落とされ、所々で小さな灯が揺れているだけだった。
(また、夢を見ていた気がする)
甘い夢。蜜をねだる、どこか背徳的な光景。今夜はシルファの声を聞いた気がする。そこまで考えて、ミアは妄想を追い払うように、むりやり思考を切り替える。
(わたし、眠っちゃったんだな)
長椅子で起きていようと決意していた筈なのに、なぜか寝台で横になっている。
セラフィが様子を見に来てくれたのだろうか。
彼女が長椅子で眠り込んでしまった自分を、寝台まで運んでくれたのかもしれない。
華奢なセラフィの背格好を思い出して、ミアは申し訳ない気持ちになる。
(結局、シルファは戻ってこなかったのかな)
寝台から出て、ミアは窓を覆う窓帷に手をかけた。まだ外は暗く、地平線にも全く薄明を感じない。夜明けまでには、幾何か時間がありそうだった。
改めて寝台に腰かけて、何気なく室内を眺めていたミアは、長椅子に人影があることに気づいて息を呑んだ。
小さな灯りが映す部屋の片隅を眺めていると、目が慣れてくる。
長椅子から投げ出されるように伸びる足。
(もしかして、シルファ?)
ミアは足音を殺すように人影に歩み寄った。
シルファが長椅子に身を預けて横たわっている。癖のない銀髪が、室内のわずかな灯りを反射していた。
彼の長身では、長椅子を寝台の代用にするには狭い。ミアは眠ってしまったことを悔いる。自分より疲れているだろうシルファに窮屈な思いをさせてしまった。
寝台は広いのに、ミアの隣で横になろうとしない真摯な一面を感じて、余計に後ろめたくなってしまう。
だからと言って、シルファを抱き上げて寝台に運ぶ力はない。起こすのも気が引ける。
ミアはとりあえず、寝台から肌掛けを持ち出して、そっとシルファに掛けた。
「……ミア?」
「あ、ごめんなさい。――起こしちゃった」
彼は長椅子から上体を起こして、気だるげに欠伸をする。
「なんか、ごめんね。わたしがこっちで寝るから、シルファはベッドを使って」
「ん? じゃあ一緒に寝るか?」
口調で面白がっているのがわかる。ミアは大げさに肩を落として見せた。
「そう言うと思った。せっかく人が真摯な面もあるんだなって好感を抱いていたのに、ぶち壊し」
「あのな、私だってさすがにおまえを長椅子に寝かせて自分がベッドを使うのは気がひける」
「気にしなくて良いよ。わたしの方が小柄だし、長椅子でもゆっくりと横になれる」
「そうなるだろ」
「え?」
「お互いに譲り合って埒が明かないから、手っ取り早く一緒にベッドを使う案を出したわけだが?」
シルファの言いたいことはわかるが、だからと言って同じ寝台で横になるのは恥ずかしすぎる。ミアが黙り込んでしまうと、彼がふっと息を吐き出す。
「まぁ、私のことをそこまで信用しろとは言えないから、おまえがベッドを使えば良い」
「それは駄目だよ。わたしが気を遣う」
ミアがすぐに反論すると、シルファは微笑む。
「そんなに気を遣うことはないよ。そもそも違う部屋を用意させても良かったが、私がミアの側にいたくてここを選んだんだ」
(わたしの側にいたい?)
きっと警護的な意味なのだろうと思い、ミアは聞き流そうかと思ったが、顔色が見事に反応してしまう。幸い室内が仄かな灯りで保たれていることが救いだった。
シルファはミアが寝台から持ち出した肌掛けをかぶって、再び長椅子に横になる。ミアは大きな寝台を振り返って、覚悟を決めた。
「――わかった。シルファのことを信じるから、一緒にベッドを使おう」
「おまえのその無防備なところ、心配になるな」
彼はもう長椅子を寝床に定めたのか、起き上がる気配がない。
「別に誰でも信用しているわけじゃないよ? シルファは泥酔でもしない限り、わたしに興味ないでしょ」
少し皮肉をこめて言うと、彼は大げさにため息をついて見せる。
「おまえ、私の話をきいていたか?」
うつらうつらとした意識の内に、甘い香りが充満していく。自分が夢現にあるのだとわかったが、目を開く気にはならない。このままふわりとした世界で微睡んでいたい。
甘い匂いはますます濃度を増し、ミアは思わずコクリと喉を鳴らした。唾液が滲み出して止まらない。
味覚に飢えている。とくに甘味を欲しているから、こんな夢を見るのだろうか。
甘い香りに全身を包まれ、まるで誰かに抱きしめられているようだった。
「――……」
唇に熱が触れる。いつもの合図だった。
ぬくもりを宿した蜂蜜を与えらるように、口の中いっぱいに甘味が広がる。
味覚が、今この瞬間にしか蘇らないことを知っている。
味わうということに飢えているのだと、ミアは夢を見るたびに思い知る。懸命に舌先に感じる蜜をねだった。
(甘いーー)
味わうことに満たされてくると、蜜に宿る熱に意識が囚われ始める。どこか後ろめたい気持ちが滲むのだ。甘さに絡む、官能的な熱。
翻弄されたまま、ぼんやりと意識をたどると、同じような記憶が開かれる。
(あの時、ーーシルファのキスと、……似てる)
自分はやはり彼に心を寄せているのだろう。味覚とシルファ。自分が欲しがっているものが、夢に暗示として浮かぶ。隠しようもなく、求めているものが明らかになってしまう。
ゆっくりと離れる気配を感じて、ミアは思わず腕を伸ばした。
夢なら良い。
夢なら、素直に求められる。
「――ミア」
シルファの声が形になった。ここでは、どんな希望も叶えられるのだろうか。ミアは真紅に光る、美しい瞳を見つけた。自分の欲望が見せる彼の面影。
「……シルファ?」
呼ぶと、もう一度激しく熱が触れて甘さが広がった。けれど、それはすぐに失われる。
「いけないな、これ以上はーー。おやすみ、私の聖女」
甘い香りに強く包まれ、それはふっと拡散する。ゆるやかな風が触れて、気配が離れた。
ぼんやりと目覚めると、視界の右側からほのかに光を感じた。わずかに見えるのは天蓋から下がる薄い生地。見慣れない光景に気づいて、ミアはぎくりとして辺りを見回した。
(――あ、ここは離れだった)
天蓋から下がる布越しに見える、広い室内。起きていようと思っていたのに、いつのまにか眠ってしまったようだ。部屋の灯りは落とされ、所々で小さな灯が揺れているだけだった。
(また、夢を見ていた気がする)
甘い夢。蜜をねだる、どこか背徳的な光景。今夜はシルファの声を聞いた気がする。そこまで考えて、ミアは妄想を追い払うように、むりやり思考を切り替える。
(わたし、眠っちゃったんだな)
長椅子で起きていようと決意していた筈なのに、なぜか寝台で横になっている。
セラフィが様子を見に来てくれたのだろうか。
彼女が長椅子で眠り込んでしまった自分を、寝台まで運んでくれたのかもしれない。
華奢なセラフィの背格好を思い出して、ミアは申し訳ない気持ちになる。
(結局、シルファは戻ってこなかったのかな)
寝台から出て、ミアは窓を覆う窓帷に手をかけた。まだ外は暗く、地平線にも全く薄明を感じない。夜明けまでには、幾何か時間がありそうだった。
改めて寝台に腰かけて、何気なく室内を眺めていたミアは、長椅子に人影があることに気づいて息を呑んだ。
小さな灯りが映す部屋の片隅を眺めていると、目が慣れてくる。
長椅子から投げ出されるように伸びる足。
(もしかして、シルファ?)
ミアは足音を殺すように人影に歩み寄った。
シルファが長椅子に身を預けて横たわっている。癖のない銀髪が、室内のわずかな灯りを反射していた。
彼の長身では、長椅子を寝台の代用にするには狭い。ミアは眠ってしまったことを悔いる。自分より疲れているだろうシルファに窮屈な思いをさせてしまった。
寝台は広いのに、ミアの隣で横になろうとしない真摯な一面を感じて、余計に後ろめたくなってしまう。
だからと言って、シルファを抱き上げて寝台に運ぶ力はない。起こすのも気が引ける。
ミアはとりあえず、寝台から肌掛けを持ち出して、そっとシルファに掛けた。
「……ミア?」
「あ、ごめんなさい。――起こしちゃった」
彼は長椅子から上体を起こして、気だるげに欠伸をする。
「なんか、ごめんね。わたしがこっちで寝るから、シルファはベッドを使って」
「ん? じゃあ一緒に寝るか?」
口調で面白がっているのがわかる。ミアは大げさに肩を落として見せた。
「そう言うと思った。せっかく人が真摯な面もあるんだなって好感を抱いていたのに、ぶち壊し」
「あのな、私だってさすがにおまえを長椅子に寝かせて自分がベッドを使うのは気がひける」
「気にしなくて良いよ。わたしの方が小柄だし、長椅子でもゆっくりと横になれる」
「そうなるだろ」
「え?」
「お互いに譲り合って埒が明かないから、手っ取り早く一緒にベッドを使う案を出したわけだが?」
シルファの言いたいことはわかるが、だからと言って同じ寝台で横になるのは恥ずかしすぎる。ミアが黙り込んでしまうと、彼がふっと息を吐き出す。
「まぁ、私のことをそこまで信用しろとは言えないから、おまえがベッドを使えば良い」
「それは駄目だよ。わたしが気を遣う」
ミアがすぐに反論すると、シルファは微笑む。
「そんなに気を遣うことはないよ。そもそも違う部屋を用意させても良かったが、私がミアの側にいたくてここを選んだんだ」
(わたしの側にいたい?)
きっと警護的な意味なのだろうと思い、ミアは聞き流そうかと思ったが、顔色が見事に反応してしまう。幸い室内が仄かな灯りで保たれていることが救いだった。
シルファはミアが寝台から持ち出した肌掛けをかぶって、再び長椅子に横になる。ミアは大きな寝台を振り返って、覚悟を決めた。
「――わかった。シルファのことを信じるから、一緒にベッドを使おう」
「おまえのその無防備なところ、心配になるな」
彼はもう長椅子を寝床に定めたのか、起き上がる気配がない。
「別に誰でも信用しているわけじゃないよ? シルファは泥酔でもしない限り、わたしに興味ないでしょ」
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