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第七章:花嫁の記憶と夜叉

34:異能の大前提

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 当初の混乱からは立ち直ったのか、葛葉くずはは思いのほか気丈に事情を語る。彼女は何かを隠したり、取り繕うような狡賢ずるがしこさを持ち合わせていない。どんな悪事や汚点であっても、全てを告白する覚悟が決まっているのだ。

 ひととり葛葉くずはがつまびらかにした内容を聞いてから、可畏かいは端的に思ったことを伝えた。

「おまえの話では、異能の大前提が崩れてしまう。異能は人を焼かない」

「でも、わたしの放った火は人を焼きました」

 力強く訴えてから、葛葉くずはがぐっと奥歯を噛み締めているのがわかる。どのような理由をつけても、彼女にとっては殺人の記憶なのだ。可畏かいには異能が人を焼くとは思えない。彼女の中に蘇った情景が殺人だとは受け入れがたいが、葛葉くずはにとっては異能の大前提を信じることが難しいようだった。

「わたしは人殺しです。罰を受ける必要があります。」

 殺人者という烙印が耐え難いのか、みるみる葛葉くずはの瞳が潤む。隠すように俯いても、ぱたりとこぼれ落ちる涙が光った。

「だから、わたしは羅刹らせつの花嫁ではありません。何かの間違いです。せっかく引き立てていただいたのに、お役に立てず申し訳ありません」

 震える声で、葛葉くずはが一息に詫びる。可畏かいは繰り返した。

「異能が人を焼くことはない。おそらくそれは異形だ」

 葛葉くずはは首を横にふる。

「人でなければ、後に残った遺骨の説明がつきません。異能で焼かれた異形がどうなるのか。御門みかど様が一番ご存知のはずです」

 たしかに異形であるなら、異能に焼かれて残るのは黒い骸である。多くの異形を討伐してきた可畏かいですら、白骨のような遺骨になるのは見たことがなかった。葛葉くずはが炎を放ってきた者が異形であったと断じるには、辻褄があわない。

「それに、いつも友だちが傍にいました。わたしを見て恐れる目を覚えています」

 嗚咽をこらえて気丈に震える声をおさえているが、彼女の俯いた顔からたえまなく涙が落ちている。

葛葉くずは……」

 痛々しい様子を見ているのはやるせない。なんとか彼女の抱えた重荷を軽くしてやりたいが、彼女の体験と異形の討伐では、埋めることのできない齟齬があるのも、また事実だった。

 人真似をする異形とは、意志の疎通ができない。異形であったなら、傍に慕っていた子どもがいたことも不自然なのだ。彼女の体験のすべてを異形の仕業だったと裏付けるのは難しい。

 それでも、可畏かいは彼女の罪に塞がれた道へ逃げ道を作ってやりたかった。
 彼女の祖母の素性について、明かさずにいられれば良いと考えていたが、今はその札を切るしかないだろう。

「おまえが火を放った者が、人なのか異形なのかは、その記憶だけでは判断がつかない。だが、火災で祖母を失うまで、帝はずっとおまえの所在を掴んでいた。帝の手の内にありながら、殺人が容認されることはない」

「それは天子様もご存知なかっただけで……」

「考えにくいな。おまえの祖母は帝が使役していたのだから」

「え?」

 葛葉くずはが涙に濡れた顔をあげた。まるで翻訳できない異国の言語を聞いたように、表情に戸惑いが浮かんでいる。

「話さずにすむならそうしたかったが……。おまえの祖母は、玉藻たまもと同じように帝が使役している妖だ。おまえを守るように帝の命を受けていた」

「そんな……」

 彼女の中で、さっきまでの苦悩とは別の葛藤が芽生えたのだとわかる。殺人への呵責と肉親の正体。どちらも受け止めることが負担であることは変わらない。それを天秤にかける残酷さを思いながらも、可畏かいには他に彼女の錘を軽くするすべがなかった。

「おまえの記憶によると、祖母が犠牲になった者の遺骨を寺院へ収めていた」

「……はい」

「つまり、おまえの犯した罪を知っていた」

「はい」

「そうであれば、使役している帝も知っていたはずだ」

「でも……」

 明かされた事実にまだ心が追いついていないが、彼女の涙は止まっていた。

「でも御門みかど様。それが本当なら、いま祖母はどこに? どうしてわたしの前から姿を消したんですか?」

「わからない。あの火災から帝も尾崎おさき……おまえの祖母の行方を見失っている」

 葛葉くずはがふたたび泣き出しそうな目で、可畏かいを睨んだ。

御門みかど様、本当のことを話してください」

「私は何も嘘をついていない」

「でも、御門みかど様の話は都合がよすぎます。あの火災も、わたしの放った火が家へうつった。もしかするとおばあちゃんもわたしの火で……」

「それは違うよ」

 可畏かいが遮るより早く、夜叉の声があっさりと葛葉くずはの抱いた憶測を否定した。いつのまにかカレー鍋は綺麗に空になっている。大釜にも米粒ひとつ残っていない。

可畏かい尾崎おさきのことを明かしたのなら、ぼくからも葛葉くずはに伝えられることがある」

 夜叉が口周りの汚れをぺろりと舐めとると、可畏かいを見て笑う。

「知っていることは話せと言ったよね」

 可畏かいが頷くと、夜叉は「よし」と張り切った声をだした。
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