4 / 83
第一章 ミアーー高遠美亜
4:赤眼の理由と甘美な夢
しおりを挟む
温め直したシチューを皿に装いながら、ミアはさりげなく気になっていたことを口にしてみた。
「そういえば昨夜、シルファの眼が赤かった。前にも見たことあったけど、ちょっと吃驚しちゃった。どうして眼が赤くなるの?」
銀髪や紫眼は、マスティア王国では珍しいことではない。ちょっと通りを歩けば同じような人にすぐ遭遇する。この世界の環境は元の世界とさして変わらないようだが、人々の髪や瞳、肌の色には見慣れないものが多かった。
ミアはすでにシルファの容姿も見慣れているが、この世界でも、まだ赤い眼をした人には会ったことがない。血のような真紅の瞳。どんな動機で色が変化するのか知りたかった。
マスティア王国に根差している王家の始祖がヴァンパイアだという伝承。
当のシルファが人ならざる者の存在を否定するが、ミアは赤い瞳のシルファに、どうしてもヴァンパイアを連想してしまう。
「ーー前にも見たことがある?」
さりげなく訊いたつもりだったが、シルファはなぜか眉間に皺を寄せてそう問い返してきた。美しい眼差しに迫力を漲らせて、じっとミアを見据える。途端にミアは途轍もない失敗を犯したのだと悟った。昨夜以外にシルファの真紅の瞳を見たのは――。
「いつ? どこで見た?」
畳み掛けてくるシルファの目をまっすぐ見返すことができず、ミアは目を泳がせた。平静を装おうとすればするほど、顔の火照りが増す。頰を真っ赤に染めたミアの様子でおおよそのことを察したらしく、シルファが毒を含んだ微笑みを浮かべた。
「――なるほどね。……私は欲情すると目が真紅に染まる。つまり、そういうことか」
「べ、別に、見たくて見たわけじゃないし! シルファの部屋から声が聞こえたから――。そもそもそういう事するのに部屋の扉をきちんと閉めてないのが悪いんでしょ!」
シルファは何の後ろめたさもない様子で、ミアをあざ笑う。
「声? ……女の嬌声か」
ふっと小さく笑って、さっきまでの殊勝な態度が幻だったかのように、シルファがとんでもない事を豪語した。
「それにしても、酔っていたとはいえ私もついにお前に欲情するようになったのか。世も末だが、お前はどんな声で哭くんだろうね」
「――死ね。この外道が!」
頰を叩く乾いた音が、食卓に響いた。
片頬を赤く染めたシルファが、ミアが乱暴に配膳したシチューを匙で口に運ぶ。彼の肌は透きとおるように白く、ミアの目からは血色が悪く感じるほどだった。そのせいか、頬を染める手形が皮肉なほどにはっきりと浮かび上がっている。
「なんだ、これは」
煮詰めすぎて鍋の底を焦がしたシチューを一口含むと、シルファの綺麗な顔が歪んだ。
「焦げた味しかしない。何をどうやったら、こんなモノができあがるんだ」
「ちょっと焦げただけだよ」
「そもそも味がしない」
「うるさい! 黙って食べろ」
不平を唱えるシルファを一喝して、ミアはぐるぐると匙でシチューを掻きまわしてから、ぱくりと一口含む。焦げ臭さが鼻を抜けていくが、美味しそうな匂いは失われていない。
たしかに味はしない。けれど、それはこのシチューの出来がどうこうではなく、ミアの味覚の問題だった。こちらの世界に召喚されてから、ミアは味覚を失ってしまった。
代わりに少し嗅覚が研ぎ澄まされた感じはするが、味覚を完全に補えるほどのものでもない。
味見をして美味しそうな匂いを確かめても、味は保証できない。何となくシルファにも打ち明けることができず、味覚オンチまたは料理下手という不本意な立場に甘んじている。
(ーーでも、昨夜のシルファのキスは甘かった)
それはファーストキスは甘い味がするとかいう幻想ではなく、本当に味覚として感じた甘さだった。こちらの世界に来てから、夢で味わう以外には忘れていた味覚。
シルファの舌や唾液は甘い。加えて真紅に染まる瞳。
残念ながらミアにはそれがこちらの世界の常識なのかどうかは分からない。キスが甘い理由をシルファに聞くのは、どうしても憚られる。欲情すると誰もが瞳の色を変化させるのかも、やはり彼には聞きにくい。他の人で経験でも積まない限り、ミアには知る機会のないことだった。
いまのところ味覚を失ったことで、料理下手の烙印以外に困ったことも起きていない。
それでも無意識には心に負荷がかかっているのか、ミアは時折同じような夢を見る。
夢現で、蜜のように与えられる甘さ。
ミアは飢えた獣のように、その蜜を求める。
舌を伸ばして、貪るように溢れる蜜を舐める。それだけの情景だが、なぜか背徳的で甘美な印象があった。味覚がないことをシルファに打ち明けにくいのも、その夢のせいかもしれない。
そして昨夜のシルファの強引な口づけは、甘美な夢を想起させた。
「そういえば昨夜、シルファの眼が赤かった。前にも見たことあったけど、ちょっと吃驚しちゃった。どうして眼が赤くなるの?」
銀髪や紫眼は、マスティア王国では珍しいことではない。ちょっと通りを歩けば同じような人にすぐ遭遇する。この世界の環境は元の世界とさして変わらないようだが、人々の髪や瞳、肌の色には見慣れないものが多かった。
ミアはすでにシルファの容姿も見慣れているが、この世界でも、まだ赤い眼をした人には会ったことがない。血のような真紅の瞳。どんな動機で色が変化するのか知りたかった。
マスティア王国に根差している王家の始祖がヴァンパイアだという伝承。
当のシルファが人ならざる者の存在を否定するが、ミアは赤い瞳のシルファに、どうしてもヴァンパイアを連想してしまう。
「ーー前にも見たことがある?」
さりげなく訊いたつもりだったが、シルファはなぜか眉間に皺を寄せてそう問い返してきた。美しい眼差しに迫力を漲らせて、じっとミアを見据える。途端にミアは途轍もない失敗を犯したのだと悟った。昨夜以外にシルファの真紅の瞳を見たのは――。
「いつ? どこで見た?」
畳み掛けてくるシルファの目をまっすぐ見返すことができず、ミアは目を泳がせた。平静を装おうとすればするほど、顔の火照りが増す。頰を真っ赤に染めたミアの様子でおおよそのことを察したらしく、シルファが毒を含んだ微笑みを浮かべた。
「――なるほどね。……私は欲情すると目が真紅に染まる。つまり、そういうことか」
「べ、別に、見たくて見たわけじゃないし! シルファの部屋から声が聞こえたから――。そもそもそういう事するのに部屋の扉をきちんと閉めてないのが悪いんでしょ!」
シルファは何の後ろめたさもない様子で、ミアをあざ笑う。
「声? ……女の嬌声か」
ふっと小さく笑って、さっきまでの殊勝な態度が幻だったかのように、シルファがとんでもない事を豪語した。
「それにしても、酔っていたとはいえ私もついにお前に欲情するようになったのか。世も末だが、お前はどんな声で哭くんだろうね」
「――死ね。この外道が!」
頰を叩く乾いた音が、食卓に響いた。
片頬を赤く染めたシルファが、ミアが乱暴に配膳したシチューを匙で口に運ぶ。彼の肌は透きとおるように白く、ミアの目からは血色が悪く感じるほどだった。そのせいか、頬を染める手形が皮肉なほどにはっきりと浮かび上がっている。
「なんだ、これは」
煮詰めすぎて鍋の底を焦がしたシチューを一口含むと、シルファの綺麗な顔が歪んだ。
「焦げた味しかしない。何をどうやったら、こんなモノができあがるんだ」
「ちょっと焦げただけだよ」
「そもそも味がしない」
「うるさい! 黙って食べろ」
不平を唱えるシルファを一喝して、ミアはぐるぐると匙でシチューを掻きまわしてから、ぱくりと一口含む。焦げ臭さが鼻を抜けていくが、美味しそうな匂いは失われていない。
たしかに味はしない。けれど、それはこのシチューの出来がどうこうではなく、ミアの味覚の問題だった。こちらの世界に召喚されてから、ミアは味覚を失ってしまった。
代わりに少し嗅覚が研ぎ澄まされた感じはするが、味覚を完全に補えるほどのものでもない。
味見をして美味しそうな匂いを確かめても、味は保証できない。何となくシルファにも打ち明けることができず、味覚オンチまたは料理下手という不本意な立場に甘んじている。
(ーーでも、昨夜のシルファのキスは甘かった)
それはファーストキスは甘い味がするとかいう幻想ではなく、本当に味覚として感じた甘さだった。こちらの世界に来てから、夢で味わう以外には忘れていた味覚。
シルファの舌や唾液は甘い。加えて真紅に染まる瞳。
残念ながらミアにはそれがこちらの世界の常識なのかどうかは分からない。キスが甘い理由をシルファに聞くのは、どうしても憚られる。欲情すると誰もが瞳の色を変化させるのかも、やはり彼には聞きにくい。他の人で経験でも積まない限り、ミアには知る機会のないことだった。
いまのところ味覚を失ったことで、料理下手の烙印以外に困ったことも起きていない。
それでも無意識には心に負荷がかかっているのか、ミアは時折同じような夢を見る。
夢現で、蜜のように与えられる甘さ。
ミアは飢えた獣のように、その蜜を求める。
舌を伸ばして、貪るように溢れる蜜を舐める。それだけの情景だが、なぜか背徳的で甘美な印象があった。味覚がないことをシルファに打ち明けにくいのも、その夢のせいかもしれない。
そして昨夜のシルファの強引な口づけは、甘美な夢を想起させた。
0
お気に入りに追加
450
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【本編完結】五人のイケメン薔薇騎士団団長に溺愛されて200年の眠りから覚めた聖女王女は困惑するばかりです!
七海美桜
恋愛
フーゲンベルク大陸で、長く大陸の大半を治めていたバッハシュタイン王国で、最後の古龍への生贄となった第三王女のヴェンデルガルト。しかしそれ以降古龍が亡くなり王国は滅びバルシュミーデ皇国の治世になり二百年後。封印されていたヴェンデルガルトが目覚めると、魔法は滅びた世で「治癒魔法」を使えるのは彼女だけ。亡き王国の王女という事で城に客人として滞在する事になるのだが、治癒魔法を使える上「金髪」である事から「黄金の魔女」と恐れられてしまう。しかしそんな中。五人の美青年騎士団長たちに溺愛されて、愛され過ぎて困惑する毎日。彼女を生涯の伴侶として愛する古龍・コンスタンティンは生まれ変わり彼女と出逢う事が出来るのか。龍と薔薇に愛されたヴェンデルガルトは、誰と結ばれるのか。
この作品は、小説家になろうにも掲載しています。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました
平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。
騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。
そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる