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第六章:鬼火と異形
27:暴かれた墓
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黄昏が近づいている。華やかな大通りも店じまいをはじめ、日中の賑わいが嘘のように辺りが閑散としはじめた。
風が冷たくなり、昨日屋敷に到着した頃のように、ひっそりとした風情が漂う。
「逢う魔が時だな」
可畏が空の果てをながめるように、目を眇めている。
西の空に大きな夕日が赤く燃えている。半刻もしないうちに、空の端が染まり、見事な夕焼けに染まる。
葛葉は長く伸びた自分の影を視線で追った。すぐに立ち並ぶ家屋の大きな影にのまれて沈んでしまう。足元から黄昏の空に目をむけた。
「夕日が綺麗ですが、魑魅魍魎の出そうな迫力があります」
真っ赤に焼ける空。美しいのに禍々しい。地獄の灼熱に続いているかのような、深い夕焼け。
(こっちにおいでー)
そんな空耳が聞こえてきそうだった。ススキ野原の夢を見たからだろうか。
「夕日の怪しさに誘われて、鬼火でも出ればいいが」
可畏が諦めたように吐息をついた。日中の巡回は、何事もなく終わろうとしている。
「ひとまず屋敷に戻ろう」
「はい」
答える葛葉の前を、ひらりと黒い影がよぎった。優雅に羽ばたくのは鴉アゲハの伝令だった。可畏が表情を動かすのをみて、葛葉は何かがあったのだと察する。
「御門様? 何か事件が?」
「寺院の墓が荒らされていたらしい」
葛葉はぞっとしたが、すぐに気持ちを立てなおす。
「でも御門様と寺院を巡回してからは、まだ一刻もたっていません。その後も隊員の方が巡回していたはずですし」
「だが、暴かれているのは間違いない」
「いったい、誰が……」
葛葉は可畏とともに、即座に寺院へ駆けつけた。
境内には数人の隊員と住職の姿があった。暴かれていたのは、無縁仏の埋葬されている塚の一部で、土を掘り返したあとがある。
隊員の話によると、巡回してからいくらも刻がたっていないようだ。
住職も境内に庭火を灯すために僧房からでていた。寺院の敷地内に不審な人影はなく、本堂から山門にかけて、隊員以外に誰かが出入りする様子はなかったという。
「各隊員にも一報をいれる」
可畏が両手を広げると、どこから現れたのか、無数の影がいっせいに放たれる。ひらひらと優雅に羽ばたく様子で、その小さな影が漆黒のアゲハなのだとわかった。
夕闇に呑まれつつある茜の空を、蝶の一群が舞っていく。
伝令をはなつと、可畏は境内に残っている隊員と異形の仕業であるか検証をはじめた。
葛葉も彼らのかたわらで話を聞くが、ふいに肌をなでるような湿った風をかんじる。背筋を指先でなぞられるような、ぞっとした悪寒がせりあがった。
(この感じ、覚えがある)
どこでだったのかは、思い出せない。
思い出せないのに、よくないことの前兆なのだとわかる。
(こころぼそいのかー)
黄昏に輝くススキ野原の光景が脳裏をよぎった。でも、野原の果てから呼ぶ彼らではない。彼らには、こんな恐れは感じなかった。
(もっと、ちがう何か)
じっと見つめてくる誰か。
(わたしを見る眼……)
形にならない印象だけがあった。忘却の彼方にある記憶を引きずりだせない。
ふたたび、ざわりとしめった風が肌をなでる。
(うしろに何かいたら、どうしよう)
手に冷や汗がにじんだ。葛葉はゆっくりと振りかえる。
夕闇の影の中。
見えるはずがないのに、はっきりと視線を感じた。
山門の影に何かがいる。
一気に血の気が引いて、思わず叫ぶ。
「御門様!」
彼の上着の裾を思い切りつかんでいた。
「山門に何かいます!」
金切声がさらに裏返るが、葛葉にはそんなことを気にする余裕がない。
自分を見つめてくる眼。よくないことが起きる前兆。
固く目をとじて競り上がった戦慄に耐えていると、まぶたごしにも感じるほどの光がほとばしる。
風が炎を巻き込むような、ごおっという音が響いた。
ふたたび葛葉が目をあけると、可畏の手からひときわ激しい炎が一閃する。
清浄な蒼い炎。
山門をめがけて飛びだした豪速の火球は、すぐに火柱になった。
「こども?」
可畏が山門の影を見わける。青い炎が陽光のように激しく辺りを照らした。次の瞬間、うわーんとこどもの泣き声がする。
蒼い炎の中から、泣きながら駆け寄ってくる影。ぎこちない足取りで、こちらに走ってくる。
可畏の異能に焼かれることのない、小さな人影。
「……あ」
異能の炎が、人を焼くことはない。
「この子は」
葛葉にも正体がわかった。
ふたつにわけて結った髪。じっとこちらを見てくる黒目がちの瞳。
日中に訪れた長屋で、妙と一緒にいた子どもだった。
突然の火に驚いたのか、しゃくりあげながら葛葉を仰ぐ。
そして、嗚咽しながら訴えた。
「……お姉ちゃんが、いないの」
「お姉ちゃんって、妙さんのこと?」
葛葉が泣きじゃくる童女に寄りそうと、彼女はこくりと深くうなずく。
可畏が異能の炎をおさめた。ふたたび辺りが夕闇に沈むと、雑木林から、ばさばさと何かがとびたつ音がする。
夕闇に呑まれた空で暗くうねるものがあった。漆黒の大群が上空で旋回している。その群れに合流するかのように、木々から飛び立つ影があった。
「鴉の葬式か?」
可畏の言うとおり、朝にもみた鴉の群れだった。
さっきまで視界をいろどっていた夕焼けは、すでに夜に飲みこまれている。とおくの山の端にすこしだけ、名残の色があるだけだった。
鴉たちは、黒い砂あらしのように夜空でうごめいている。その行方をたしかめる暇もなく、どこからかひらりと黒い影が可畏のもとへ集まってきた。
漆黒の蝶がひらひらと舞っている。伝令が届いているのだ。
「どうやら異形がでたらしい」
葛葉はぎくりとしたが、可畏は動じる様子もない。
空で群れる鴉の行方をみながら、彼はその場にいた隊員へ指示をあたえた。ひきつづき寺院にのこる者と、この場から移る者。分かれた隊員が、すばやく動いている。
「葛葉」
「はい」
可畏が不安そうにおびえる童女と葛葉の前に立った。
「私たちはいったんその娘を連れて屋敷へ戻るぞ」
「御門様は、現場に急行しなくても良いのですか?」
「状況は把握している。手に負えないような相手ではない。それよりも、こちらの話も気になる」
「はい」
葛葉は童女の手をひいて歩きながら、寺院の山門をでる。
(さっきの感じは、なんだったんだろう)
山門をふりかえりるが、ひっそりと夜の闇が漂っているだけだった。
まとわりつくような嫌なかんじも、視線もかんじない。
(雰囲気にのまれていたのかな)
暴かれた墓への恐れが、なんでもない童女の気配を錯覚させた。
(もっと、しっかりしないと)
一人前になるには程遠い。自分を叱咤しながら、葛葉は屋敷へもどった。
風が冷たくなり、昨日屋敷に到着した頃のように、ひっそりとした風情が漂う。
「逢う魔が時だな」
可畏が空の果てをながめるように、目を眇めている。
西の空に大きな夕日が赤く燃えている。半刻もしないうちに、空の端が染まり、見事な夕焼けに染まる。
葛葉は長く伸びた自分の影を視線で追った。すぐに立ち並ぶ家屋の大きな影にのまれて沈んでしまう。足元から黄昏の空に目をむけた。
「夕日が綺麗ですが、魑魅魍魎の出そうな迫力があります」
真っ赤に焼ける空。美しいのに禍々しい。地獄の灼熱に続いているかのような、深い夕焼け。
(こっちにおいでー)
そんな空耳が聞こえてきそうだった。ススキ野原の夢を見たからだろうか。
「夕日の怪しさに誘われて、鬼火でも出ればいいが」
可畏が諦めたように吐息をついた。日中の巡回は、何事もなく終わろうとしている。
「ひとまず屋敷に戻ろう」
「はい」
答える葛葉の前を、ひらりと黒い影がよぎった。優雅に羽ばたくのは鴉アゲハの伝令だった。可畏が表情を動かすのをみて、葛葉は何かがあったのだと察する。
「御門様? 何か事件が?」
「寺院の墓が荒らされていたらしい」
葛葉はぞっとしたが、すぐに気持ちを立てなおす。
「でも御門様と寺院を巡回してからは、まだ一刻もたっていません。その後も隊員の方が巡回していたはずですし」
「だが、暴かれているのは間違いない」
「いったい、誰が……」
葛葉は可畏とともに、即座に寺院へ駆けつけた。
境内には数人の隊員と住職の姿があった。暴かれていたのは、無縁仏の埋葬されている塚の一部で、土を掘り返したあとがある。
隊員の話によると、巡回してからいくらも刻がたっていないようだ。
住職も境内に庭火を灯すために僧房からでていた。寺院の敷地内に不審な人影はなく、本堂から山門にかけて、隊員以外に誰かが出入りする様子はなかったという。
「各隊員にも一報をいれる」
可畏が両手を広げると、どこから現れたのか、無数の影がいっせいに放たれる。ひらひらと優雅に羽ばたく様子で、その小さな影が漆黒のアゲハなのだとわかった。
夕闇に呑まれつつある茜の空を、蝶の一群が舞っていく。
伝令をはなつと、可畏は境内に残っている隊員と異形の仕業であるか検証をはじめた。
葛葉も彼らのかたわらで話を聞くが、ふいに肌をなでるような湿った風をかんじる。背筋を指先でなぞられるような、ぞっとした悪寒がせりあがった。
(この感じ、覚えがある)
どこでだったのかは、思い出せない。
思い出せないのに、よくないことの前兆なのだとわかる。
(こころぼそいのかー)
黄昏に輝くススキ野原の光景が脳裏をよぎった。でも、野原の果てから呼ぶ彼らではない。彼らには、こんな恐れは感じなかった。
(もっと、ちがう何か)
じっと見つめてくる誰か。
(わたしを見る眼……)
形にならない印象だけがあった。忘却の彼方にある記憶を引きずりだせない。
ふたたび、ざわりとしめった風が肌をなでる。
(うしろに何かいたら、どうしよう)
手に冷や汗がにじんだ。葛葉はゆっくりと振りかえる。
夕闇の影の中。
見えるはずがないのに、はっきりと視線を感じた。
山門の影に何かがいる。
一気に血の気が引いて、思わず叫ぶ。
「御門様!」
彼の上着の裾を思い切りつかんでいた。
「山門に何かいます!」
金切声がさらに裏返るが、葛葉にはそんなことを気にする余裕がない。
自分を見つめてくる眼。よくないことが起きる前兆。
固く目をとじて競り上がった戦慄に耐えていると、まぶたごしにも感じるほどの光がほとばしる。
風が炎を巻き込むような、ごおっという音が響いた。
ふたたび葛葉が目をあけると、可畏の手からひときわ激しい炎が一閃する。
清浄な蒼い炎。
山門をめがけて飛びだした豪速の火球は、すぐに火柱になった。
「こども?」
可畏が山門の影を見わける。青い炎が陽光のように激しく辺りを照らした。次の瞬間、うわーんとこどもの泣き声がする。
蒼い炎の中から、泣きながら駆け寄ってくる影。ぎこちない足取りで、こちらに走ってくる。
可畏の異能に焼かれることのない、小さな人影。
「……あ」
異能の炎が、人を焼くことはない。
「この子は」
葛葉にも正体がわかった。
ふたつにわけて結った髪。じっとこちらを見てくる黒目がちの瞳。
日中に訪れた長屋で、妙と一緒にいた子どもだった。
突然の火に驚いたのか、しゃくりあげながら葛葉を仰ぐ。
そして、嗚咽しながら訴えた。
「……お姉ちゃんが、いないの」
「お姉ちゃんって、妙さんのこと?」
葛葉が泣きじゃくる童女に寄りそうと、彼女はこくりと深くうなずく。
可畏が異能の炎をおさめた。ふたたび辺りが夕闇に沈むと、雑木林から、ばさばさと何かがとびたつ音がする。
夕闇に呑まれた空で暗くうねるものがあった。漆黒の大群が上空で旋回している。その群れに合流するかのように、木々から飛び立つ影があった。
「鴉の葬式か?」
可畏の言うとおり、朝にもみた鴉の群れだった。
さっきまで視界をいろどっていた夕焼けは、すでに夜に飲みこまれている。とおくの山の端にすこしだけ、名残の色があるだけだった。
鴉たちは、黒い砂あらしのように夜空でうごめいている。その行方をたしかめる暇もなく、どこからかひらりと黒い影が可畏のもとへ集まってきた。
漆黒の蝶がひらひらと舞っている。伝令が届いているのだ。
「どうやら異形がでたらしい」
葛葉はぎくりとしたが、可畏は動じる様子もない。
空で群れる鴉の行方をみながら、彼はその場にいた隊員へ指示をあたえた。ひきつづき寺院にのこる者と、この場から移る者。分かれた隊員が、すばやく動いている。
「葛葉」
「はい」
可畏が不安そうにおびえる童女と葛葉の前に立った。
「私たちはいったんその娘を連れて屋敷へ戻るぞ」
「御門様は、現場に急行しなくても良いのですか?」
「状況は把握している。手に負えないような相手ではない。それよりも、こちらの話も気になる」
「はい」
葛葉は童女の手をひいて歩きながら、寺院の山門をでる。
(さっきの感じは、なんだったんだろう)
山門をふりかえりるが、ひっそりと夜の闇が漂っているだけだった。
まとわりつくような嫌なかんじも、視線もかんじない。
(雰囲気にのまれていたのかな)
暴かれた墓への恐れが、なんでもない童女の気配を錯覚させた。
(もっと、しっかりしないと)
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