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第二章:花嫁の数奇な事情

9:少年、夜叉

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 がさがさとした身動きで蜘蛛男が可畏かいに迫っていた。男が進むたびに、乾燥した地面から砂埃が舞いあがる。可畏かいは飛ぶような優雅な身のこなしで、街道からはずれた空き地へと誘導している。

 雑草の生い茂る一帯まで招き寄せると、何かをたぐり寄せるように可畏かいが腕をふった。

 蜘蛛男が動きを止め、「ぎゃ!」と怪鳥のような鳴き声が漏れる。何の前触れもなく、奇怪な身からごうっと碧い火柱がたちのぼった。

 婚約披露で見た時と同じ、碧い火。

 遠目に眺めていると、何かを浄化するような清廉さがあった。
 はなやかに咲き誇るような、濁りのない炎。

「終わったね」

 かたわらで、少年が可畏かいの行いを讃えるように、ぴゅうっと口笛をふいた。
 瞬きをする間もなく、決着がついていた。

(あれが、羅刹らせつ業火ごうか

 可畏かいは洋装を乱すこともなく、何事もなかったように草むらにたたずんでいる。炎を放った相手の残骸を眺めているようだった。

 葛葉が駆けつけようとすると、彼が制止するように手をあげた。

「来るな」

「でも、わたしには学びになります!」

「むごい焼死体だぞ」

 葛葉はぴたりと歩みを止める。一瞬の逡巡のあと、またすぐに歩を進めた。

「へ、平気です! 卒業して特務部に入隊したら、それが日常茶飯事になるはずです」

「勝手にしろ」

 街道からはずれて、雑草をかき分けるようにして進むと、草むらを薙ぎ倒すようにして黒いものが広がっている。

 焼死体のむごさを覚悟したが、跡形もなく炭化した様子だった。異形だったのか人だったのかも見分けがつかない。とんでもない火力が想像できたが、熱波を感じることもなく、何かが焼けるような嫌な匂いもしなかった。

 すこし拍子抜けしていると、可畏かいが腰を落として炭化して広がるものを凝視している。
 葛葉も彼の横について、同じように目を凝らした。

(なにか、光ってる?)

 真っ黒な炭に対比して、一部が細やかに輝いていた。蝶の鱗粉をまいたかのように、碧い粉のようなものが浮かび上がって金属的な輝きを放っているのだ。

「御門様、これは?」

 可畏かいは答えず、碧く輝く部分に手をかざす。炭化した遺体から輝きだけが浮き上がり、碧い粒子が小さな砂嵐を形作るようにくるくると回旋していた。鱗粉のような粒子が、可畏かいてのひらに吸い寄せられていく。

 彼が掌を返すと、小さな竜巻が緩やかな風とともに、碧く輝きながら掌の上で舞いつづけている。

 可畏かいは無言で碧い輝きを眺めていたが、やがてすうっと小さな竜巻がほどけて消えた。
 碧い粒子は跡形もなく、ただ足元に黒い遺体があるだけだった。

 葛葉は向こう側で横転している人力車をみたが、車を引いていた男は見当たらない。

「この俥夫の男性は、御門家のお抱えの方ですか? もしそうなら、わたしのせいでこんなことになってしまったのかもしれません」

 可畏かいが驚いたように、葛葉に目を向ける。

「おまえは、この異形がさっきの俥夫だったと思うのか」

「違うんですか?」

「俥夫が異形に襲われたとは考えないわけだな」

「それは……」

 葛葉は手短に幼い頃の体験を語った。

「祖母に数珠をもらってからは一度も遭遇しませんでした。でも、昨夜は数珠が外れていたし。だから、もしかするとわたしのせいなのかも」

「なるほど、そういう理由か」

 可畏かいはふたたび足元の炭化した遺体を眺める。

「これは、おまえが気にすることではない。すぐに特務部が片付ける。通りまで歩くしかないが、とりあえず私の屋敷へ向かおう」

「でも」

「屋敷についたら説明してやる」

 可畏かいが歩き出そうとすると、かさりと背後で草むらを踏みしめる音がした。

「ぼくのことは放ったらかし?」

 少年の声がする。葛葉があらためて目を向けると、少年は着流し姿で髪色が異国の者のように明るい。くるりとした癖をもち、まるで黄昏に光るススキの穂のような黄金色ブロンドだった。
 くっきりとした二重と、鼻筋の通ったきれいな顔立ち。

 鎖国が明けてからは、異人を相手に誕生した混血児も増えた。
 少年もそうなのかもしれないと思ったが、彼は可畏かいと同じく赤い瞳をしている。

 血の色をなぞるような、赤い眼。
 可畏かいの炎にあぶり出されるようにして、突然あらわれた。

 妖なのかもしれないというのが葛葉の直感だった。強力な能力者は妖を使役することもあると言う。
 少年はまだあどけなさの残る容貌で、身の丈も葛葉より小さい。いくつか年下の印象だった。

「あの、あなたは?」

 蜘蛛男に気を取られていたが、葛葉はようやく彼に素性をたずねる余裕を取り戻した。

「ぼく? ぼくは夜叉。君に憑いている鬼だよ」

「鬼?」

「うん、ほら」

 少年が前髪をあげると額にコブのようなものが見えた。それがいきなりぐんっと伸びる。伝説にある一角獣のような、立派な角だった。

 途端に、葛葉はくらりとした貧血に見舞われた。すうっと目の前が暗くなり、体に力が入らなくなる。

「夜叉、角を伸ばすな!」

 可畏かいの声が聞こえるが、葛葉はもう立っていることもできない。ぐらりと目が回る。

「葛葉!」

 自分を支えてくれる可畏かいの腕を感じながら、葛葉はとてつもない空腹感を味わっていた。

「お腹が……」

 寄宿舎であれほど食べたばかりなのだ。まだお腹が空くはずがない。
 空くはずがないのに。

ーーぐるぐるぐるぐる、ぎゅうぅぅぅ!

 可畏かいの腕に倒れ込んだまま、ふたたび盛大に腹の虫が鳴く。

「御門様……」

「しっかりしろ」

「申し訳ありません、大丈夫です。ただ……」

 葛葉はぐったりしたまま、かぼそい声で現状を訴えた。

「お腹が、空きました」
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