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第三章:帝と妖
11:帝都の御所
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堀に囲まれた広大な敷地は、豊かな緑にめぐまれている。帝が京都から東京にうつり、御所も遷都されて久しい。帝の御座所でありながら、帝都にうつった御所は一度火災により焼失した。
新たに建造された建物は、京都御所の外観を踏襲しつつ、内装は欧化の影響をうけた和洋折衷の宮殿である。
元は江戸城のあった皇居周辺は美しく整備され、馬車での往来にも負担がない。堀や宮殿の森閑とした様は、幾度となく帝に拝謁している可畏には、みなれた光景だった。
いつ訪れても、広大な開放感と共に一筋の憂慮がよぎる。
今回の帝からの急な呼びだしも、可畏にとっては晴れやかな謁見だとは思えない。
「御門様、本当にわたしのようなものが天子様に拝謁を賜ってもよろしいのでしょうか」
馬車にゆられて、正門へ向けての二重橋にさしかかると、葛葉がうわずった声をだす。もう何度もおなじような問いかけをされていた。
「帝がお呼びなのだから、参上しない方が不敬に値する」
「それはそうかもしれませんが」
葛葉にはまだ状況が飲みこめないのだろう。いかにも緊張していますという様子で、身を固くしている。
改めて彼女を眺めながら、可畏は拭いようのない強烈な気配をかんじていた。幼少期から葛葉のまわりでは不穏なできごとが絶えなかったというが、無理もないと思える。
今まで誰にも抱いたことのない、未知の気配。
明るい兆しのようであり、まばゆい光のようにもかんじられる。
可畏は知らずに葛葉にむける目を細めてしまう。
まるで未曾有の束縛だった。
それは感情にまで侵食して、可畏の心をとらえようとする。
(こんなにあからさまに感じるなら、たしかに見まちがうはずがない……)
自分だけに触れる感覚であってほしかったが、すくなからず万人に影響があるのだろう。
羅刹の花嫁。
出会えば、決してあらがえない。だから一目でわかると教えられていた。
けれど、婚約披露で葛葉をみつけるまで、可畏の花嫁にたいする興味は希薄だった。
あまりにも音沙汰がなく、信じられなくなっていたのだ。
羅刹の花嫁との出会いは僥倖。ずっとそう刷りこまれてきたのに、肝心の花嫁との邂逅を果たせない。
成人をむかえてもなお、誰に出会っても感じない。何も触れない。
帝は千里眼をもって、必ず羅刹の花嫁が現れると説いた。可畏がその天啓を疑うことはない。
帝を信じるが故に、いつのまにか花嫁への刷りこみは建前なのだと感じはじめていた。出会うだけで触れるようなものはなく、ただ特別な存在として接するための、後付けの理屈だったのだろうと。
倉橋紅葉との婚約がきまり、可畏はその考えが裏づけられたのだと思っていた。
花嫁との特別な出会いなど、はじめからなかったのだ。
あるのは政略的な婚姻だけ。
そう理解していたのに、突如、花嫁との邂逅は果たされた。
(葛葉をみつけた時は、本当におどろいた)
華族館の会場で、群れるように集うあまたの人々。たあいない光景のはずなのに、可畏はある一点から目が離せなくなった。
壁際で肩をすくめ、うつむいている小柄な姿。特務科の制服に身をつつんだ一生徒が、鮮やかに視界に飛びこんでくる。
ドレスで着かざった淑女も、壇上で自分をまつ華やかな婚約者も、すべてが褪せて色をうしなう。
華族館でのざわめきが遠ざかり、ふいに耳鳴りのしそうな静寂におそわれた。
浮かび上がる人影。
これまでの世界が覆るように、ただ彼女だけを感じた。
羅刹の花嫁。
考えるよりも先にみつけたのだと震える感情があった。
夢物語のように刷り込まれてきた花嫁との出会い。いま心がそれをなぞっている。
抱き続けた焦燥が消えうせ、自分がどれほどこの瞬間に焦がれていたのかが明らかになる。
静寂を切りさく雷鳴の煌めきのごとく、鮮やかに。
そして甘美な痛みさえともない。
待ちつづけた花嫁との出会いがなった瞬間だった。
(思えば、私も平静さを失っていた)
花嫁をみつけて高揚した気持ちは、すぐに苛立ちにかわった。
何もかもが腑に落ちない。
自分を拒絶する羅刹の花嫁。
婚約者としてあてがわれたのは、花嫁であるはずがない侯爵令嬢。
どんな策略のもとに、この婚約披露が成立したのかを考えると、花嫁との邂逅を喜んでばかりはいられなかった。
自分の預かり知らぬところで、巧妙な策が張りめぐらされていたのだと思い至るまで、時間を要さない。倉橋家には御門家に楯突くような力はない。後ろで糸をひく者がある。
羅刹の花嫁が隠されていたことは疑いようがないのだ。
自分の力を削ぐための謀。そう推測すると、可畏には黒幕の検討がついた。
今後のことを思いながら花嫁の真実を強引にしめしたが、結果として何も知らない葛葉に負担をかけることになってしまった。
(彼女から石を外したのは、まずかった)
普通の数珠ではないことは明らかだった。可畏には羅刹の花嫁をめぐる謀略の一端にみえたが、どうやらそうではなかったらしい。
帝からの勅使で、ようやく可畏は婚約披露へいたる成りゆきを思いなおす。御門家と対立する特務華族を思い描いていたが、この一連の成りゆきに帝が登場するなら話は変わる。
(しかし、帝が噛んでいるなら、いったい何のために?)
新たに建造された建物は、京都御所の外観を踏襲しつつ、内装は欧化の影響をうけた和洋折衷の宮殿である。
元は江戸城のあった皇居周辺は美しく整備され、馬車での往来にも負担がない。堀や宮殿の森閑とした様は、幾度となく帝に拝謁している可畏には、みなれた光景だった。
いつ訪れても、広大な開放感と共に一筋の憂慮がよぎる。
今回の帝からの急な呼びだしも、可畏にとっては晴れやかな謁見だとは思えない。
「御門様、本当にわたしのようなものが天子様に拝謁を賜ってもよろしいのでしょうか」
馬車にゆられて、正門へ向けての二重橋にさしかかると、葛葉がうわずった声をだす。もう何度もおなじような問いかけをされていた。
「帝がお呼びなのだから、参上しない方が不敬に値する」
「それはそうかもしれませんが」
葛葉にはまだ状況が飲みこめないのだろう。いかにも緊張していますという様子で、身を固くしている。
改めて彼女を眺めながら、可畏は拭いようのない強烈な気配をかんじていた。幼少期から葛葉のまわりでは不穏なできごとが絶えなかったというが、無理もないと思える。
今まで誰にも抱いたことのない、未知の気配。
明るい兆しのようであり、まばゆい光のようにもかんじられる。
可畏は知らずに葛葉にむける目を細めてしまう。
まるで未曾有の束縛だった。
それは感情にまで侵食して、可畏の心をとらえようとする。
(こんなにあからさまに感じるなら、たしかに見まちがうはずがない……)
自分だけに触れる感覚であってほしかったが、すくなからず万人に影響があるのだろう。
羅刹の花嫁。
出会えば、決してあらがえない。だから一目でわかると教えられていた。
けれど、婚約披露で葛葉をみつけるまで、可畏の花嫁にたいする興味は希薄だった。
あまりにも音沙汰がなく、信じられなくなっていたのだ。
羅刹の花嫁との出会いは僥倖。ずっとそう刷りこまれてきたのに、肝心の花嫁との邂逅を果たせない。
成人をむかえてもなお、誰に出会っても感じない。何も触れない。
帝は千里眼をもって、必ず羅刹の花嫁が現れると説いた。可畏がその天啓を疑うことはない。
帝を信じるが故に、いつのまにか花嫁への刷りこみは建前なのだと感じはじめていた。出会うだけで触れるようなものはなく、ただ特別な存在として接するための、後付けの理屈だったのだろうと。
倉橋紅葉との婚約がきまり、可畏はその考えが裏づけられたのだと思っていた。
花嫁との特別な出会いなど、はじめからなかったのだ。
あるのは政略的な婚姻だけ。
そう理解していたのに、突如、花嫁との邂逅は果たされた。
(葛葉をみつけた時は、本当におどろいた)
華族館の会場で、群れるように集うあまたの人々。たあいない光景のはずなのに、可畏はある一点から目が離せなくなった。
壁際で肩をすくめ、うつむいている小柄な姿。特務科の制服に身をつつんだ一生徒が、鮮やかに視界に飛びこんでくる。
ドレスで着かざった淑女も、壇上で自分をまつ華やかな婚約者も、すべてが褪せて色をうしなう。
華族館でのざわめきが遠ざかり、ふいに耳鳴りのしそうな静寂におそわれた。
浮かび上がる人影。
これまでの世界が覆るように、ただ彼女だけを感じた。
羅刹の花嫁。
考えるよりも先にみつけたのだと震える感情があった。
夢物語のように刷り込まれてきた花嫁との出会い。いま心がそれをなぞっている。
抱き続けた焦燥が消えうせ、自分がどれほどこの瞬間に焦がれていたのかが明らかになる。
静寂を切りさく雷鳴の煌めきのごとく、鮮やかに。
そして甘美な痛みさえともない。
待ちつづけた花嫁との出会いがなった瞬間だった。
(思えば、私も平静さを失っていた)
花嫁をみつけて高揚した気持ちは、すぐに苛立ちにかわった。
何もかもが腑に落ちない。
自分を拒絶する羅刹の花嫁。
婚約者としてあてがわれたのは、花嫁であるはずがない侯爵令嬢。
どんな策略のもとに、この婚約披露が成立したのかを考えると、花嫁との邂逅を喜んでばかりはいられなかった。
自分の預かり知らぬところで、巧妙な策が張りめぐらされていたのだと思い至るまで、時間を要さない。倉橋家には御門家に楯突くような力はない。後ろで糸をひく者がある。
羅刹の花嫁が隠されていたことは疑いようがないのだ。
自分の力を削ぐための謀。そう推測すると、可畏には黒幕の検討がついた。
今後のことを思いながら花嫁の真実を強引にしめしたが、結果として何も知らない葛葉に負担をかけることになってしまった。
(彼女から石を外したのは、まずかった)
普通の数珠ではないことは明らかだった。可畏には羅刹の花嫁をめぐる謀略の一端にみえたが、どうやらそうではなかったらしい。
帝からの勅使で、ようやく可畏は婚約披露へいたる成りゆきを思いなおす。御門家と対立する特務華族を思い描いていたが、この一連の成りゆきに帝が登場するなら話は変わる。
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