上 下
17 / 83
第四章:D(ダアト)サクリード

3:D(ダアト)サクリードの功績

しおりを挟む
 ベルゼがすっとミアの隣に立つ。事務所で出会った時でも、彼の足音を聞いたことがない。黒猫のようなしなやかな動きだった。

「ベルゼも来ていたんだね」

「はい」

 彼はいつも事務的で端的にしか話さない。感情があるのかどうか疑いたくなるほどである。

 ドミニオがシルファの隣に立ち、中庭を見下ろして「うっ」と口元に手を当てた。晩餐会の華やかさとは異なる喧噪や悲鳴が響いている。シルファは動きずらい豪奢な上着を脱ぎ捨て、軽装になると何かを投げるように腕を振り、そのまま露台の手摺からひらりと身を躍らせる。

「シルファ!?」

 飛び降りられるような高さではない。咄嗟に駆け寄ろうとすると、ベルゼに肩を掴まれた。ドミニオが「大丈夫だよ」と言いながらこちらに歩み寄ってくる。

「シルファは鋼索を使って下に降りたみたいだ」

「……驚いた」

 ほっと息をつくが、宮殿の様子がさっきまでとは全く異なっていることが、人気のない露台にも伝わってくる。中庭を含め階下は騒然となっているだろう。知らずに不安げな顔をしていたのか、ドミニオが労わるように声をかけてくれる。

「たいへんなことになったね」

「はい。倒れている人が心配です。大丈夫かな」

「――どうだろう」

 目撃したはずのドミニオは曖昧に答える。ミアは言葉を濁す王子の様子で、何となく状況を察した。
 世間を騒がせている事件と同じような状況が、脳裏に浮かぶ。そう考えると、露台に届く風に血の匂いが混ざっているような気がする。

 ミアが顔色をなくしていると、その様子をどのように受け止めたのか、王子が慌てて口を開く。

「僕には事情はわからないけど、シルファが守っているなら、君は大丈夫だよ」

「え?」

 ドミニオは少し迷ってから口を開いた。

「ーーこの国で、いや近隣の国も含めて、彼にたてつくような者はいないから」

「え? でも、王様でもないのに?」

 単純に不思議だったので思わず聞き返すと、ドミニオは少し考えてから口を開いた。

「――ミアは彼の持つ称号の意味は知っているかな?」

「知識あるものって、シルファに教えてもらいました」

「うん、そうだね。文字通りの意味はそうだけど、この国ではDダアトの持つ意味は、もっと大きいな」

Dダアトの持つ意味?」

「何ていうか、……そう、目印だね。王家すら畏敬する存在だよって。それを象徴する目印みたいなもの」

 ドミニオは軽い口調で教えてくれるが、語っている内容は軽くない気がする。ミアは王子の綺麗な顔を見つめた。

「シルファが?」

「そう。この国で王家が権威を保っていられるのも、彼の功績が大きい。Dダアトサクリードは、望めばどんな情報でも手に入れられる。彼の持つ諜報力は恐れるに値する力だ。彼に目をつけられたら、悪いことはできないよ」

 ドミニオはミアの傍らに立つベルゼに、冗談を言うような気軽さで「そうだろう?」と同意を求めた。

「御意」

 ベルゼが端的に答えると、ドミニオは「全く愛想がないな」と苦笑する。

「いま世間を騒がせている事件も、Dダアトサクリードが目をつけているなら、いずれ答えが出るんじゃないかな。今夜の事件もね」

 ミアは今まで知らなかった世界を見せられた気がしていた。自分の知っているシルファとは違い、世間の知るシルファは遠い存在に思えた。
 王家が畏敬するほどの能力を持って、彼が成すこと。
 さっき感じた心配が、さらなる実感を伴って形になったような気がする。
 シルファは、危険な事件に身を投じているのではないだろうか。

「でも、……本当にすべての事件が繋がっていたら、怖いですね」

「ーーたしかに、そうだね」

 ミアの胸に不安が淀む。だからと言って、自分にできることは何もない。
 
「わたしは、シルファが心配です。……とても」

 素直に不安を口にすると、ドミニオがじっとミアを見つめた。

「な、何ですか?」

 シルファの心配をすることは不自然なのだろうか。ミアが王子の視線に戸惑っていると、ドミニオはほほ笑む。

「いや。ミアはほんと、可愛らしいね――、シルファは本気なのかもしれないな」

「何の話ですか?」

 王子は面白そうに声を弾ませる。

「シルファは謎の多い男だけど、僕の目には不思議なくらい無欲に見えていたから」

「無欲?」

「うん」

 ミアはこれまでの経緯を思い、ただの女たらしで性欲の塊ではないかと思ったが、さすがに露骨すぎるので言葉を選んだ。

「女性が大好きみたいですけど」

「え? シルファが?」

 ドミニオからは予想外の反応が返ってくる。

「だって、王子も浮名を流す仲間がいなくなって寂しいって言っていませんでしたか?」

「あ、そういう意味か」

 他にどういう意味があるのかと聞きたいが、ミアはぐっと堪える。

「シルファは、まぁ来るものは拒まないけど、基本的には無関心だから」

「え? そうなんですか」

 ミアには全く印象が重ならないが、ドミニオは当然のことのように話す。

「そうだよ。女性のことだけじゃないね。表舞台を好まないというか、……本人は権力にも全く興味を示さないからね」

「――そう、ですか」

 王子は今まで知らなかったシルファの側面をたくさん教えてくれたが、なぜかミアには謎が深まったような気がしていた。
 シルファは何か手に入れたいものがあって自分を召喚したわけではないのだろうか。王子が語るシルファの立場では、彼が望んで手に入れられないものがあるとも思えない。
 ミアが召喚された理由を考えていると、ドミニオが軽くミアの肩を叩いた。

「だからさ、シルファがミアを紹介してくれた時は本当に驚いたよ。事情があるみたいだけど、シルファの気持ちは本当かもしれないね」

「それはないと思います」

 ぴしゃりと言い切ってみたが、ドミニオは畳みかけてくる。

「僕はあると思うな。こう見えて、僕の勘は良く当たるよ」

 王子は何の悪辣さもない笑顔をミアに向けた。どうやら惨状を想像していたミアの動揺を紛らわせるために、明るく振舞ってくれているようだ。

(ーーシルファの気持ちか)

 ドミニオのいうことが本当ならば嬉しい。けれど、ミアは簡単に期待できない。誰もがシルファの演技に騙されているだけなのだ。彼がミアを大切に扱ってくれる理由は、恋愛などという甘い気持ちからではないのだから。

 騒然としたざわめきに包まれる宮殿で、ミアは場違いなため息をつく。そして、やはり緩やかな風に、血の匂いが混ざっている気がした。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子
恋愛
辺境の小国サイオンの王女スーは、ある日父親から「おまえは明日、帝国に嫁入りをする」と告げられる。 幼い頃から帝国クラウディアとの政略結婚には覚悟を決めていたが、「明日!?」という、あまりにも突然の知らせだった。 ろくな支度もできずに帝国へ旅立ったスーだったが、お相手である帝国の皇太子ルカに一目惚れしてしまう。 絶対におしどり夫婦になって見せると意気込むスーとは裏腹に、皇太子であるルカには何か思惑があるようで……?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

【本編完結】五人のイケメン薔薇騎士団団長に溺愛されて200年の眠りから覚めた聖女王女は困惑するばかりです!

七海美桜
恋愛
フーゲンベルク大陸で、長く大陸の大半を治めていたバッハシュタイン王国で、最後の古龍への生贄となった第三王女のヴェンデルガルト。しかしそれ以降古龍が亡くなり王国は滅びバルシュミーデ皇国の治世になり二百年後。封印されていたヴェンデルガルトが目覚めると、魔法は滅びた世で「治癒魔法」を使えるのは彼女だけ。亡き王国の王女という事で城に客人として滞在する事になるのだが、治癒魔法を使える上「金髪」である事から「黄金の魔女」と恐れられてしまう。しかしそんな中。五人の美青年騎士団長たちに溺愛されて、愛され過ぎて困惑する毎日。彼女を生涯の伴侶として愛する古龍・コンスタンティンは生まれ変わり彼女と出逢う事が出来るのか。龍と薔薇に愛されたヴェンデルガルトは、誰と結ばれるのか。 この作品は、小説家になろうにも掲載しています。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 「番外編 相変わらずな日常」 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

愛を知らない「頭巾被り」の令嬢は最強の騎士、「氷の辺境伯」に溺愛される

守次 奏
恋愛
「わたしは、このお方に出会えて、初めてこの世に産まれることができた」  貴族の間では忌み子の象徴である赤銅色の髪を持って生まれてきた少女、リリアーヌは常に家族から、妹であるマリアンヌからすらも蔑まれ、その髪を隠すように頭巾を被って生きてきた。  そんなリリアーヌは十五歳を迎えた折に、辺境領を収める「氷の辺境伯」「血まみれ辺境伯」の二つ名で呼ばれる、スターク・フォン・ピースレイヤーの元に嫁がされてしまう。  厄介払いのような結婚だったが、それは幸せという言葉を知らない、「頭巾被り」のリリアーヌの運命を変える、そして世界の運命をも揺るがしていく出会いの始まりに過ぎなかった。  これは、一人の少女が生まれた意味を探すために駆け抜けた日々の記録であり、とある幸せな夫婦の物語である。 ※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」様にも短編という形で掲載しています。

処理中です...