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第四章:心がまえ
17:使用人、和歌
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平屋には一人の女がひかえていた。落ちついた色合いの着物をきた小柄な女性である。葛葉に母親がいれば、彼女くらいの年齢かもしれない。
女は可畏と葛葉を玄関先の土間に迎えると、「おかえりなさいませ」とほほえんだ。
「葛葉さん、和歌と申します。何でもお申しつけください」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
自分に使用人がつくという感覚が、葛葉にはよくわからない。とりあえずわからないことは、彼女に尋ねれば良さそうだった。
「どうぞお部屋で寛いでください。お茶をお持ちいたしましょう」
和歌はにこやかに会釈すると、板張りの廊下からつづく奥へと姿をけした。
葛葉は可畏の後をついて、縁側をたどるようにすすむ。居間へはいると囲炉裏をしつらえた板張りの部屋があり、奥の部屋からは真新しい畳の香りがひろがった。
洋館の趣はどこにもなく、畳敷の室内には親しみがある。
「中庭があるんですね」
庭を囲むように家屋が作られている。外回りの縁側とはちがい、中庭側には濡れ縁があった。庭をはさんで、向こう側の部屋もみえる。
壮大な皇居と比べるとはるかに小さい屋敷だが、葛葉には十分な豪邸である。
中庭には水盤があり、滔々と水がながれていた。想像以上に趣のある住まいが、気持ちをわくわくと掻きたてる。物珍しさがまさってしまい、葛葉は居間の卓につくこともせず、あちこちから外の庭や中庭をながめてしまう。
「こんなに素敵なお庭なら、冬になって雪が降っても雪化粧が楽しみで……」
高ぶった気持ちのまま可畏を振りかえると、彼はたたずんだままほほえんでいる。辺りを歩きまわる葛葉をおかしそうにながめていた。
「あ、申し訳ありません。ひとりで騒いで……」
「いや、かまわない。喜んでもらえる方が可愛げある」
浮かれた調子を責めることもなく、可畏は畳敷の部屋まですすむと卓にむかって腰をおろした。葛葉は面映くなり、しずしずと歩みよると卓をはさんで可畏の向かいにすわる。
「落ちつきがなくて申し訳ありません」
「別に怒っていない。ほほえましいくらいだ」
玩具を与えられた幼児のようだったかもしれないと、葛葉は顔があつくなる。
(幼稚な自分がすごく恥ずかしい。浮わつくなって、怒られた方がよかったかも)
はじめに感じた可畏への威圧感が、ますます失われていく。前髪ごしにそっと顔色を伺うと、彼も心なしか嬉しそうにみえた。
(御門様もよろこんでる?……って、そんなわけないか)
居たたまれない気持ちでいると、和歌がお茶をはこんできた。盆の上にはカステラが山のようにつまれている。
こんなに誰が食べるのだろうと思っていると、可畏が軽く指をならした。彼の指先からボッと赤い火が弾けると、「あちっ!」と聞きなれた声がする。
ふたたび炙りだされた夜叉が、畳の上に転げでた。
「もう! いい加減にしてよ!」
常に火であぶられて葛葉から追いだされているらしい。可畏を仰いでフグのように頬を膨らませていた小柄な鬼は、和歌の用意したカステラを見たとたん、パッと顔を輝かせた。
「茶菓子をご馳走してやろうと思っただけだ。文句があるなら……」
「ないよ!」
食べ物に目がなく、夜叉は一目散にカステラをわしづかみにしてむさぼり始める。皿にも顔ごと突っ込みそう勢いなので、まるで子犬のようだった。
「夜叉って、そんなに食べてお腹を壊したりしないの?」
愚問だとおもえたが、思わず聞いてしまう。角を隠しているせいもあり、夜叉は年下の少年にしか見えない。小柄な体のどこにそんなに入っていくのかも謎である。
自分が体験した胃のはち切れそうな苦しさをおもいだすと、葛葉は彼のお腹が心配になってしまう。
「夜叉の本体はここにはいない」
カステラをほおばりながら身振りで何かを言っている夜叉にかわって、可畏がそう言った。葛葉は「え?」と驚く。
「強い妖が人に憑く場合、たいてい本体は別にあることが多い。その方が安全だからな」
「じゃあ御門様が炙りだした彼は?」
「夜叉であることに変わりはないが、……影とでもいうべき状態だろうな。幸い夜叉の場合は貪るものが食い物だから、すぐにおまえから炙りだせる」
「可畏の火に焼かれて平気なヤツなんていないよ!」
次のカステラをほおばる前に、捨て台詞のように夜叉が吠えた。可畏は一瞥をむけるだけで、呆れたように吐息をつく。
「本来、妖は人の欲と結びつきやすい。とくに負の感情に憑きやすいが、葛葉の場合は怨念や憎悪で夜叉を呼び込んだわけではないからな。悪い影響も少ない」
可畏の説明は葛葉にもわかる。憎悪などの負の感情に憑く妖は、憑いた者の悪い感情を糧にして育つ。放置していると人に害をなすため、調伏の対象になるのだ。
「たしかに彼はとても無邪気です」
満面の笑みでカステラを貪っている夜叉はひたすら嬉しそうだった。葛葉も和歌のいれてくれたお茶を飲んでほっと一息つく。カステラを口にすると、しっとりと口溶けのよい甘さがひろがった。
「おいしい」
葛葉も顔がほころぶと、可畏がいたずらっぽい目でこちらをみている。
「さて、葛葉。ようやく少し落ちついたようだし、その前髪をどうにかしようか」
「ま、前髪!?」
カステラを噛みしめて夢見ごこちになっていた気分が、一気に消し飛ぶ。
「御門様! 身だしなみが大切なのは承知しておりますが、これには先ほどもお話したように理由がありまして」
「知っている。目を合わせるとよくないことが起きるんだろ?」
「ご理解いただけているなら、なぜ?」
あたふたと前髪をかばうように顔を手でかくすと、軽く可畏に手をはたかれる。
「おまえの数々の体験の理由は、もう明らかになった。それは羅刹の花嫁であったからで、おまえの目を見たかどうかは関係ない」
「で、でも」
「異能者として役に立ちたいなら、その思いこみは乗りこえてもらわないと困る」
「ですが、その、別に前髪が長くても、異形と戦うことはできるのでは?」
「視界は広いほうがいいだろ」
「わたしはこっちの方が慣れておりまして」
「私を婚約者の身だしなみも整えられない当主にしたいのか?」
「う、それは、その……」
しろどもどろと言い訳を考えていると、可畏がため息をついた。
「いきなり切れというのが酷なら結えばいい。和歌」
「はい。お任せください」
足音もなく近づき、和歌が葛葉のとなりに膝をつく。湯呑みを持っていた手に、そっと彼女のあたたかい掌がかさねられた。
「葛葉様」
とまどう葛葉の顔を覗きこんで、和歌がにっこりと微笑んだ。
「わたしが可愛くしてさしあげます」
女は可畏と葛葉を玄関先の土間に迎えると、「おかえりなさいませ」とほほえんだ。
「葛葉さん、和歌と申します。何でもお申しつけください」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
自分に使用人がつくという感覚が、葛葉にはよくわからない。とりあえずわからないことは、彼女に尋ねれば良さそうだった。
「どうぞお部屋で寛いでください。お茶をお持ちいたしましょう」
和歌はにこやかに会釈すると、板張りの廊下からつづく奥へと姿をけした。
葛葉は可畏の後をついて、縁側をたどるようにすすむ。居間へはいると囲炉裏をしつらえた板張りの部屋があり、奥の部屋からは真新しい畳の香りがひろがった。
洋館の趣はどこにもなく、畳敷の室内には親しみがある。
「中庭があるんですね」
庭を囲むように家屋が作られている。外回りの縁側とはちがい、中庭側には濡れ縁があった。庭をはさんで、向こう側の部屋もみえる。
壮大な皇居と比べるとはるかに小さい屋敷だが、葛葉には十分な豪邸である。
中庭には水盤があり、滔々と水がながれていた。想像以上に趣のある住まいが、気持ちをわくわくと掻きたてる。物珍しさがまさってしまい、葛葉は居間の卓につくこともせず、あちこちから外の庭や中庭をながめてしまう。
「こんなに素敵なお庭なら、冬になって雪が降っても雪化粧が楽しみで……」
高ぶった気持ちのまま可畏を振りかえると、彼はたたずんだままほほえんでいる。辺りを歩きまわる葛葉をおかしそうにながめていた。
「あ、申し訳ありません。ひとりで騒いで……」
「いや、かまわない。喜んでもらえる方が可愛げある」
浮かれた調子を責めることもなく、可畏は畳敷の部屋まですすむと卓にむかって腰をおろした。葛葉は面映くなり、しずしずと歩みよると卓をはさんで可畏の向かいにすわる。
「落ちつきがなくて申し訳ありません」
「別に怒っていない。ほほえましいくらいだ」
玩具を与えられた幼児のようだったかもしれないと、葛葉は顔があつくなる。
(幼稚な自分がすごく恥ずかしい。浮わつくなって、怒られた方がよかったかも)
はじめに感じた可畏への威圧感が、ますます失われていく。前髪ごしにそっと顔色を伺うと、彼も心なしか嬉しそうにみえた。
(御門様もよろこんでる?……って、そんなわけないか)
居たたまれない気持ちでいると、和歌がお茶をはこんできた。盆の上にはカステラが山のようにつまれている。
こんなに誰が食べるのだろうと思っていると、可畏が軽く指をならした。彼の指先からボッと赤い火が弾けると、「あちっ!」と聞きなれた声がする。
ふたたび炙りだされた夜叉が、畳の上に転げでた。
「もう! いい加減にしてよ!」
常に火であぶられて葛葉から追いだされているらしい。可畏を仰いでフグのように頬を膨らませていた小柄な鬼は、和歌の用意したカステラを見たとたん、パッと顔を輝かせた。
「茶菓子をご馳走してやろうと思っただけだ。文句があるなら……」
「ないよ!」
食べ物に目がなく、夜叉は一目散にカステラをわしづかみにしてむさぼり始める。皿にも顔ごと突っ込みそう勢いなので、まるで子犬のようだった。
「夜叉って、そんなに食べてお腹を壊したりしないの?」
愚問だとおもえたが、思わず聞いてしまう。角を隠しているせいもあり、夜叉は年下の少年にしか見えない。小柄な体のどこにそんなに入っていくのかも謎である。
自分が体験した胃のはち切れそうな苦しさをおもいだすと、葛葉は彼のお腹が心配になってしまう。
「夜叉の本体はここにはいない」
カステラをほおばりながら身振りで何かを言っている夜叉にかわって、可畏がそう言った。葛葉は「え?」と驚く。
「強い妖が人に憑く場合、たいてい本体は別にあることが多い。その方が安全だからな」
「じゃあ御門様が炙りだした彼は?」
「夜叉であることに変わりはないが、……影とでもいうべき状態だろうな。幸い夜叉の場合は貪るものが食い物だから、すぐにおまえから炙りだせる」
「可畏の火に焼かれて平気なヤツなんていないよ!」
次のカステラをほおばる前に、捨て台詞のように夜叉が吠えた。可畏は一瞥をむけるだけで、呆れたように吐息をつく。
「本来、妖は人の欲と結びつきやすい。とくに負の感情に憑きやすいが、葛葉の場合は怨念や憎悪で夜叉を呼び込んだわけではないからな。悪い影響も少ない」
可畏の説明は葛葉にもわかる。憎悪などの負の感情に憑く妖は、憑いた者の悪い感情を糧にして育つ。放置していると人に害をなすため、調伏の対象になるのだ。
「たしかに彼はとても無邪気です」
満面の笑みでカステラを貪っている夜叉はひたすら嬉しそうだった。葛葉も和歌のいれてくれたお茶を飲んでほっと一息つく。カステラを口にすると、しっとりと口溶けのよい甘さがひろがった。
「おいしい」
葛葉も顔がほころぶと、可畏がいたずらっぽい目でこちらをみている。
「さて、葛葉。ようやく少し落ちついたようだし、その前髪をどうにかしようか」
「ま、前髪!?」
カステラを噛みしめて夢見ごこちになっていた気分が、一気に消し飛ぶ。
「御門様! 身だしなみが大切なのは承知しておりますが、これには先ほどもお話したように理由がありまして」
「知っている。目を合わせるとよくないことが起きるんだろ?」
「ご理解いただけているなら、なぜ?」
あたふたと前髪をかばうように顔を手でかくすと、軽く可畏に手をはたかれる。
「おまえの数々の体験の理由は、もう明らかになった。それは羅刹の花嫁であったからで、おまえの目を見たかどうかは関係ない」
「で、でも」
「異能者として役に立ちたいなら、その思いこみは乗りこえてもらわないと困る」
「ですが、その、別に前髪が長くても、異形と戦うことはできるのでは?」
「視界は広いほうがいいだろ」
「わたしはこっちの方が慣れておりまして」
「私を婚約者の身だしなみも整えられない当主にしたいのか?」
「う、それは、その……」
しろどもどろと言い訳を考えていると、可畏がため息をついた。
「いきなり切れというのが酷なら結えばいい。和歌」
「はい。お任せください」
足音もなく近づき、和歌が葛葉のとなりに膝をつく。湯呑みを持っていた手に、そっと彼女のあたたかい掌がかさねられた。
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