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第六章:鬼火と異形
28:千代という童女
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葛葉が童女に名前を聞くと、千代とこたえた。襖をとりはらった広い部屋の座卓に向かって、大人しく座っている。
「お寺には一人できたの?」
千代は小さくうなずいた。泣きだす様子もなく、気持ちはおちついているようだ。
それでも隊服をまとった可畏や隊員には威圧感があるのか、葛葉のそばをはなれない。
声をかける葛葉の目を、じっとみつめてくる。
(う、おもわず目をそらしたくなるけど、がまんがまん)
ざわりとした得体のしれない不安感があるのは、これまでの習慣のせいなのだろう。
(こんな小さな子の目が怖いなんて、本当にどうにかしないと)
子どもの無垢な視線にまで怖気づくようでは駄目だ。わかっているのに、千代の黒目がちの眼にじっと見つめられると居心地がわるい。胸がざわざわする。
逃げだしたくなるような衝動をおさえて、葛葉は事情をきいた。
千代の話によると、彼女は妙と一緒に住んでいるらしい。両親はおらず、妙が姉代わりになって面倒をみているようだった。
「妙さんと一緒に住んでいるのは、あなただけ?」
千代は黙ったまま、うなずく。
同居して生活をになうのは、勉強を見るよりもはるかに負担が大きい。千代ひとりでも大変だろう。
まだうまく状況を説明できない千代に、葛葉は根気よく話をきく。
どうやら妙が家に戻ってこないようだ。長屋で読み書きの時間が終わった後、彼女は仕事場に用があるからと、千代を家に送り届けてから、ふたたび出ていったという。
「でも戻ってこないから、お寺へ探しにきたと」
妙の母親の亡骸は寺院に埋葬されたため、彼女はびたび寺院を訪れることがあったらしい。妙が戻らず心細くなった千代は、寺院にいるのではないかと山門までやってきた。
「独りで怖かったね」
葛葉はススキ野原に囲まれた家で、戻らない祖母を迎えに外へでたことを思いだしていた。今朝にみた鮮明な夢の中で、自分は千代と同じような心細さを抱えていたのだ。
ひととおり事情をきいて、葛葉は向かいに座っている可畏をみた。彼は何もいわず、指をならすような素振りをする。一瞬だけ赤い炎が見えたが、これと言ってなにも変化はない。
可畏は立ちあがると、葛葉に指示をだす。
「葛葉はその娘と食事でもしていろ」
「はい」
食事といわれて、葛葉は急激に空腹をかんじる。巡回でずっと歩き回っていたせいだろう。
「でも、御門様は?」
「わたしは見回りもかねて、妙が自宅に戻っていないか確認してくる」
まだ日没後から、それほど時間もたっていない。妙はすでに一人前の女性である。失踪や行方不明だと決めつけるには早かった。
「わかりました」
「とりあえずここは安全だ」
「はい」
可畏は踵を返しながら、思い出したように葛葉を振りかえった。
「おまえ、あまり食いすぎるなよ」
「え?」
意外な指示に戸惑ったが、葛葉はハッと気づいた。
(この空腹は……)
可畏は何もいうなと言いたげに、口元に指をたてる。葛葉は喉まで出かかった言葉をのみこんでうなづいた。状況を察した葛葉に、可畏は不敵な笑みをかえしてくる。
「では、いってくる」
「はい」
隊服の長い上着がひるがえると、かすかに良い香りがした。異国の香水はまだ庶民には手の届かない贅沢品である。
照れたり笑ったり、自分と何も変わらない彼の側面にふれて親しみを抱いていたが、葛葉とは住む世界が違う。彼は公爵家の当主なのだ。
あらためて特務部の一員として関われる幸運を無駄にしてはいけないと、身がひきしまる。
葛葉は巡回にでる可畏を見送ってから、ふたたび千代に目を向ける。
「もう夜だし、お腹がすいているよね」
屋敷の台所から食事を調達しようと立ちあがると、ふわりと香辛料の匂いが漂ってきた。隊員が広間まで膳を運んできたのだ。
「カレーライス!」
帝都では人気があり、洋食屋が軒をつらねるようになってから、ますます流行っていた。
ただ、奥の上段の間で夜叉に用意された時の量とは異なり、食事は山盛りにはなっていない。
刺激的な香りにつつまれて、葛葉は今にも鳴りだしそうな腹の虫を意識した。
(この、空腹感……)
原因がわかっていれば、耐えられる。可畏は守りとして、ふたたび夜叉を開放してから出ていったのだ。姿が見えないのは、千代を驚かせない配慮だと認識していた。
葛葉はあどけない童女に笑顔をむける。
「冷めるから、食べようか」
こちらを見る黒目がちの瞳に、笑みがやどる。けれど、笑顔がぎこちない。カレーライスを前にして、はしゃぐような素振りもない。
(もしかして、食べ慣れてないのかな)
あるいはまだ警戒しているのか、それとも遠慮をしているのか。
推しはかれないまま、葛葉は自身の空腹感をやりすごしながら、童女の気持ちを和らげようと努める。
「おいしいよ、ほら」
ゆっくりとひとすくいを食べてみせた。千代はようやく手元のカレーに目を向けて、葛葉の真似をするように食べはじめた。カレーを頬張ると、すこし気持ちがゆるんだのか、無心で口にはこぶ。
(よかった、嫌いなわけじゃなかったみたい)
黙々とカレーを食べる千代に安堵して、葛葉も食事をとる。
(おいしいけど……)
夜叉の影響なのか、まったく腹が満たされない。おかわりしたくなる気持ちを抑えて、千代の食事を見守っていると、広間に隊員がやってきて敬礼する。
「葛葉殿」
「はい!」
即座に立ち上がって答礼すると、隊員がすこし声をひそめて伝える。
「その童女の母親だと名乗る者が来ているのですが」
「お寺には一人できたの?」
千代は小さくうなずいた。泣きだす様子もなく、気持ちはおちついているようだ。
それでも隊服をまとった可畏や隊員には威圧感があるのか、葛葉のそばをはなれない。
声をかける葛葉の目を、じっとみつめてくる。
(う、おもわず目をそらしたくなるけど、がまんがまん)
ざわりとした得体のしれない不安感があるのは、これまでの習慣のせいなのだろう。
(こんな小さな子の目が怖いなんて、本当にどうにかしないと)
子どもの無垢な視線にまで怖気づくようでは駄目だ。わかっているのに、千代の黒目がちの眼にじっと見つめられると居心地がわるい。胸がざわざわする。
逃げだしたくなるような衝動をおさえて、葛葉は事情をきいた。
千代の話によると、彼女は妙と一緒に住んでいるらしい。両親はおらず、妙が姉代わりになって面倒をみているようだった。
「妙さんと一緒に住んでいるのは、あなただけ?」
千代は黙ったまま、うなずく。
同居して生活をになうのは、勉強を見るよりもはるかに負担が大きい。千代ひとりでも大変だろう。
まだうまく状況を説明できない千代に、葛葉は根気よく話をきく。
どうやら妙が家に戻ってこないようだ。長屋で読み書きの時間が終わった後、彼女は仕事場に用があるからと、千代を家に送り届けてから、ふたたび出ていったという。
「でも戻ってこないから、お寺へ探しにきたと」
妙の母親の亡骸は寺院に埋葬されたため、彼女はびたび寺院を訪れることがあったらしい。妙が戻らず心細くなった千代は、寺院にいるのではないかと山門までやってきた。
「独りで怖かったね」
葛葉はススキ野原に囲まれた家で、戻らない祖母を迎えに外へでたことを思いだしていた。今朝にみた鮮明な夢の中で、自分は千代と同じような心細さを抱えていたのだ。
ひととおり事情をきいて、葛葉は向かいに座っている可畏をみた。彼は何もいわず、指をならすような素振りをする。一瞬だけ赤い炎が見えたが、これと言ってなにも変化はない。
可畏は立ちあがると、葛葉に指示をだす。
「葛葉はその娘と食事でもしていろ」
「はい」
食事といわれて、葛葉は急激に空腹をかんじる。巡回でずっと歩き回っていたせいだろう。
「でも、御門様は?」
「わたしは見回りもかねて、妙が自宅に戻っていないか確認してくる」
まだ日没後から、それほど時間もたっていない。妙はすでに一人前の女性である。失踪や行方不明だと決めつけるには早かった。
「わかりました」
「とりあえずここは安全だ」
「はい」
可畏は踵を返しながら、思い出したように葛葉を振りかえった。
「おまえ、あまり食いすぎるなよ」
「え?」
意外な指示に戸惑ったが、葛葉はハッと気づいた。
(この空腹は……)
可畏は何もいうなと言いたげに、口元に指をたてる。葛葉は喉まで出かかった言葉をのみこんでうなづいた。状況を察した葛葉に、可畏は不敵な笑みをかえしてくる。
「では、いってくる」
「はい」
隊服の長い上着がひるがえると、かすかに良い香りがした。異国の香水はまだ庶民には手の届かない贅沢品である。
照れたり笑ったり、自分と何も変わらない彼の側面にふれて親しみを抱いていたが、葛葉とは住む世界が違う。彼は公爵家の当主なのだ。
あらためて特務部の一員として関われる幸運を無駄にしてはいけないと、身がひきしまる。
葛葉は巡回にでる可畏を見送ってから、ふたたび千代に目を向ける。
「もう夜だし、お腹がすいているよね」
屋敷の台所から食事を調達しようと立ちあがると、ふわりと香辛料の匂いが漂ってきた。隊員が広間まで膳を運んできたのだ。
「カレーライス!」
帝都では人気があり、洋食屋が軒をつらねるようになってから、ますます流行っていた。
ただ、奥の上段の間で夜叉に用意された時の量とは異なり、食事は山盛りにはなっていない。
刺激的な香りにつつまれて、葛葉は今にも鳴りだしそうな腹の虫を意識した。
(この、空腹感……)
原因がわかっていれば、耐えられる。可畏は守りとして、ふたたび夜叉を開放してから出ていったのだ。姿が見えないのは、千代を驚かせない配慮だと認識していた。
葛葉はあどけない童女に笑顔をむける。
「冷めるから、食べようか」
こちらを見る黒目がちの瞳に、笑みがやどる。けれど、笑顔がぎこちない。カレーライスを前にして、はしゃぐような素振りもない。
(もしかして、食べ慣れてないのかな)
あるいはまだ警戒しているのか、それとも遠慮をしているのか。
推しはかれないまま、葛葉は自身の空腹感をやりすごしながら、童女の気持ちを和らげようと努める。
「おいしいよ、ほら」
ゆっくりとひとすくいを食べてみせた。千代はようやく手元のカレーに目を向けて、葛葉の真似をするように食べはじめた。カレーを頬張ると、すこし気持ちがゆるんだのか、無心で口にはこぶ。
(よかった、嫌いなわけじゃなかったみたい)
黙々とカレーを食べる千代に安堵して、葛葉も食事をとる。
(おいしいけど……)
夜叉の影響なのか、まったく腹が満たされない。おかわりしたくなる気持ちを抑えて、千代の食事を見守っていると、広間に隊員がやってきて敬礼する。
「葛葉殿」
「はい!」
即座に立ち上がって答礼すると、隊員がすこし声をひそめて伝える。
「その童女の母親だと名乗る者が来ているのですが」
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