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第五章:王宮の離れにて
2:衝撃その2 セラフィの無邪気な発言
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用意された部屋を見て、ミアは嫌な予感を覚える。召喚されてからの数日を王宮の離れで過ごしていたので、雅な室内の模様にはそれほど驚かない。天蓋のある寝台や、家具や調度の全てが、貴族感に満ち溢れていても、いまさら想像を上回ることはなかった。
けれど、この部屋には圧倒的に違和感を覚える部分がある。
ベルゼの笑えない冗談のあとに、さらに笑えない状況が用意されていたらしい。
セラフィに確かめるのも恐ろしい気がして、ミアは室内に入ってすぐの位置で石像のように固まる。
「あ、――ベッド、小さいですかね?」
不自然に動きを失ったミアの様子をどのように誤解したのか、セラフィが「まずかったですか?」と心配そうな顔でこちらを振り返る。
(このベッドが、小さいわけがない……)
寝台は以前ミアが使用していたものよりも、格段に大きくなっている。ミアが独りで寝むのに、小さいわけがなかった。
まだ何も尋ねていないのに、恐ろしい予感が的中してしまったことを悟る。ミアは的中してしまったのなら仕方がないと、開き直ってセラフィに聞いた。
「えっと、これは、どういう前提の部屋?」
「どういう前提って?」
セラフィの目は、何の疑いもなく不思議そうな色を宿している。いつもミアのために色々と世話を焼いてくれ、同年代に見える彼女には親しみを感じている。セラフィのことは好きだが、ミアの抱く懸念は伝わっていないようだった。彼女の美しい翠色の瞳には何の思惑も感じられない。
「わたしが独りで寝むのに、こんなに大きなベッドでなくても」
遠まわしに主張してみると、途端にセラフィが無邪気な笑顔を弾けさせる。
「やだなぁ、ミア。いまさらミアが一人で寝む部屋なんて用意するわけないじゃないですか」
「ちょっと待って。いまさらって何?」
「そんなこと私に言わせないで下さいよ」
なぜかセラフィが頬を染める。ミアは頭を殴られたような衝撃を受ける。まさか彼女にそんな思い違いをされていたとは、心外にもほどがある。
すべてあの下衆な男のせいかとシルファへの憎しみを滾らせながら、全力で否定した。
「わたしはシルファとそんな関係じゃない! そもそもシルファはわたしなんて相手にしないし」
「またまた~、そんなに照れなくても」
「違うってば!」
「たしかにミアはシルファ様の元婚約者とは全くタイプが違いますけど。でもシルファ様がミアに何もしない訳ないじゃないですか。何もないなら、今までどうやって渇望を満たしてきたんですか」
途轍もなくひっかかるキーワードのせいで、ミアはセラフィの声を半ばから聞いていなかった。
「え? ――婚約者?」
全力で否定していた自分の貞操に関わる誤解など、どうでもよくなってしまう。
婚約者という言葉だけが、ミアの頭の中にくっきりと刻み込まれた。
「元ですよ、元。それに、ずうっと昔の話です。大丈夫、ミアの方が可愛いし」
問題はそこではないと思ったが、ミアは何を訴えるべきか言葉を失っていた。
シルファの過去。
こちらの世界がどのように成り立っているのか知らないが、彼の立場なら婚約者がいるのが常識なのではないか。
シルファがなぜ自分を召喚したのか。その答えがわからないから、不安になるのだろうか。
公の場で自分を意中の令嬢に仕立て上げていたが、おろらくシルファには何の得にもならない。この世界にミアの居場所を認めさせる配慮でしかない気がしてくる。
シルファは自分が必要だと言った。けれど、日々はただ穏やかに過ぎていくだけだった。
もしかすると召喚されたのではなく、本当は自分が偶然この世界に迷い込んだのではないのか。シルファはただの通りすがりで、拾ってくれただけなのかもしれない。
召喚されたわけでもなく、本当は何の役割もなく、シルファにとって必要でもない。
ただ負担をかけるだけの立場で、元の世界に帰る方法も彼に委ねているだけ。
シルファの気遣いのおかげで、ここにいられるだけなのだとしたら。
(わたし――このままで良いのかな)
考えすぎだと思う反面、心を蝕むように滲み出した憶測を、完全に否定もできなかった。
ミアにはこれほどの庇護を受ける理由がない。自分に重要な役割や意味があるとは、どうしても思えないのだ。
さっきまでの勢いを失ったミアに、セラフィが慰めるように声を高くする。
「ミアは特別だから、大丈夫です」
「――特別」
「そうですよ、特別です」
セラフィの声とは裏腹に、ずんと心が沈むのを感じた。
シルファが自分に架す特別の意味が、ミアにはわからない。黙って立ち尽くしていると、セラフィが夜着を持ってきて、大きな寝台の上に置いた。
「お寝みになる時はこれに着替えてくださいね」
ミアの物思いに水を差さない方が良いと考えたのか、セラフィがそっと踵を返す。そのまま立ち去りそうになるセラフィに、ミアは落ち込んでいる場合ではないと気持ちを立て直した。慌ててセラフィの背中にとりすがる。誤解をといて部屋を移してもらわなければ、もしシルファが戻ってきた時には大惨事である。
「ちょっと待って、セラフィ。だから、この部屋はまずいよ。わたしとシルファは本当にそういう関係じゃないから!」
「だから、恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。暗黙の了解なんで」
「は?」
(――暗黙の了解?)
眉根を寄せたミアに、セラフィは笑顔で露骨な爆弾を落とす。
「シルファ様は渇望を満たした後に欲望が高まるので、ミアは身体が大変かもしれませんけど。でも、ミアも高まるのは同じはず」
「はぁ?」
セラフィは耳まで赤くなったミアを見て、ふふんと悪戯っぽく笑った。
「だから、すっごく気持ち良いでしょ? ちゃんと加減して下さるだろうし、最高に気持ちよく酔えるでしょ?」
さらなる卑猥さに被弾して、ミアはますます顔が真っ赤になる。
「だから! 何の話?」
セラフィはわざとらしく流し目でミアを見た。
「あれれ? もしかしてシルファ様はミア相手に喪失を施しているのかな?って。 そんなはずないですよね」
「喪失?」
ミアの声には聞く耳持たずで、セラフィはツンとミアの紅潮した頰をつついた。
「こんなに照れちゃって。ミアってば、可愛い」
「だから、違うんだってば! さっきから何の話をして――」
「はいはい。とにかくそういうことなんで、そんなに照れなくても大丈夫ですから」
「いや、だから――」
「では、おやすみなさい」
全く話がかみ合わないまま、セラフィは屈託のない笑顔でするりと部屋を出て行った。ミアは広い部屋に独りでとり残される。訴えたいことは山のようにあったが、何をいっても埒が明かない。
ベルゼもセラフィも、――誰もが自分をシルファの意中の相手だと考えているのだろうか。
独りになった途端、どっしりとした虚しさに襲われる。
(――とにかく、今夜は起きていよう)
シルファが戻ってこなければそれでよし。仮に戻ってきたとしても、ミアが事情を説明すれば、彼が何とかしてくれるだろう。
(はぁ、最悪)
ミアは寝台に近寄って、何気なくセラフィの置いていった夜着に目を留めた。おそるおそる手に取って広げてみるが、素材が透けて向こう側が見える。
「な、何なの? これ!」
普通の下着の方がよほど良心的である。これを着る意味が全くわからない。
(いったい、何を考えているんだろう)
ミアは夜着を元通りに畳んで置くと、忌避するかのようにそそくさと寝台から離れた。室内の片隅にある長椅子に向かう。どっしりとした気持ちを抱えたまま、脱力するようにどすんと身体を預けた。
けれど、この部屋には圧倒的に違和感を覚える部分がある。
ベルゼの笑えない冗談のあとに、さらに笑えない状況が用意されていたらしい。
セラフィに確かめるのも恐ろしい気がして、ミアは室内に入ってすぐの位置で石像のように固まる。
「あ、――ベッド、小さいですかね?」
不自然に動きを失ったミアの様子をどのように誤解したのか、セラフィが「まずかったですか?」と心配そうな顔でこちらを振り返る。
(このベッドが、小さいわけがない……)
寝台は以前ミアが使用していたものよりも、格段に大きくなっている。ミアが独りで寝むのに、小さいわけがなかった。
まだ何も尋ねていないのに、恐ろしい予感が的中してしまったことを悟る。ミアは的中してしまったのなら仕方がないと、開き直ってセラフィに聞いた。
「えっと、これは、どういう前提の部屋?」
「どういう前提って?」
セラフィの目は、何の疑いもなく不思議そうな色を宿している。いつもミアのために色々と世話を焼いてくれ、同年代に見える彼女には親しみを感じている。セラフィのことは好きだが、ミアの抱く懸念は伝わっていないようだった。彼女の美しい翠色の瞳には何の思惑も感じられない。
「わたしが独りで寝むのに、こんなに大きなベッドでなくても」
遠まわしに主張してみると、途端にセラフィが無邪気な笑顔を弾けさせる。
「やだなぁ、ミア。いまさらミアが一人で寝む部屋なんて用意するわけないじゃないですか」
「ちょっと待って。いまさらって何?」
「そんなこと私に言わせないで下さいよ」
なぜかセラフィが頬を染める。ミアは頭を殴られたような衝撃を受ける。まさか彼女にそんな思い違いをされていたとは、心外にもほどがある。
すべてあの下衆な男のせいかとシルファへの憎しみを滾らせながら、全力で否定した。
「わたしはシルファとそんな関係じゃない! そもそもシルファはわたしなんて相手にしないし」
「またまた~、そんなに照れなくても」
「違うってば!」
「たしかにミアはシルファ様の元婚約者とは全くタイプが違いますけど。でもシルファ様がミアに何もしない訳ないじゃないですか。何もないなら、今までどうやって渇望を満たしてきたんですか」
途轍もなくひっかかるキーワードのせいで、ミアはセラフィの声を半ばから聞いていなかった。
「え? ――婚約者?」
全力で否定していた自分の貞操に関わる誤解など、どうでもよくなってしまう。
婚約者という言葉だけが、ミアの頭の中にくっきりと刻み込まれた。
「元ですよ、元。それに、ずうっと昔の話です。大丈夫、ミアの方が可愛いし」
問題はそこではないと思ったが、ミアは何を訴えるべきか言葉を失っていた。
シルファの過去。
こちらの世界がどのように成り立っているのか知らないが、彼の立場なら婚約者がいるのが常識なのではないか。
シルファがなぜ自分を召喚したのか。その答えがわからないから、不安になるのだろうか。
公の場で自分を意中の令嬢に仕立て上げていたが、おろらくシルファには何の得にもならない。この世界にミアの居場所を認めさせる配慮でしかない気がしてくる。
シルファは自分が必要だと言った。けれど、日々はただ穏やかに過ぎていくだけだった。
もしかすると召喚されたのではなく、本当は自分が偶然この世界に迷い込んだのではないのか。シルファはただの通りすがりで、拾ってくれただけなのかもしれない。
召喚されたわけでもなく、本当は何の役割もなく、シルファにとって必要でもない。
ただ負担をかけるだけの立場で、元の世界に帰る方法も彼に委ねているだけ。
シルファの気遣いのおかげで、ここにいられるだけなのだとしたら。
(わたし――このままで良いのかな)
考えすぎだと思う反面、心を蝕むように滲み出した憶測を、完全に否定もできなかった。
ミアにはこれほどの庇護を受ける理由がない。自分に重要な役割や意味があるとは、どうしても思えないのだ。
さっきまでの勢いを失ったミアに、セラフィが慰めるように声を高くする。
「ミアは特別だから、大丈夫です」
「――特別」
「そうですよ、特別です」
セラフィの声とは裏腹に、ずんと心が沈むのを感じた。
シルファが自分に架す特別の意味が、ミアにはわからない。黙って立ち尽くしていると、セラフィが夜着を持ってきて、大きな寝台の上に置いた。
「お寝みになる時はこれに着替えてくださいね」
ミアの物思いに水を差さない方が良いと考えたのか、セラフィがそっと踵を返す。そのまま立ち去りそうになるセラフィに、ミアは落ち込んでいる場合ではないと気持ちを立て直した。慌ててセラフィの背中にとりすがる。誤解をといて部屋を移してもらわなければ、もしシルファが戻ってきた時には大惨事である。
「ちょっと待って、セラフィ。だから、この部屋はまずいよ。わたしとシルファは本当にそういう関係じゃないから!」
「だから、恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。暗黙の了解なんで」
「は?」
(――暗黙の了解?)
眉根を寄せたミアに、セラフィは笑顔で露骨な爆弾を落とす。
「シルファ様は渇望を満たした後に欲望が高まるので、ミアは身体が大変かもしれませんけど。でも、ミアも高まるのは同じはず」
「はぁ?」
セラフィは耳まで赤くなったミアを見て、ふふんと悪戯っぽく笑った。
「だから、すっごく気持ち良いでしょ? ちゃんと加減して下さるだろうし、最高に気持ちよく酔えるでしょ?」
さらなる卑猥さに被弾して、ミアはますます顔が真っ赤になる。
「だから! 何の話?」
セラフィはわざとらしく流し目でミアを見た。
「あれれ? もしかしてシルファ様はミア相手に喪失を施しているのかな?って。 そんなはずないですよね」
「喪失?」
ミアの声には聞く耳持たずで、セラフィはツンとミアの紅潮した頰をつついた。
「こんなに照れちゃって。ミアってば、可愛い」
「だから、違うんだってば! さっきから何の話をして――」
「はいはい。とにかくそういうことなんで、そんなに照れなくても大丈夫ですから」
「いや、だから――」
「では、おやすみなさい」
全く話がかみ合わないまま、セラフィは屈託のない笑顔でするりと部屋を出て行った。ミアは広い部屋に独りでとり残される。訴えたいことは山のようにあったが、何をいっても埒が明かない。
ベルゼもセラフィも、――誰もが自分をシルファの意中の相手だと考えているのだろうか。
独りになった途端、どっしりとした虚しさに襲われる。
(――とにかく、今夜は起きていよう)
シルファが戻ってこなければそれでよし。仮に戻ってきたとしても、ミアが事情を説明すれば、彼が何とかしてくれるだろう。
(はぁ、最悪)
ミアは寝台に近寄って、何気なくセラフィの置いていった夜着に目を留めた。おそるおそる手に取って広げてみるが、素材が透けて向こう側が見える。
「な、何なの? これ!」
普通の下着の方がよほど良心的である。これを着る意味が全くわからない。
(いったい、何を考えているんだろう)
ミアは夜着を元通りに畳んで置くと、忌避するかのようにそそくさと寝台から離れた。室内の片隅にある長椅子に向かう。どっしりとした気持ちを抱えたまま、脱力するようにどすんと身体を預けた。
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