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第八章:怪異のもたらす手掛かり

39:怪異の現れる場所

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「これはシミでしょうか?」

 異なったシミが足元にじわりと滲んでいるのだ。ささくれたい草の織り目にも、何かが染み込んだように見える。

「血痕のように見えなくもないな」

 可畏かいの見立てにぞっとして、葛葉くずははシミから飛び退くように一歩後ずさった。

「血痕? でも赤くないですよ」

「血のシミがいつまでも赤いわけがない」

「そ、それはそうですが」

 葛葉くずははランプを持ち上げて、荒れ果てた室内を見渡す。六畳ほどの狭い部屋。
 吐血を伴う病に苦しむ者があったのか、あるいは何か事件でも起きたのか。

 想像を巡らせながら、ふと葛葉くずはは違和感を覚えた。

御門みかど様、こんな荒屋あばらやで子どもたちに読み書きを教えられたのでしょうか」

「ああ、たしかに不自然だな。それに子どもたちを呼ぶのに、こんな街外れの荒屋を利用するのもおかしな話だ」

「でも、前に来た時は子どもたちがいました」

 葛葉くずはがそう言い終わらないうちに、ふっと室内が暗闇に飲まれた。とつぜん石油ランプの火が落ちたのだ。

「え?」

 消えるはずのない火が消えている。葛葉くずはが手探りでランプを確かめていると、背後でじわりと湿った気配を感じた。頬にふれる生温い空気の動き。けれど、足元にはひやりとした冷気が流れ込んでいる。

 ぬるいのに、冷たい。

 ちぐはぐな肌感覚。葛葉くずははぞわりと全身が総毛立つ。
 はりつめた静寂に紛れ込む、異質な感覚。

 ――ズリ……。

 唐突な異音に、びくりと葛葉くずはの上体が揺れる。

 ――ズリ、――ズリ。

「ひっ!」

 連続する異音に、飛びあがりそうになる。誰もいない板張りの部屋から、何かを引きずるような音が聞こえる。

 ――ズリ、――ズリ。

 隣の部屋に何かいる。ぞっとした緊張で身が強ばった。
 その場に縫い付けられたように身動きできない。振り返ってたしかめる勇気がない。
 ざわざわとした不穏な気配が忍び寄ってくる。

 ――ズリ、――ズリ。

 強烈な恐れがみなぎり、葛葉くずははひゅっと心臓が縮んだ。

「大丈夫だ、後ろを見るな」

 可畏かい葛葉くずはの横から一歩進み出る。不気味な気配に囚われていた意識が、彼の気配を感じてふっと緩んだ。葛葉くずはは鬼に遭遇したのかと思い直して、背後を振り返った。

 ――あそぼう

「――っ!」

 悲鳴をあげそうになって、咄嗟に手で口元を押さえる。固く目を閉じても、刻み込まれた後継が脳裏に焼き付いていた。

 ――あそぼうよ

 ――おぎゃあぁ、おぎゃあぁ

 ――おなががすいたよぅ

 ――あそぼう

 ――おぎゃあぁ、おぎゃあぁ

 さっきまでの静寂が嘘のように、室内が子どもたちの声で満ちる。板張りの上を徘徊する無数の影。
 生まれたばかりの赤子から夜叉やしゃくらいの年齢の童子まで、おびただしい子どもの頭が暗闇の中を這い回って、ざわざわと騒いでいた。

 葛葉くずはは一目散に逃げだしたい衝動に駆られたが、可畏かいの気配を頼りにぐっと踏ん張る。

(ここでわたしが泣き言を言っている場合じゃない)

 特務隊の一員として役に立ちたいのだ。異形や妖を相手にするというのは、怪異と向き合うことでもある。

「怖いのか? 耐えられないなら戻るか?」

 可畏かいの気遣うような声に、葛葉くずはは思いきり首を横にふる。

「大丈夫です! わたしにとっては、すべて貴重な経験です」

 覚悟を決めて目前の光景を見据える。ざわりと肌が粟立つのを感じながら、葛葉くずはは視界に広がる状況を受け入れようと仔細に眺めた。

 暗がりでうごめく数多の影。黒い頭髪と、白い顔。天地の境がないかのように、さかさまに転がっている頭もあった。泣いたり笑ったり、うめいたり、法則性のない声がざわざわとした喧騒を思わせる。

 よく見えないことが、余計に恐れをかき立てる。
 暗闇の中を這い回るちいさな頭。目を凝らしても、どこを見ているのかもわからない不気味な表情の群れ。

 葛葉くずはが気持ちを奮い立たせていると、いきなり蒼い光が室内を覆い尽くした。
 明るさに目が慣れず咄嗟にうつむくと、二間の部屋が蒼い炎で覆われていることに気づく。

羅刹らせつ業火ごうか?)

 葛葉くずはの記憶の火災とは異なる炎。あたりが燃え落ち、焼き尽くすような凄惨さはない。ただ辺りを蒼く染めて消えていく。

 蒼い火が過ぎ去ると、ふたたび真っ暗な闇と静寂が戻った。
 さっきまで騒然としていた子どもの気配が失われている。

「ランプを灯せ」

「あ、はい!」

 動じることのない可畏かいの声に促されて、葛葉くずはは手元のランプをつける。何事もなかったように、ランプの灯りが室内を照らした。入ってきた時と同じ、小さな卓以外には何もない。

御門みかど様が調伏されたのですか?」

「いや、ああいうものは調伏できない。妖といえばそうなのかもしれないが、誰かに憑いているわけでもなく、ただそこに現れるだけのものだ。異能の炎で一時的に蹴散らすことができても、また集まってくる」

「さっきのは、いったい……?」

 答えを求めて可畏かいの顔を仰ぐと、辺りを見回していた赤い眼が葛葉くずはをとらえた。

「赤子の霊が集団で現れるという例は、時折ある。自分が死んだことを理解しないまま、気持ちのようなものだけが留まっているのかもしれない。成仏させてやることができればいいが……」

御門みかど様にもできないことがあるのですか」

「異能が怪異に万能なわけではない。なんでもできると思うのは傲慢で、なにより危険だ。それは肝に銘じておけ」

「はい」

 可畏かいは畳敷きの部屋から、板張りの部屋へと戻る。小さな卓に歩み寄ると、卓の下を覗き込むように身を屈めた。

御門みかど様? そこに何か?」
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