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第八章:怪異のもたらす手掛かり
38:廃屋の中
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可畏がこちらを見てうなずく。葛葉をいたわるような眼差しだった。
「妙は病がちで最近では床に臥していることが多いという話だ。明日、本人を訪ねてみようと思うが……」
「では、長屋で見たのは、やっぱり鬼なんですね」
羨ましいと憧れた女性の正体。
葛葉は自分が落胆していることに気づいて、ようやく可畏の視線の意味を理解する。
「長屋から出てきた女は鬼火を従えていた。鬼でまちがいないだろう」
「御門様は鬼を見たんですか?」
「ああ。おまえが異形に襲撃されていた時だ。気配を悟られて取り逃した」
「御門様が?」
百戦錬磨の可畏が、理由もなく失敗するとは思えない。葛葉はすぐに思い至る。
「もしかして、わたしのせいで?」
申し訳ない気持ちが顔に出ていたのか、可畏が困ったように笑う。
「私の不注意だ。いちいち気にするな」
「お役に立つどころか足手まといで、申し訳ありません」
「だから、おまえのせいじゃない」
可畏は少し歩調を落とすと、真っ直ぐに葛葉を見つめた。
「それに申し訳ないと思う暇があるなら、まず自分の役割を果たすことを考えろ。余計な後悔や呵責を抱える前に、おまえには成すべきことがある」
「はい」
可畏は変わらず進む道を示してくれる。まだ自分を信じてくれているのだ。葛葉は力強い叱責に身が引き締まる。自身の是非を問う前に、期待に答える機会があるのなら無駄にはしたくない。
「余計なことは考えず、目の前の任務に邁進いたします」
意気込みのまま、葛葉は手をあげて敬礼する。気持ちを切り替えようとする気概が伝わったのか、可畏は頷いてくれた。
「鬼火を追うぞ」
「はい」
再び早足になると、可畏は振り返ることもなく、町屋の並ぶ大通りから街外れへと進む。月明かりを頼りに、しばらく無言で歩いた。草むらから虫の音が聞こえる。
踏みならされただけの剥き出しの地面に、ざりざりと二人の足音がひびいた。家屋がまばらになり、雑木林と寂れた廃屋がほどなく視界に入ってくる。人の気配の絶えた長屋の黒い影。
街道からそれた細い道へはいり、二人はさらに裏通りをすすむ。
雨風にさらされ、荒屋へと風化した心もとなさが、夜の闇の中では魑魅魍魎をよびそうな迫力へと変貌する。
今にも戸口の向こうから、何か不気味なものが顔を覗かせそうだった。
「誰もいませんね」
暗闇の迫力に耐えきれず、葛葉は小声をだす。
「もしかして怖いのか?」
「こ、怖くはありません」
否定する声が上ずってしまう。ふっと笑う可畏の気配がした。
「無理するな。夜道にもそのうち慣れる」
「……はい」
簡単に見抜かれて、葛葉は不甲斐ない気持ちをはらうように、しっかりと辺りを見回した。廃屋の周りには月明かりが届きにくいのか、視界が闇に染まって見わけにくい。手には石油ランプがあるが、可畏からは灯す指示がなかった。
灯りのない心もとなさが夜道の暗がりを余計に深くする。
(でも、鬼火を追うなら、手元は暗い方がいい)
視野へ入った光に反応しやすくなる。
可畏からの指示がないのも、そういうことなのだ。ひとりで納得していると、前を進んでいた可畏がふたたび葛葉を振りかえった。
「恐ろしいのなら、ランプに火を入れろ」
「いえ。大丈夫です。暗がりに目を慣らしておきたいですし」
「私は夜目が効く方だが、見にくいなら明るくしてもかまわない」
「はい。でも私も鳥目ではありません。それに、もう妙さんに化けた鬼がいた長屋が近いのでは?」
「ああ。あの家だ」
可畏が数軒先の戸口を視軸でしめす。
なんとなくの場所は覚えていたが、日中と夜間ではまるで印象が違っていた。葛葉ひとりなら、見過ごしていただろう。
昼間に訪れた時は、子どもたちが軒先に出て座り、妙も屋外で三味線を奏でていた。荒屋となった長屋の中で、そこだけ手入れされているように感じたが、賑やかな人の気配がそう錯覚させたのだろうか。
今は夜の闇によって些細な違いが包まれ、目隠しをするように全てを同じに見せている。
人の気配のない、さびれた家屋。
可畏について戸口の前までたどりついても、中に灯りはなく静まり返っている。可畏は迷わず閉ざされた引き戸に手をかけた。想像以上にたてつけが悪く、がたがたとした摩擦に阻まれる。
前に見た時は入り口が開け放たれていて気づかなかったが、歪んだ戸口にも年季を感じた。
可畏がようやく引き戸を全開にすると、室内は完全な闇だった。葛葉が月明かりの届かない暗黒に目を慣らそうとしていると、戸口からつづく土間へ入った可畏の声がした。
「かまわない。ランプをつけろ」
「あ、はい!」
火をいれると、室内の様子が明らかになる。ランプひとつで見渡せるような、二間の小さな家だった。
台所となっている狭い土間をぬけて、可畏は板張りの部屋へあがる。
ぎっぎっと、老朽化した床が可畏の歩調を知らせた。
室内には何もなかった。そう感じるほど閑散としている。 実際には小さな卓があったが、捨て置かれた様子が廃屋に馴染んで存在感を失くしていた。
ところどころ腐敗したのか、床が抜けている。捲れ上がったところや、削れて床下を見せている箇所もあった。
板張りの部屋からつづくもう一間には畳が敷かれている。畳はささくれて黒ずみ、見る影もない。ランプをちかづけると、ところどころ色褪せた、い草の色が残っていた。
「あれ?」
畳の黒ずみを端から視線でたどっていると、葛葉の足元にまでつながってくる。畳縁の変色は顕著で、そこからは褐色に染まっていた。
朽ちたい草が黒ずんでいる様子とは、明らかに違いがあった。
「妙は病がちで最近では床に臥していることが多いという話だ。明日、本人を訪ねてみようと思うが……」
「では、長屋で見たのは、やっぱり鬼なんですね」
羨ましいと憧れた女性の正体。
葛葉は自分が落胆していることに気づいて、ようやく可畏の視線の意味を理解する。
「長屋から出てきた女は鬼火を従えていた。鬼でまちがいないだろう」
「御門様は鬼を見たんですか?」
「ああ。おまえが異形に襲撃されていた時だ。気配を悟られて取り逃した」
「御門様が?」
百戦錬磨の可畏が、理由もなく失敗するとは思えない。葛葉はすぐに思い至る。
「もしかして、わたしのせいで?」
申し訳ない気持ちが顔に出ていたのか、可畏が困ったように笑う。
「私の不注意だ。いちいち気にするな」
「お役に立つどころか足手まといで、申し訳ありません」
「だから、おまえのせいじゃない」
可畏は少し歩調を落とすと、真っ直ぐに葛葉を見つめた。
「それに申し訳ないと思う暇があるなら、まず自分の役割を果たすことを考えろ。余計な後悔や呵責を抱える前に、おまえには成すべきことがある」
「はい」
可畏は変わらず進む道を示してくれる。まだ自分を信じてくれているのだ。葛葉は力強い叱責に身が引き締まる。自身の是非を問う前に、期待に答える機会があるのなら無駄にはしたくない。
「余計なことは考えず、目の前の任務に邁進いたします」
意気込みのまま、葛葉は手をあげて敬礼する。気持ちを切り替えようとする気概が伝わったのか、可畏は頷いてくれた。
「鬼火を追うぞ」
「はい」
再び早足になると、可畏は振り返ることもなく、町屋の並ぶ大通りから街外れへと進む。月明かりを頼りに、しばらく無言で歩いた。草むらから虫の音が聞こえる。
踏みならされただけの剥き出しの地面に、ざりざりと二人の足音がひびいた。家屋がまばらになり、雑木林と寂れた廃屋がほどなく視界に入ってくる。人の気配の絶えた長屋の黒い影。
街道からそれた細い道へはいり、二人はさらに裏通りをすすむ。
雨風にさらされ、荒屋へと風化した心もとなさが、夜の闇の中では魑魅魍魎をよびそうな迫力へと変貌する。
今にも戸口の向こうから、何か不気味なものが顔を覗かせそうだった。
「誰もいませんね」
暗闇の迫力に耐えきれず、葛葉は小声をだす。
「もしかして怖いのか?」
「こ、怖くはありません」
否定する声が上ずってしまう。ふっと笑う可畏の気配がした。
「無理するな。夜道にもそのうち慣れる」
「……はい」
簡単に見抜かれて、葛葉は不甲斐ない気持ちをはらうように、しっかりと辺りを見回した。廃屋の周りには月明かりが届きにくいのか、視界が闇に染まって見わけにくい。手には石油ランプがあるが、可畏からは灯す指示がなかった。
灯りのない心もとなさが夜道の暗がりを余計に深くする。
(でも、鬼火を追うなら、手元は暗い方がいい)
視野へ入った光に反応しやすくなる。
可畏からの指示がないのも、そういうことなのだ。ひとりで納得していると、前を進んでいた可畏がふたたび葛葉を振りかえった。
「恐ろしいのなら、ランプに火を入れろ」
「いえ。大丈夫です。暗がりに目を慣らしておきたいですし」
「私は夜目が効く方だが、見にくいなら明るくしてもかまわない」
「はい。でも私も鳥目ではありません。それに、もう妙さんに化けた鬼がいた長屋が近いのでは?」
「ああ。あの家だ」
可畏が数軒先の戸口を視軸でしめす。
なんとなくの場所は覚えていたが、日中と夜間ではまるで印象が違っていた。葛葉ひとりなら、見過ごしていただろう。
昼間に訪れた時は、子どもたちが軒先に出て座り、妙も屋外で三味線を奏でていた。荒屋となった長屋の中で、そこだけ手入れされているように感じたが、賑やかな人の気配がそう錯覚させたのだろうか。
今は夜の闇によって些細な違いが包まれ、目隠しをするように全てを同じに見せている。
人の気配のない、さびれた家屋。
可畏について戸口の前までたどりついても、中に灯りはなく静まり返っている。可畏は迷わず閉ざされた引き戸に手をかけた。想像以上にたてつけが悪く、がたがたとした摩擦に阻まれる。
前に見た時は入り口が開け放たれていて気づかなかったが、歪んだ戸口にも年季を感じた。
可畏がようやく引き戸を全開にすると、室内は完全な闇だった。葛葉が月明かりの届かない暗黒に目を慣らそうとしていると、戸口からつづく土間へ入った可畏の声がした。
「かまわない。ランプをつけろ」
「あ、はい!」
火をいれると、室内の様子が明らかになる。ランプひとつで見渡せるような、二間の小さな家だった。
台所となっている狭い土間をぬけて、可畏は板張りの部屋へあがる。
ぎっぎっと、老朽化した床が可畏の歩調を知らせた。
室内には何もなかった。そう感じるほど閑散としている。 実際には小さな卓があったが、捨て置かれた様子が廃屋に馴染んで存在感を失くしていた。
ところどころ腐敗したのか、床が抜けている。捲れ上がったところや、削れて床下を見せている箇所もあった。
板張りの部屋からつづくもう一間には畳が敷かれている。畳はささくれて黒ずみ、見る影もない。ランプをちかづけると、ところどころ色褪せた、い草の色が残っていた。
「あれ?」
畳の黒ずみを端から視線でたどっていると、葛葉の足元にまでつながってくる。畳縁の変色は顕著で、そこからは褐色に染まっていた。
朽ちたい草が黒ずんでいる様子とは、明らかに違いがあった。
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