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第八章:嘘か誠かイタズラか
36:頻発する次元エラー
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拍子抜けするほど深刻さのない調子で、一郎さんはあっさりと白状した。
「え!?」
ようやく成り行きを知った瞳子さんが、驚きの声をあげる。
「あやめちゃんの悪夢って……。もしかして次郎君そっくりの少年がでてくる夢? 落ちてきた鉄骨からあやめちゃんを守って、身代わりになるっていう、あの夢のこと?」
「そうだよ。俺が認めなかった世界だ」
一郎さんはわたしと次郎君の憂慮を置き去りに、にこやかに笑っている。
「え? でも、一郎、認めなかったって……?」
一呼吸の沈黙が、不気味な空気となって室内を満たした。一人だけ能天気な一郎さんの様子に顔をしかめながら、次郎君が声をあげる。
「じゃあ、兄貴はあの事故の後の事も知っているの?」
とても勇気のいる問いかけだということが、わたしにはわかる。大丈夫だといわれても、良くない予感がする。息苦しい。胸が押しつぶされそうになる。聞きたくないけれど、知らないままではいられない。
「鉄骨事故の後? ――ああ、もちろん知っているよ」
三人の視線を受け止めて、一郎さんは何でもないことのように打ち明けた。
「おまえは腕を失った」
「腕を失っただけ?」
次郎君はさらに畳みかける。その声は「世界を変えてしまう理由としては、まだ足りない」と、そんな重さを含んでいるように思えた。一郎さんは再び深刻さのない声で、あっさりと答える。
「事故から三日後に、次郎は死んだよ」
ハッと次郎君が息を呑んだ。そのまま脱力したようにソファに沈み込む。わたしは再び立ち上がっていた。
「でも! 一郎さんは大丈夫って……」
「そう、大丈夫。11Dが力を貸してくれたからね」
「11Dって、カバさん?」
「そう。次郎とあやめちゃんには申し訳なかったけど、一度死んでるなんて、わざわざ教えることもないかと思って……。俺があいつ――11Dに出会ったのは、本当はかなり昔だ。11Dは存在自体が、この世界にとっては途轍もないエラーのようだけど、管理局にも掌握できない特別な存在らしい。だから、あいつは世界をまるでパズルのように入れ替えて遊んでいる」
「そんなことをしたら……」
「そう、もちろん世界が狂う。その狂いから歪みが生まれて、ときおり思いもよらないところで、想定外の次元エラーが起きる。俺たちの家系がずっと携わってきたことの元凶があいつだといってもいい。世界を狂わせる元凶と、復元を繰り返す世界」
一郎さんがふっと自嘲的に笑った。
「あいつは諸悪の根源だけど、せっかくだから俺は利用させてもらうことにしたんだよ」
「利用って……、カバさんが次郎君が死んでしまう世界をなかったことにした。そういう事ですか」
「そうだよ」
一郎さんには、まったく深刻さが感じられない。
戸惑いも迷いもない。
わたしは思わずふうっと、大きく息をついた。
なかったことにされた世界。特別な存在のカバさんには可能なのだろう。
世界が欠けたままだと、決して復元ができない。カバさんがそう言っていた気がする。
その欠けた世界こそが、次郎君の死んでしまった世界。
一郎さんは白状してくれた。胸の塞ぐような息苦しさは緩やかになっていたけれど、心の霧が完全には晴れない。どうして、わたしはまだ不安なのだろう。
ぐったりとソファに沈み込むように座っていた次郎君が、はぁっと天井を仰ぐ。
「全然、大丈夫じゃないよ、兄貴」
天井を仰いだまま、次郎君は表情を隠すように右腕を顔に当てている。
「兄貴がいちばんわかっているだろ?」
どこかなげやりに聞こえる声。
背筋に冷たい刃物を差し込まれたように、わたしの心がひやりと凍った。再び息が詰まりはじめる。
(世界が復元して、もしそこに――、……ううん、なんでもない)
少し前の次郎君との会話がぐるぐると頭に浮かぶ。
(もしそこに――)
最悪の予感が浮かびそうになったわたしのイメージを阻むように、次郎君の声が穏やかな波のように押し寄せる。
「大丈夫なんて嘘だろ。大丈夫なはずがない。世界は壊れていってるよ。ゆるやかに、でも確実に」
壊れていく世界。
わたしの脳裏によみがえる光景がある。
別次元のお姫様であるジュゼット。
カフェのグラスから跳ねた金魚。
ジャングルにつながった教室。
「世界の亀裂はどんどんひどくなってる。だからエラーが頻発する」
次郎君はおもむろにジーンズのポケットからスマホを取り出した。
「これ見て」
ソファに囲まれた小さなテーブルの上で、スマホの画面がよく見るSNSのタイムラインを映している。
「#今日の奇妙な出来事」で投稿された情報。
他愛もない情報の中に、ときおり見過ごせないような動画や画像があがっている。
わたしは息を呑んだ。瞳子さんが「何?これ、作り物?」と驚きの声をあげている。
情報に対する反応の数が、ものすごい速度で上昇して拡散されていた。
今、リアルタイムで起こっている出来事。
ジャングルにつながった教室のように、すでにあちこちでエラーが起きている。
一郎さんは戸惑うこともなく、スマホの画面を見つめている。
(どうせ、この世界は滅ぶんやから……)
蜃気楼のように、カバさんの言葉がよみがえる。
「もう手のつけようがないくらい、エラーが加速しはじめてる」
次郎君が小さく笑ったけれど、その声は乾いていた。
「兄貴が知らなかったわけがない」
「え!?」
ようやく成り行きを知った瞳子さんが、驚きの声をあげる。
「あやめちゃんの悪夢って……。もしかして次郎君そっくりの少年がでてくる夢? 落ちてきた鉄骨からあやめちゃんを守って、身代わりになるっていう、あの夢のこと?」
「そうだよ。俺が認めなかった世界だ」
一郎さんはわたしと次郎君の憂慮を置き去りに、にこやかに笑っている。
「え? でも、一郎、認めなかったって……?」
一呼吸の沈黙が、不気味な空気となって室内を満たした。一人だけ能天気な一郎さんの様子に顔をしかめながら、次郎君が声をあげる。
「じゃあ、兄貴はあの事故の後の事も知っているの?」
とても勇気のいる問いかけだということが、わたしにはわかる。大丈夫だといわれても、良くない予感がする。息苦しい。胸が押しつぶされそうになる。聞きたくないけれど、知らないままではいられない。
「鉄骨事故の後? ――ああ、もちろん知っているよ」
三人の視線を受け止めて、一郎さんは何でもないことのように打ち明けた。
「おまえは腕を失った」
「腕を失っただけ?」
次郎君はさらに畳みかける。その声は「世界を変えてしまう理由としては、まだ足りない」と、そんな重さを含んでいるように思えた。一郎さんは再び深刻さのない声で、あっさりと答える。
「事故から三日後に、次郎は死んだよ」
ハッと次郎君が息を呑んだ。そのまま脱力したようにソファに沈み込む。わたしは再び立ち上がっていた。
「でも! 一郎さんは大丈夫って……」
「そう、大丈夫。11Dが力を貸してくれたからね」
「11Dって、カバさん?」
「そう。次郎とあやめちゃんには申し訳なかったけど、一度死んでるなんて、わざわざ教えることもないかと思って……。俺があいつ――11Dに出会ったのは、本当はかなり昔だ。11Dは存在自体が、この世界にとっては途轍もないエラーのようだけど、管理局にも掌握できない特別な存在らしい。だから、あいつは世界をまるでパズルのように入れ替えて遊んでいる」
「そんなことをしたら……」
「そう、もちろん世界が狂う。その狂いから歪みが生まれて、ときおり思いもよらないところで、想定外の次元エラーが起きる。俺たちの家系がずっと携わってきたことの元凶があいつだといってもいい。世界を狂わせる元凶と、復元を繰り返す世界」
一郎さんがふっと自嘲的に笑った。
「あいつは諸悪の根源だけど、せっかくだから俺は利用させてもらうことにしたんだよ」
「利用って……、カバさんが次郎君が死んでしまう世界をなかったことにした。そういう事ですか」
「そうだよ」
一郎さんには、まったく深刻さが感じられない。
戸惑いも迷いもない。
わたしは思わずふうっと、大きく息をついた。
なかったことにされた世界。特別な存在のカバさんには可能なのだろう。
世界が欠けたままだと、決して復元ができない。カバさんがそう言っていた気がする。
その欠けた世界こそが、次郎君の死んでしまった世界。
一郎さんは白状してくれた。胸の塞ぐような息苦しさは緩やかになっていたけれど、心の霧が完全には晴れない。どうして、わたしはまだ不安なのだろう。
ぐったりとソファに沈み込むように座っていた次郎君が、はぁっと天井を仰ぐ。
「全然、大丈夫じゃないよ、兄貴」
天井を仰いだまま、次郎君は表情を隠すように右腕を顔に当てている。
「兄貴がいちばんわかっているだろ?」
どこかなげやりに聞こえる声。
背筋に冷たい刃物を差し込まれたように、わたしの心がひやりと凍った。再び息が詰まりはじめる。
(世界が復元して、もしそこに――、……ううん、なんでもない)
少し前の次郎君との会話がぐるぐると頭に浮かぶ。
(もしそこに――)
最悪の予感が浮かびそうになったわたしのイメージを阻むように、次郎君の声が穏やかな波のように押し寄せる。
「大丈夫なんて嘘だろ。大丈夫なはずがない。世界は壊れていってるよ。ゆるやかに、でも確実に」
壊れていく世界。
わたしの脳裏によみがえる光景がある。
別次元のお姫様であるジュゼット。
カフェのグラスから跳ねた金魚。
ジャングルにつながった教室。
「世界の亀裂はどんどんひどくなってる。だからエラーが頻発する」
次郎君はおもむろにジーンズのポケットからスマホを取り出した。
「これ見て」
ソファに囲まれた小さなテーブルの上で、スマホの画面がよく見るSNSのタイムラインを映している。
「#今日の奇妙な出来事」で投稿された情報。
他愛もない情報の中に、ときおり見過ごせないような動画や画像があがっている。
わたしは息を呑んだ。瞳子さんが「何?これ、作り物?」と驚きの声をあげている。
情報に対する反応の数が、ものすごい速度で上昇して拡散されていた。
今、リアルタイムで起こっている出来事。
ジャングルにつながった教室のように、すでにあちこちでエラーが起きている。
一郎さんは戸惑うこともなく、スマホの画面を見つめている。
(どうせ、この世界は滅ぶんやから……)
蜃気楼のように、カバさんの言葉がよみがえる。
「もう手のつけようがないくらい、エラーが加速しはじめてる」
次郎君が小さく笑ったけれど、その声は乾いていた。
「兄貴が知らなかったわけがない」
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