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第八章:怪異のもたらす手掛かり

40:藤模様の柄鏡

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「さっき火を放った時、すこし気になる感じがあった」

 遭遇した怪異の衝撃で、葛葉くずはの足は小刻みに震えていた。遅れてはいけないと気持ちをふるいたたせて、動かない足に喝をいれる。

「卓の下ですか?」

 わざと静けさをはらうように声を出しながら、葛葉くずは可畏かいの隣へ歩み寄る。

 小卓の下にランプの灯りを当てながら、おそるおそる彼を真似るようにしてのぞき込んだ。

 板張りの床が、小さく腐り落ちて抜けている。可畏かいが素早く小卓を退かして、抜けた穴の下を確認した。葛葉くずははあわてて床下の穴をランプで照らす。

「あ!」

 穴の底で鈍く反射する光があった。可畏かいが抜けた穴に腕を差し込んで、光っているものをとりあげる。

「なるほど、これか」

 葛葉くずは可畏かいの手に握られたものを見つめた。何か恐ろしいものかもしれないと想像していたが、彼が床下から拾い上げたのは柄鏡えかがみだった。

「鏡……ですか?」

「ああ、銅鏡だな」

「銅鏡なら、新しいものではないですね」

 昨今では店舗に並んでいる柄鏡はガラス製のものが多い。銅鏡となると葛葉くずはの祖母くらいの女性の持ち物だろう。鏡面の裏側には藤の模様が施されている。最近まで手入れされていたのか、緑青ろくしょうなどはなく綺麗だった。

「藤の模様が綺麗ですね」

「大切にされてきたものだろうな。おそらくこれは付喪神つくもがみだろう」

「この柄鏡えかがみが?」

「異能の火を放った時に、引っかかる気配があった。それに、ここは鬼火の出た場所だ。こんなところに残されていることが偶然だとは考えにくい。何かの手がかりになるかもしれない」

「でも付喪神つくもがみなら、立派な妖なのでは?」

「そうだ。だからこそ、何かを導く可能性がある」

「悪いものではないのですか?」

「わからない。時と場合による……」

 可畏かいの声と重なるように、遠くで歌う声がした。

 おいでよ おいで 街道を
 おいでよ おいで 灯りのもとへ
 迷子になってはいけないよ

「御門様、歌声が……」

「聞こえている。あの時の歌だな」

 自身の懐に柄鏡をしまうと、可畏かいが速やかに戸口へ歩み寄った。葛葉くずはも息を潜めるようにして彼の後につづく。

葛葉くずは、ランプを消せ」

「はい」

 素早く灯りをおとして、葛葉くずはも開けたままの引き戸の影に身を潜めた。可畏かいに倣って、顔だけを出して表をうかがう。

 暗がりに廃屋が並ぶ細い夜道。その向こう側にぼんやりとした光が見える。
 ゆらりゆらりと揺れながら、こちらに近づいてくる灯り。

 遠目には提灯のようにも感じられるが、葛葉くずはは鬼火だと確信していた。こんな夜更けに町外れの荒屋を訪れる者などいないのだ。

 そして、しんとした闇の中に響く瓏々とした唄声。

 
 おいでよ おいで 細道を
 おいでよ おいで 井戸ばたに
 つもる話をきかせておくれ

 おいでよ おいで わたしのもとへ
 おいでよ おいで 熾火しきびのそばへ
 灯りが消えたら さようなら


 道の向こうで、炎の尾を引く小さな塊が赤くゆらゆらと揺れている。少しずつ葛葉くずはたちの潜む廃屋に近づいていた。まだ距離が遠いのか人影は見えない。ただ赤い火が命の灯火ともしびを映すように燃えている。

 ゆるゆると迫ってくる鬼火を前に、葛葉くずはは動悸が激しくなる。


 おいでよ おいで 街道を
 おいでよ おいで 灯りのもとへ
 迷子になってはいけないよ


 歌声はより明瞭になり、鬼火も鮮やかに見える。葛葉くずはは鬼の姿を確認しようと目を凝らすが、やはり人影は見えない。夜の闇と同化しているのか、鬼火だけが不自然に浮遊しているように見える。

 火の玉はどんどん近づいてくるが、歌声が迫るほど、そこには誰もいないということが明らかになった。鬼火は誰も照らし出さない。火だけが煌々と灯って、こちらへやって来る。

 動悸と息苦しさに耐えながら様子をうかがっていると、すこし身動きした葛葉くずはの手の先に、何かが引っかかる気配があった。

「!?」

 びくりとして振り返るが、土間についた手には何もない。
 どうやら蜘蛛の巣にでも触れたのだろう。
 ほっとしながら葛葉くずはは再び戸外の鬼火に目を向けた。


 おいでよ おいで 細道を
 おいでよ おいで 井戸ばたに
 つもる話をきかせておくれ


 歌声とともに、ゆっくりと小道をすすむ小さな炎。いくつかの鬼火が、交わることなく炎をたなびかせている。二人がひそむ戸口にもその明かりが届きはじめた。

 土間に可畏かいの影が落ちている。鬼火のゆらめきに合わせて、薄い影がせわしなく揺れ動いていた。


 おいでよ おいで わたしのもとへ
 おいでよ おいで 熾火しきびのそばへ
 灯りが消えたら さようなら

 
 葛葉くずはがますます高まる動悸を感じていると、ふたたび指先に蜘蛛の巣が触れたようだった。間近に迫る鬼火から意識を逸らすことができず、またかという思いで葛葉くずはは払いのけようと手を動かした。

 視線をむけずとも伝わる、煩わしい指先の感覚。
 細い蜘蛛の糸はひつこく、なかなかまとわりつくものがほどけない。

 ――ねぇ……

 とつぜん、耳元で誰かが囁いた。細い針で全身を貫かれたように、ぞくりと悪寒が走る。
 葛葉くずはは自分の指先にからんでいたものを、ようやく理解する。

 長く黒い頭髪だった。

「あ……」

 這うように土間に広がる人の髪。ぞろぞろと不規則に長く伸びている。
 蜘蛛の巣ではなかったことに気づくが、遅かった。広がる頭髪が葛葉くずはの腕を這いあがり、絡みついてくる。

 ――鏡……

 囁くような声に耳をなでられ、ひゅっと胸がすくんだ。
 闇の中からぬっと現れた白い顔。葛葉くずはの肩越しに女がにたりと笑っている。

 ――鏡を……

葛葉くずはっ!」

 悲鳴をあげるより早く、可畏かいの蒼い炎が土間に炸裂した。





 清浄な蒼い炎が一閃するのを見て、葛葉くずははとっさに悲鳴をのみこんだ。

 怪異に戦慄する情けない姿をさらさずにすんだが、そんな強がりもすぐ暴かれてしまう。
 腰が抜けていたのだ。

「大丈夫か? 葛葉くずは

 可畏かいがすぐに手を貸してくれる。差し伸べられた手をたよりに立ち上がり、葛葉くずはは自身の不甲斐なさを噛み締めた。

「申し訳ありません、御門様」

「謝るな。慣れていないのだから仕方がない。それより……」

 可畏かいが戸外に目を向ける。ゆるゆると鬼火が舞い、その炎を従えるかのように一人の女が立っていた。

たえさん?」

 白い肌が鬼火に赤く照らされている。凛とした立ち姿が美しいうりざね顔の女性。
 白装束を身にまとい、黒髪が地面にひきずるほど長い。土間に広がっていた頭髪は跡形もなくなっているが、彼女のものだったのだろう。

 襲いかかって来ることはなく、ひっそりと佇んでこちらを伺っている。葛葉くずは可畏かいの懐にしまわれた柄鏡を思い出す。

「御門様。もしかして、鏡と何か関係が?」

 可畏かいの返答よりもさきに女が動いた。すうっと白い腕をあげて、どこかを指し示している。


 おいでよ おいで 細道を
 おいでよ おいで 井戸ばたに
 つもる話をきかせておくれ

 
 澄んだ歌声が夜道にとけていく。つっと女が長屋を離れるように歩きだした。数歩すすむと、再びこちらを見返って、行き先を示すかのように腕をあげて夜道を指し示す。

 どうやら何か伝えたいことがあるようだった。

葛葉くずは、歩けるか?」

 可畏かいも女の意図を察したらしい。葛葉くずはは頷いた。

「はい、大丈夫です」

 二人が戸外へ出て女を追うと、こちらを見かえっていた女の姿がすうっと消え失せた。後には鬼火だけが漂っている。炎はくるりくるりと辺りを旋回すると、ゆっくりと廃屋のならぶ細い道をすすみはじめた。

「行こう、葛葉くずは

「はい」

 葛葉くずは可畏かいとともに、鬼火の後を追った。
 二人を導くように、伸びやかな歌声だけが聴こえる。

 
 おいでよ おいで 街道を
 おいでよ おいで 灯りのもとへ
 迷子になってはいけないよ

 おいでよ おいで 細道を
 おいでよ おいで 井戸ばたに
 つもる話をきかせておくれ

 おいでよ おいで わたしのもとへ
 おいでよ おいで 熾火しきびのそばへ
 灯りが消えたら さようなら
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