上 下
28 / 45
第六章:鬼火と異形

28:千代という童女

しおりを挟む
 葛葉くずはが童女に名前を聞くと、千代ちよとこたえた。ふすまをとりはらった広い部屋の座卓に向かって、大人しく座っている。

「お寺には一人できたの?」

 千代は小さくうなずいた。泣きだす様子もなく、気持ちはおちついているようだ。
 それでも隊服をまとった可畏かいや隊員には威圧感があるのか、葛葉のそばをはなれない。

 声をかける葛葉の目を、じっとみつめてくる。

(う、おもわず目をそらしたくなるけど、がまんがまん)

 ざわりとした得体のしれない不安感があるのは、これまでの習慣のせいなのだろう。

(こんな小さな子の目が怖いなんて、本当にどうにかしないと)

 子どもの無垢な視線にまで怖気づくようでは駄目だ。わかっているのに、千代の黒目がちの眼にじっと見つめられると居心地がわるい。胸がざわざわする。

 逃げだしたくなるような衝動をおさえて、葛葉は事情をきいた。
 千代の話によると、彼女はたえと一緒に住んでいるらしい。両親はおらず、妙が姉代わりになって面倒をみているようだった。

「妙さんと一緒に住んでいるのは、あなただけ?」

 千代は黙ったまま、うなずく。

 同居して生活をになうのは、勉強を見るよりもはるかに負担が大きい。千代ひとりでも大変だろう。

 まだうまく状況を説明できない千代に、葛葉は根気よく話をきく。

 どうやら妙が家に戻ってこないようだ。長屋で読み書きの時間が終わった後、彼女は仕事場に用があるからと、千代を家に送り届けてから、ふたたび出ていったという。

「でも戻ってこないから、お寺へ探しにきたと」

 妙の母親の亡骸は寺院に埋葬されたため、彼女はびたび寺院を訪れることがあったらしい。妙が戻らず心細くなった千代は、寺院にいるのではないかと山門までやってきた。

「独りで怖かったね」

 葛葉はススキ野原に囲まれた家で、戻らない祖母を迎えに外へでたことを思いだしていた。今朝にみた鮮明な夢の中で、自分は千代と同じような心細さを抱えていたのだ。

 ひととおり事情をきいて、葛葉は向かいに座っている可畏かいをみた。彼は何もいわず、指をならすような素振りをする。一瞬だけ赤い炎が見えたが、これと言ってなにも変化はない。

 可畏かいは立ちあがると、葛葉に指示をだす。

「葛葉はその娘と食事でもしていろ」

「はい」

 食事といわれて、葛葉は急激に空腹をかんじる。巡回でずっと歩き回っていたせいだろう。

「でも、御門みかど様は?」

「わたしは見回りもかねて、妙が自宅に戻っていないか確認してくる」

 まだ日没後から、それほど時間もたっていない。妙はすでに一人前の女性である。失踪や行方不明だと決めつけるには早かった。

「わかりました」

「とりあえずここは安全だ」

「はい」

 可畏かいは踵を返しながら、思い出したように葛葉を振りかえった。

「おまえ、あまり食いすぎるなよ」

「え?」

 意外な指示に戸惑ったが、葛葉はハッと気づいた。

(この空腹は……)

 可畏かいは何もいうなと言いたげに、口元に指をたてる。葛葉は喉まで出かかった言葉をのみこんでうなづいた。状況を察した葛葉に、可畏かいは不敵な笑みをかえしてくる。

「では、いってくる」

「はい」

 隊服の長い上着がひるがえると、かすかに良い香りがした。異国の香水はまだ庶民には手の届かない贅沢品である。

 照れたり笑ったり、自分と何も変わらない彼の側面にふれて親しみを抱いていたが、葛葉とは住む世界が違う。彼は公爵家の当主なのだ。

 あらためて特務部の一員として関われる幸運を無駄にしてはいけないと、身がひきしまる。
 葛葉は巡回にでる可畏かいを見送ってから、ふたたび千代に目を向ける。

「もう夜だし、お腹がすいているよね」

 屋敷の台所から食事を調達しようと立ちあがると、ふわりと香辛料の匂いが漂ってきた。隊員が広間まで膳を運んできたのだ。

「カレーライス!」

 帝都では人気があり、洋食屋が軒をつらねるようになってから、ますます流行っていた。

 ただ、奥の上段の間で夜叉に用意された時の量とは異なり、食事は山盛りにはなっていない。
 刺激的な香りにつつまれて、葛葉は今にも鳴りだしそうな腹の虫を意識した。

(この、空腹感……)

 原因がわかっていれば、耐えられる。可畏かいは守りとして、ふたたび夜叉を開放してから出ていったのだ。姿が見えないのは、千代を驚かせない配慮だと認識していた。

 葛葉はあどけない童女に笑顔をむける。

「冷めるから、食べようか」

 こちらを見る黒目がちの瞳に、笑みがやどる。けれど、笑顔がぎこちない。カレーライスを前にして、はしゃぐような素振りもない。

(もしかして、食べ慣れてないのかな)

 あるいはまだ警戒しているのか、それとも遠慮をしているのか。
 推しはかれないまま、葛葉は自身の空腹感をやりすごしながら、童女の気持ちを和らげようと努める。

「おいしいよ、ほら」

 ゆっくりとひとすくいを食べてみせた。千代はようやく手元のカレーに目を向けて、葛葉の真似をするように食べはじめた。カレーを頬張ると、すこし気持ちがゆるんだのか、無心で口にはこぶ。

(よかった、嫌いなわけじゃなかったみたい)

 黙々とカレーを食べる千代に安堵して、葛葉も食事をとる。

(おいしいけど……)

 夜叉の影響なのか、まったく腹が満たされない。おかわりしたくなる気持ちを抑えて、千代の食事を見守っていると、広間に隊員がやってきて敬礼する。

「葛葉殿」

「はい!」

 即座に立ち上がって答礼すると、隊員がすこし声をひそめて伝える。

「その童女の母親だと名乗る者が来ているのですが」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

smile in voice - 最愛の声- 

甘灯
キャラ文芸
周囲から非の打ち所がない完璧な女性と評価されている『菜島 加奈』 美貌の持ち主である彼女……実は恋愛に置いてかなり奥手である。 アラサーとなり、年齢=彼氏無し。 これは流石にマズイと思った彼女はマッチングアプリで『紫雨』という男性と会うが、結局失敗に終わる。 しかし数週間後、加奈は意外な形で彼と再会を果たすことになるが……。 『素顔』を隠して生きる加奈と、とある『秘密』を抱えて生きる男性とのサスペンス・ラブストーリー

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

天才たちとお嬢様

釧路太郎
キャラ文芸
綾乃お嬢様には不思議な力があるのです。 なぜだかわかりませんが、綾乃お嬢様のもとには特別な才能を持った天才が集まってしまうのです。 最初は神山邦弘さんの料理の才能惚れ込んだ綾乃お嬢様でしたが、邦宏さんの息子の将浩さんに秘められた才能に気付いてからは邦宏さんよりも将浩さんに注目しているようです。 様々なタイプの天才の中でもとりわけ気づきにくい才能を持っていた将浩さんと綾乃お嬢様の身の回りで起こる楽しくも不思議な現象はゆっくりと二人の気持ちを変化させていくのでした。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」に投稿しております

神様の住まう街

あさの紅茶
キャラ文芸
花屋で働く望月葵《もちづきあおい》。 彼氏との久しぶりのデートでケンカをして、山奥に置き去りにされてしまった。 真っ暗で行き場をなくした葵の前に、神社が現れ…… 葵と神様の、ちょっと不思議で優しい出会いのお話です。ゆっくりと時間をかけて、いろんな神様に出会っていきます。そしてついに、葵の他にも神様が見える人と出会い―― ※日本神話の神様と似たようなお名前が出てきますが、まったく関係ありません。お名前お借りしたりもじったりしております。神様ありがとうございます。

処理中です...