次元境界管理人 〜いつか夢の果てで会いましょう〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
27 / 59
第六章:カウントダウンを刻む世界

27:複雑なジュゼットの気持ち

しおりを挟む
 再びリビングルームに現れた一郎さんは、険しい顔でカバさんに歩み寄ると、無造作につかみあげる。

「おまえの笑い声で眠れない」

 苛立ちを隠そうともしない声音。寝不足のせいなのか、一郎さんの顔色は優れない。

「お~、こわ。そない怒らんでもええやんか」

「もう黙れ」

「はいはい」

 カバさんはなげやりに返事をしてから、一郎さんにつかまれたまま、労わるようにもう一度ジュゼットを見た。

「姫さん、またな」

 すっとぬいぐるみの気配が変わる。なんの変哲もない、ピンクのカバのぬいぐるみ。騒がしかった室内がしんと静かになった。ジュゼットが鼻をすする音だけが聞こえる。

 ジュゼットを抱き寄せたまま、瞳子さんが戸惑った顔で一郎さんを見る。彼はカバのぬいぐるみをローテーブルに置くと、その場の張りつめた空気感を和らげるように明るい声を出した。

「これは、ばれてしまったかな?」

 まったく深刻さのない一郎さんの様子に、瞳子さんがいつもの気の強さを発揮した。

「いったい、どういうことなの?」

「どうって言われても……。戻せない次元エラーはジュゼットだけじゃないって話だけど?」

 一郎さんは睡眠を妨害されたせいなのか、気だるげにあくびを繰り返している。

「戻せない次元エラー?」

「そう。このぬいぐるみを利用しているのは11D。俺が見つけたのも少し前で、とにかく言動が支離滅裂なのが特徴かな。ジュゼットの方がよほど話が通じるよ」

 言動が支離滅裂。たしかにそうなのかもしれない。
 でも、次郎君をあれほど不安したのは、どういうことことだろう。

「でも、一郎さん。カバさんとの話で、次郎君は何かを思い出したかもしれないです。とても動揺していて、そのまま出かけちゃいましたけど……」

「次郎が?」

「はい。それにカバさんは一郎さんとは昔からの知り合いだって」

「――俺と?」

「はい」

 一郎さんは少し考えてから、わたしを見た。どこか疲労感の漂う眼差し。皮肉なことに睡眠不足による気だるさで、イケメンの色気が倍加している。

「他に何か言っていた?」

「えっと、この世界が終わるって」

「……この世界が終わる?」

 ふうっと一郎さんがため息をついた。

「たしかに11Dもジュゼットもイレギュラーだけど、世界が終わるほどの変異とは思えない。11Dはこれまでにもあらゆる次元を渡る歩いている節があるから、いろいろと混同しているのかもしれないね」

 一郎さんからは深刻さが感じられない。カバさんの話にはなんの信憑性もないみたいだ。たしかにそんなに簡単に世界が滅ぶはずもないか。

 少しホッとするけれど、次郎君のことは心配だ。
 もし何かを思い出したわけではないとしても、あの狼狽の仕方はただごとじゃない。いったいどうしちゃったんだろう。

「イチロー、本当に世界は終わってしまったりしませんか? ここも、わたくしの世界も?」

 ジュゼットが目を潤ませて一郎さんを見ている。

「もちろんだよ、ジュゼット。世界はそんなに簡単に終わったりしない」

「本当に?」

「本当だよ。――もしかして、元の世界に帰りたくなった?」

「いいえ!」

 ジュゼットは濡れた顔を拭うと、毅然とした表情を取り戻した。幼くてもにじみ出る気品のある振る舞い。彼女が公爵令嬢であることを思い出す。

「戻りたいとは思いません。でも……」

 取り戻した威勢の良さを覆すように、ジュゼットはためらいがちに続けた。

「さきほどカバさんに世界が終わると言われた時、とても哀しくなりました」

「ジュゼット……」

 瞳子さんがそっと彼女の頭を撫でる。

「家の者達ともう二度と会えないと思うと、哀しくなりました」

 ポロポロと大粒の涙がこぼれる。ジュゼットの気持ちはわかるような気がする。戻りたくないと言いながら、いずれ戻ることを心にとどめているのだ。

 きっとジュゼットは、年上の王子様との結婚について、本当はとっくに覚悟を決めていたのだろう。彼女の住む世界はそういうところだから。

 だけど、たまたまこの世界にきて、少しだけわがままをいうひとときを手に入れた。
 駄々をこねて抗いながらも、ジュゼットはわかっている。

 今が特別な時間であること。
 戻りたくないけれど、戻れないとは思っていないのだ。
 一郎さんが瞳子さんに寄り添っているジュゼットに歩み寄る。幼い彼女と同じ目線になるように膝をついた。

「ジュゼットは自分が思っているよりずっと元の世界が好きなんだよ。たしかにこの世界は、ジュゼットの世界よりも自由かもしれない。君を咎める人もいない。でも、二度と会えないのは悲しい。そう思う気持ちも正しい。君の素直な気持ちだ。何も間違えていない。とても大切な気持ちだよ」

「イチロー……」

「とはいえ、まだジュゼットを帰してあげられないんだけどね。だけど、いつか君が帰りたいと泣きだすまでには、何とかしてあげるから」

「わたくしは帰りたくありませんわ!」

「うん。今はね。――今はまだ、この世界を楽しんでくれたらいいよ」

 一郎さんは微笑む。ジュゼットもホッとしたように笑った。
 やっぱりジュゼットは笑顔が一番可愛いな。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...