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第六章:鬼火と異形

30:鬼火の正体

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 屋敷をはなれて、可畏かいはふたたび寂れた長屋がならぶ裏通りへと来ていた。童女のそばに葛葉くずはを残してきたことが気がかりだが、運がよければ彼女の異能に進展があるかもしれない。

 帝と玉藻が「羅刹の花嫁」と謳う能力を開花させるためには、多少の荒技も必要だった。

 葛葉くずはの身に万が一のことあっても、彼女の守りとして夜叉を解放してある。元本陣の屋敷には、特務第三隊も集っている。

 少将である四方にも事情を話して、秘密裏に童女を見張らせていた。
 よほどのことがない限り、自分が出るほどの事態には至らないだろう。

千代ちよといったか)

 山門で出会った童女。葛葉くずはは疑うことをしらないが、彼女が語るたえの話には嘘がある。

(あの童女は何者だ)

 たえには同居している子どもはいないのだ。

 日中に長屋でたえと話してから、可畏かいは念のため彼女の身辺を調べさせていた。

 たださびれた長屋で出会っただけなら、可畏かいがこれほど警戒することはなかった。
 たえと子どもたちの傍を離れたあと、葛葉くずはがあんなことを言わなければ。

(とても綺麗で素敵な人でしたね)

 それは違和感を覚えるには、十分な感想だった。

 女が一人で身を立てる難しさは、可畏かいにも想像がついた。だから、たえの話をきいて葛葉くずはが素直に称えることには、微笑ましさすら感じた。

 けれど。

 可畏かいが見たたえは、けっして綺麗な女ではなかった。これと言って特徴のない顔で、どちらかといえば容姿よりも愛嬌や朗らかさの方が魅力的な女性だった。

 葛葉くずはが意味のない世辞をいうとも思えず、あえて容姿に言及するのなら、彼女にとってはそう思うだけの何かが見えていたことになる。

(これも葛葉くずはの異能の一端か)

 可畏かいの違和感は的中した。

 長屋で子どもたちと唄っていた女は、たえであってたえではない。

 彼女が子どもたちに読み書きを教え、母親の形見の三味線で唄っていたことは事実だ。けれど最近は病がちで、雇われている商家に顔を出すこともままならず、誰かの面倒を見られるような暮らしぶりではなかった。

(私たちが見た女は、おそらく妖だ)

 妖が憑くほどの強い感情。たえという女の真実。それは恨みなのか、憎悪なのか。

葛葉くずはが知ったら、悲しむのかもしれない)

 可畏かいは日中にたえをみた長屋の前まできていた。灯りのないさびれた裏通りは、ひっそりとしている。石油ランプを持たない可畏かいの視界に、ぽうっと赤い火があった。

 荒屋の中で灯された火。障子の向こう側で、不自然に浮遊している。

 鬼火だった。

 誰かがいるはずもない家屋の中で、鬼火にてらされた黒い影がゆらめく。

 ぎっぎっと、長屋の板張りをふむ音がきこえた。
 さらりと、家屋の引き戸がひらく。

 三味線を抱えた女が、人気のない裏通りへでてきた。
 可畏かいは隣接する家屋に身を潜めるようにして、様子をうかがう。


 おいでよ おいで 街道を
 おいでよ おいで 灯りのもとへ
 迷子になってはいけないよ


 歌声はかわらず美しかった。爪弾かれた三味線が夜空の静けさにとけていく。ゆっくりと歩みはじめた女に付き従うように、ぽうっと咲いた鬼火が浮遊している。


 おいでよ おいで 細道を
 おいでよ おいで 井戸ばたに
 つもる話をきかせておくれ


 妖を放置しても良い結末は生まない。わかっているのに、可畏かいは女の後ろ姿を見送っていた。

 たえを羨ましいと笑った葛葉くずはの気持ちを考えてしまったのかもしれない。

 鬼火を従え、夜中に徘徊を繰り返す妖。
 せめて、そんなものに成り果てる理由を知ることができたのなら。

 人の心は、葛葉くずはは、少しは救われるのだろうか。

 手を下すことをためらっていると、ひらりとさびれた裏通りに漆黒の蝶が舞った。
 火急の伝令。

 同時に葛葉くずはに施してた術が、強い衝撃を放っている。
 どちらも彼女に起きた異変を知らせているのだ。

「――!」

 不測の事態に、可畏かいが息をのむ。

(しまった……)

 動揺を殺しきれず、気配がもれてしまう。裏通りを浮遊していた鬼火が、不自然に揺れた。
 女がこちらを向いた瞬間、すうっと鬼火が消える。


 おいでよ おいで わたしのもとへ
 おいでよ おいで 熾火しきびのそばへ
 灯りが消えたら さようなら


 鬼火の後をおうように、跡形もなく女の姿が消えうせる。
 三味線の音色と美しい歌声だけが夜の闇にひろがり、やがて静寂をもたらした。
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