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第十章:信じられない、信じたくない

46:カバさんの悪意

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 中三の夏。
 鉄骨の落下事故。
 この楽し気な時間のあとに、悲劇が待っているのだろうか。

 カバさんは再びガハハと笑う。

「ちゃうがな。これは一番はじめの世界やから、事故にあうのはジローとちゃうねん」

「事故にあうのは俺じゃない?」

 わたしも次郎君もジュゼットも、じっとカバさんを見つめていた。
 いったい、カバさんは何を知っているのだろう。わたしたちに何をわからせようとしているのだろう。

「イチローが守りたいものなぁ。ワシにはそこまでする意味がようわからんけど、あいつはなんべんもやり直した。気が遠くなるような繰り返しやで。世界はそんなに甘くないのにな。まぁ、おもしろそうやったから、ワシがそそのかしてんけど」

「おまえが?」

 身動きしないカバさん。見た目は愛嬌のあるぬいぐるみのはずなのに、得体の知れない恐れを感じた。見たこともない異物が紛れ込んだように、突然カバさんが怖くなった。

 背筋がひやりとする。とても嫌なことを打ち明けられる予感がした。

「世界はな、どんなに変えても必ず復元を果たそうとするねん。だから、ほんまはイチローがなんべんやり直しても、結果は同じやねんけど、ワシはちょっと嘘をついたんや」

「それは優しい嘘ですの?」

 ジュゼットが不安そうな目で、胸に抱いたぬいぐるみを見つめている。

「カバさんは優しいですもの。苦しい嘘なんてつかないですわよね?」

「そういわれたら困るねんけど。でも、まぁ、イチローもちょっとは夢をみられたんちゃうか?」

「おまえは兄貴にどんな嘘をついたんだよ」

 次郎君の声がすこし憤って、震えている。

「ワシはなんべんもやり直したら、いつかは望んだ世界になるかもしれんって言うたんや」

「おまえ!」

 気色ばんだ次郎君を遮るように、カバさんが慌てた声を出す。

「ちょっと待ちや。でも、イチローもすぐ気づいたわ。やりなおしても、結局たどり着く結末は同じ。希望の世界は手に入らへん。繰り返すだけやってな」

 声だけのカバさん。表情も仕草も見えないのに、嗤っているような気がする。

「だから、ワシは世界を喰って、一郎の望まへん結末をなかったことにしたってん。それからやり直したらいけるんちゃうかって」

 冗談を語るようなカバさんの声。明るい声音が、とても怖い。

「喰った世界は、ワシの腹の中や」

 不自然にふっくらと膨らんだぬいぐるみのお腹。何気なく眺めていたぬいぐるみの中に世界が入っているなんて、信じられない。

「復元しようにも、なくなったもんは戻されへんやろ。だから、イチローの望み通り、復元ループは終わってんけどな。でもまぁ、結果はもっと最悪やな。これからどうなるんか楽しみや」

 ガハハハッと笑うカバさんの声に、隠しようもない悪意を感じる。

「兄貴は何を望んだんだよ? おまえの腹の中にあるのは、いったい何なんだ?」

 次郎君がジュゼットの腕から、ぬいぐるみを掴み上げた。

「イチローに聞いたらええやんか。もう白状するやろ。このままやったら、世界は終わるからな。あいつも、もう気づいたはずや。やっぱり、この世界は絶望でできている! ってな。その通りやで。何も変わらへんねん」

 カバさんが豪快に笑う。
 ガハハハッ、ガハハハッ。
 ぞっと背筋が凍るような嘲笑。耳障りな笑い声。

「カバさん!」

 ジュゼットの悲鳴のような声が、嘲笑を遮る。

「カバさんの嘘は、優しくないですわ!」

 ピタリとカバさんの笑い声が止んだ。

「姫さん……」

「ひどいですわ! ひどい、ひどい!」

 火がついたように、ジュゼットが泣き出した。誰に憚ることもなく、声をあげて。すぐにビスクドールのような可愛い顔が、涙でぐちゃぐちゃになった。

「ひどい!」

 わたしは癇癪を起こしたジュゼットの肩を引き寄せる。ジュゼットにとっては、カバさんは無邪気に懐いていただけのピンクのカバのぬいぐるみ。可愛いだけのぬいぐるみに、初めて恐ろしさを感じたのかもしれない。

「姫さんに泣かれたら、居心地悪いなぁ。ワシはまた気休めに奔走しよか。でもな、ほんまはもう原型をとどめられんくらい壊れとるからな。時間の問題やてイチローに言うときや!」

「おい?」

 次郎君がつかんだぬいぐるみを揺さぶったけれど、もうカバさんの声は聞こえてこない。同時に、わたしたちは元の世界に戻っていた。

 白を基調にしたリビングルームの大きなソファ。ところどころに配置された観葉植物と花瓶に飾られたお花の色が、鮮やかに視界を飾る。

 しんと静寂を守る室内に、ジュゼットの泣き声だけが響いていた。
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