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第五章:王宮の離れにて

1:衝撃その1 まったく笑えないベルゼの冗談

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 ベルゼに導かれて、ミアはとりあえず王宮の離れまで戻ってきた。離れで待機していたセラフィに手伝ってもらい、いつもの動きやすい服装に着替えて階下へ降りると、広場で待っていたベルゼがすっとミアの前にやってくる。相変わらず足音がしない。

「では、お送りします」

「あの、ここでシルファを待っていたら駄目かな?」

 一人で戻ってもシルファが帰宅するまで、そわそわするだけの自分が想像できる。ミアが王宮を出る頃には警護が厚くなり、さらに警察も到着し、いっそう騒然としていた。ミアはきっとまた凄惨な事件があったのだろうと予想しているが、実際のところ本当に人が殺されたのかどうかは知らない。

 ミアが表情の動かないベルゼを仰ぐと、彼は返答のないまま傍らに控えていたセラフィに何かを命じている。セラフィが素早く姿を消すと、ベルゼがミアを振り返った。

「シルファ様が本日お戻りになるかはわかりません。部屋を用意させますので、そちらでお休みください」

「え? あ、ありがとう」

「セラフィが来るまでは、こちらで」

 ベルゼは広場にある大きな長椅子を示す。ミアが促されるままに掛けると、ベルゼは長椅子の傍らで彫刻のように立ち尽くす。呼吸をしているのかどうか怪しいほどで、すぐそこにいるのに、まるで遠ざかっていくかのように気配が失われる。シルファに命じられているためか、広場を出て行く様子はない。

 気配がないに等しくても、視線を向ければ居るので、ミアは思い切って話しかけることにした。

「離れの外にも人が来ているね。何か調べているのかな」

 日中とな異なり、大きな窓には重厚な窓帷カーテンが下ろされている。窓から外の様子は見ることは叶わないが、広場から続く玄関先には動き回る人の気配があった。

 ベルゼからは返答がない。
 挫けずに何を話そうかと考えていると、一人の女性が足音もなくやってきて、ミアに珈琲と菓子を提供して、すぐに広場から姿を消した。

「ベルゼも座ったら? 良かったら、これ飲む? わたしはさっき飲んだし、いっぱい食べてきたし」

 長椅子で身体をひねるようにしてベルゼを見返るが、彼は微動だにしない。返答もなく、まるで全ての感覚を殺して壁に擬態しているような錯覚がする。

 話しかけることが迷惑なのかもしれないと考え、しばらく沈黙を守ってみるが、ベルゼの気配の消え方は尋常ではなかった。

 ミアが自分を独りきりにしてくれたのかと振り返ってしまうと、視界にはベルゼが映る。何度かそういうことを繰り返して、ミアは懲りずに話しかけることにした。
 ベルゼが壁を演じるなら、独り言だと思ってもらえば良いのだ。

「シルファって、わたしが思っていたより色々すごい人だったんだね。毎日忙しそうだもんね」

 ベルゼからは返答どころか、身じろぐような反応すらない。

「ベルゼもシルファと一緒にお仕事してるんだよね。――いいなぁ、できることがあって。わたしにも何かできることがあればいいのに」

 思わず自分の役立たずさに愚痴めいた呟きをもらしてしまうが、壁への独り言だと気を緩めた。

「美味しい料理も作れないし。文字がよめないから、仕事に就くっていっても厳しいし。わたしにもシルファのお手伝いができるようなことがあれば気が楽なのに」

「では、シルファ様にその身を捧げてください」

 突然返答があって、ミアはびくりと身じろぎしてしまう。

「え?」

 ベルゼの声に驚いて、内容をよく聞けなかった。ミアがベルゼを振り返ると、彼は直立不動のまま視線を交わすこともなく話す。

「シルファ様の助けになりたいのなら、その身を捧げてください」

「え!?」

 ミアは何かの聞き間違いかと思ったが、すっと広間から玄関に固定されていたベルゼの視線が動いた。黒曜石のような瞳がミアを見つめる。ミアはおそるおそる問いかける。

「ええと、あの、身を捧げるって、どんなふうに? 雑用ならできると思うけど」

「身を捧げる。――文字通りの意味ですが、シルファ様は望まないでしょう。我々としては、せめてあの方の渇望のままに血を与え、欲望の限り抱かれることを望みますが」

 ミアはベルゼの言葉を咀嚼できない。いや、文字通りの意味は分かるが、一体突然何を言い出したのかと、思考回路が追い付かない。無防備な所に下品な発言を投下されて、脳内が爆発して焦げ付いている。

「――冗談です」

「へ?」

 ミアは間の抜けた声を出してしまう。必要最低限の関わりしかしないベルゼからは予想だにしない言葉だった。冗談。空耳かと疑ってしまうほど不似合いで、信じられなかったのだ。

「べ、ベルゼでも、冗談を言うんだね。やっぱりシルファと一緒にいると、そうなっちゃうのかな」

 できるだけ軽い口調を装うが、かぁっと頰に熱が巡る。対照的にベルゼは顔色一つ変えない。ミアはあからさまに頰を染める自分の方が卑猥なのではないかと、余計に恥ずかしくなってしまう。

 初めて聞いたベルゼの冗談が「身を捧げろ。抱かれろ」になる辺り、彼は上司であるシルファの下衆な部分に汚染されている気がする。だからと言って、ベルゼ相手に責めることもできず、笑うこともできず、ミアはぎこちなく笑顔を作った。

 ベルゼは冗談の気配が微塵もない無表情のまま突っ立っており、ミアはひたすら居たたまれない。

「ミア、部屋の用意ができましたよ」

 不気味な沈黙に耐えていると、広場にセラフィが現れた。ミアは救世主だと言わんばかりに、立ち上がって「ありがとう」とセラフィに向かって喜びの声をあげた。
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