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第二章 シルファ=マスティア=サクリード
1:崇高な一族(サクリード)
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焦げた苦味だけの朝食を終えてから、シルファは怒り狂ったミアから逃げるように、食卓のある部屋を出た。自室へ戻り身支度を整えてから、事務所として使用している部屋へ赴く。
事務所といっても書類に溢れている訳ではなく、どこの家にもあるような応接間である。ただ人の出入りがしやすいように、応接間が玄関とそのまま繋がっていた。
来客用の長椅子と卓があるだけの部屋だが、実際のところ来客もほとんどない。
呪術対策局としての窓口は王宮の近隣にあり、事務的な作業もシルファの部下がそこで行っている。
(すこし、からかいすぎたか)
ミアの逆鱗に触れて、シルファは幾許か反省しながら、便宜上事務所ということにしている部屋の扉を開けた。すでにシルファの部下が長椅子に待機している。部下――ベルゼはシルファの姿を見ると、音もなく立ち上がり頭を下げた。
「おはようございます。シルファ様」
漆黒の髪と瞳に加えて、着用している衣服も黒ずくめの男――ベルゼが感情のこもらない声で挨拶をする。
「おまえ、昨夜の一件は笑えないぞ。よくも平然と顔を出せたな」
何かを盛られたことは明白だが、ベルゼには微塵も呵責がないようだった。
「しかし、この私を堕とすとは。……よくあんなものが手に入ったな」
「ーー私は堕ちなかったあなたに驚いておりますよ。どうやら私の目論見は失敗したようです」
涼しい顔をしたままベルゼが抑揚もなく答える。部下としては一番信頼しているが、ミアの扱いについては、根本的に相容れない主張を抱えているのも確かだった。シルファはすっと表情を改めた。
「彼女のおかげで渇望は満たされている。余計なことをするな」
「召喚するためにどれほどの消耗を強いられたのか、お忘れですか」
「回復させただろ。もう必要ない」
「そのために、どれほどの人を糧にしましたか」
「何の問題がある。血のためにこの身体を与えるようなものだろう。互いに快楽に酔うに等しい行為だ。記憶も残らず後腐れもない」
その一端をミアに見られていたとは思わなかったが、召喚術がもたらした消耗は筆舌に尽くしがたいものがあった。そのまま召喚したミアを犠牲にしても可笑しくないほどの渇望だったのだ。
「血に飢え、人と交わるなど――、あなたは至高の存在です」
「たった独りで何が至高だ」
シルファが嘲笑うと、ベルゼは唇を噛んで黙り込んでしまう。
崇高な一族とされたサクリードの純血種。一族最後の生き残りとなったのがシルファだった。
マスアティア王家の始祖は、シルファの弟であるサンディ=マスティア=サクリードである。
一族は魔力を携え、召喚術を用い、永遠に生きながらえることが可能な種族だったが、古に大魔女アラディアによって滅ぼされた。
現在の王家は、たしかにシルファの一族を始祖に持つ末裔で構成されている。けれど、人との混血を繰り返すうちに、一族の力は跡形もなく失われた。
今となっては崇高な一族が歪に口伝され、幻想的なヴァンパイアの伝承と変じて語られている。どちらにしても、夢物語の存在でしかない。
「とにかく、私は当初の目的を達成して頂くことを望みます」
「もう諦めろ。私が望んでいない」
ベルゼは崇高な一族が使役する影の一族ーーシャドウである。魔力を持たないが、崇高な一族の命令には忠実で、命令遂行のために主が望めば変幻も果たす人ならざる一族だった。彼らは主であるシルファに仕え、人に紛れて生きている。
呪術対策局の部下は、ほとんど影の一族である。皮肉なことに、彼らの能力は諜報にはうってつけだった。何らかの事件が起きた時、背後にある事実関係を探るのに功を奏する。
「心臓を取り戻すべきです。そのために彼女を召喚したのではありませんか。そうすればこれ以上血を求める必要もありません。今のあなたは、人々が歪に語り継いだ、血に飢えたヴァンパイアそのものです。そのような屈辱を、私はこれ以上看過できません」
「ーー屈辱、か」
シルファはベルゼの向かいにある長椅子にかけて足を組んだ。彼の悔しさを可笑しそうに茶化す。
「血を求め、欲に溺れる。おまえが考えるほど、悪い行為でもないがな」
「ーーシルファ様」
苛立ちを隠さないベルゼに、シルファがため息をついた。
「これからは聖女で事足りる。人の血など比較にならない。おまえの厭う行為は封印されたに等しい。それでいいじゃないか」
「聖女の心臓を喰らえば、あなたは復活できます。心臓を取り戻し、もう血に飢えることもありません」
「私にとって、聖女はもろ刃の剣だ。すぐに喰らうべきだったが、私はためらい失敗した。おまえもわかっているだろう」
「――心を奪われた、と?」
「そうだ。もう取り返しがつかない。私は彼女の願いを無視できない。必ず元の世界に返してやる」
ベルゼが再び唇を噛むのをみて、シルファはほほ笑んだ。
「そう腐るな。おまえに打ち明けていなかったのは悪かったが、――そのためにも、心臓は必ず取り戻す」
鼓動を失ってから、気が遠くなるほどの長い月日。もともと不老不死の一族である。心臓を失っても、人の血があれば生き永らえることができた。
これまでは聖女の召喚に月日を費やしてきたが、ミアを糧に心臓を取り戻すことは、もうできない。
シルファが語った決意に、ベルゼの表情が動く。
「聖女を糧にせず、心臓を取り戻す? まさかーー」
「そう、そのまさかだ。私はアラディアから心臓を取り戻す」
大魔女ーーアラディア。崇高な一族を裏切った女。魔女と語り継がれているが、実際はシルファと同族の純血種である。一族を破滅に追いやり、シルファの心臓を奪い去った謀反者。
「運良く聖女を得た。ーーこれまで行方を掴むことのできなかったアラディアに餌が撒ける。ミアを囮に据え、必ず見つけ出してやる。だからもうミアを糧にすることは諦めろ。私に全面的に協力しろ、ベルゼ」
「心臓を奪われたまま大魔女に立ち向かうなど、ただの無謀です」
「ーーかもしれないな」
シルファの深刻さを含まない声音に、ベルゼは大げさにため息をついた。
事務所といっても書類に溢れている訳ではなく、どこの家にもあるような応接間である。ただ人の出入りがしやすいように、応接間が玄関とそのまま繋がっていた。
来客用の長椅子と卓があるだけの部屋だが、実際のところ来客もほとんどない。
呪術対策局としての窓口は王宮の近隣にあり、事務的な作業もシルファの部下がそこで行っている。
(すこし、からかいすぎたか)
ミアの逆鱗に触れて、シルファは幾許か反省しながら、便宜上事務所ということにしている部屋の扉を開けた。すでにシルファの部下が長椅子に待機している。部下――ベルゼはシルファの姿を見ると、音もなく立ち上がり頭を下げた。
「おはようございます。シルファ様」
漆黒の髪と瞳に加えて、着用している衣服も黒ずくめの男――ベルゼが感情のこもらない声で挨拶をする。
「おまえ、昨夜の一件は笑えないぞ。よくも平然と顔を出せたな」
何かを盛られたことは明白だが、ベルゼには微塵も呵責がないようだった。
「しかし、この私を堕とすとは。……よくあんなものが手に入ったな」
「ーー私は堕ちなかったあなたに驚いておりますよ。どうやら私の目論見は失敗したようです」
涼しい顔をしたままベルゼが抑揚もなく答える。部下としては一番信頼しているが、ミアの扱いについては、根本的に相容れない主張を抱えているのも確かだった。シルファはすっと表情を改めた。
「彼女のおかげで渇望は満たされている。余計なことをするな」
「召喚するためにどれほどの消耗を強いられたのか、お忘れですか」
「回復させただろ。もう必要ない」
「そのために、どれほどの人を糧にしましたか」
「何の問題がある。血のためにこの身体を与えるようなものだろう。互いに快楽に酔うに等しい行為だ。記憶も残らず後腐れもない」
その一端をミアに見られていたとは思わなかったが、召喚術がもたらした消耗は筆舌に尽くしがたいものがあった。そのまま召喚したミアを犠牲にしても可笑しくないほどの渇望だったのだ。
「血に飢え、人と交わるなど――、あなたは至高の存在です」
「たった独りで何が至高だ」
シルファが嘲笑うと、ベルゼは唇を噛んで黙り込んでしまう。
崇高な一族とされたサクリードの純血種。一族最後の生き残りとなったのがシルファだった。
マスアティア王家の始祖は、シルファの弟であるサンディ=マスティア=サクリードである。
一族は魔力を携え、召喚術を用い、永遠に生きながらえることが可能な種族だったが、古に大魔女アラディアによって滅ぼされた。
現在の王家は、たしかにシルファの一族を始祖に持つ末裔で構成されている。けれど、人との混血を繰り返すうちに、一族の力は跡形もなく失われた。
今となっては崇高な一族が歪に口伝され、幻想的なヴァンパイアの伝承と変じて語られている。どちらにしても、夢物語の存在でしかない。
「とにかく、私は当初の目的を達成して頂くことを望みます」
「もう諦めろ。私が望んでいない」
ベルゼは崇高な一族が使役する影の一族ーーシャドウである。魔力を持たないが、崇高な一族の命令には忠実で、命令遂行のために主が望めば変幻も果たす人ならざる一族だった。彼らは主であるシルファに仕え、人に紛れて生きている。
呪術対策局の部下は、ほとんど影の一族である。皮肉なことに、彼らの能力は諜報にはうってつけだった。何らかの事件が起きた時、背後にある事実関係を探るのに功を奏する。
「心臓を取り戻すべきです。そのために彼女を召喚したのではありませんか。そうすればこれ以上血を求める必要もありません。今のあなたは、人々が歪に語り継いだ、血に飢えたヴァンパイアそのものです。そのような屈辱を、私はこれ以上看過できません」
「ーー屈辱、か」
シルファはベルゼの向かいにある長椅子にかけて足を組んだ。彼の悔しさを可笑しそうに茶化す。
「血を求め、欲に溺れる。おまえが考えるほど、悪い行為でもないがな」
「ーーシルファ様」
苛立ちを隠さないベルゼに、シルファがため息をついた。
「これからは聖女で事足りる。人の血など比較にならない。おまえの厭う行為は封印されたに等しい。それでいいじゃないか」
「聖女の心臓を喰らえば、あなたは復活できます。心臓を取り戻し、もう血に飢えることもありません」
「私にとって、聖女はもろ刃の剣だ。すぐに喰らうべきだったが、私はためらい失敗した。おまえもわかっているだろう」
「――心を奪われた、と?」
「そうだ。もう取り返しがつかない。私は彼女の願いを無視できない。必ず元の世界に返してやる」
ベルゼが再び唇を噛むのをみて、シルファはほほ笑んだ。
「そう腐るな。おまえに打ち明けていなかったのは悪かったが、――そのためにも、心臓は必ず取り戻す」
鼓動を失ってから、気が遠くなるほどの長い月日。もともと不老不死の一族である。心臓を失っても、人の血があれば生き永らえることができた。
これまでは聖女の召喚に月日を費やしてきたが、ミアを糧に心臓を取り戻すことは、もうできない。
シルファが語った決意に、ベルゼの表情が動く。
「聖女を糧にせず、心臓を取り戻す? まさかーー」
「そう、そのまさかだ。私はアラディアから心臓を取り戻す」
大魔女ーーアラディア。崇高な一族を裏切った女。魔女と語り継がれているが、実際はシルファと同族の純血種である。一族を破滅に追いやり、シルファの心臓を奪い去った謀反者。
「運良く聖女を得た。ーーこれまで行方を掴むことのできなかったアラディアに餌が撒ける。ミアを囮に据え、必ず見つけ出してやる。だからもうミアを糧にすることは諦めろ。私に全面的に協力しろ、ベルゼ」
「心臓を奪われたまま大魔女に立ち向かうなど、ただの無謀です」
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