帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第二十四章(終章):天女の夢の終わり

151:生贄となる花嫁への祈り

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 サイオンの湖底の、さらに下層に作られた遺跡へ入ると、スーはすぐに壁面に施された幾何学模様に目を奪われた。複雑で美しい意匠は、麗眼布れいがんふを彷彿とさせる。

「綺麗な道ですね」

 地下へと続く長い階段を照らすように、所々壁面が輝いている。
 美しいのに、妖しい光だった。

 陽光とも照明とも違う輝きには、どこか厳かな威圧感がある。はじめて見る地下への光景は、まるでスーを異世界へ誘うかのようだ。

(すこし、怖いかも)

 身震いしそうになり、ふたたび緊張感を取りもどす。肩に力がはいると、つないでいる手をかるくルカに引っぱられた。どうやら彼はスーの身が固くなったことを感じとったらしい。

「スー、やはり恐ろしいのでは?」

「……ルカ様は、すべてお見通しですね」

「あなたは、すぐ顔に出るので」

 ほほ笑んでくれるルカをみて、スーはすこしだけ肩の力がぬける。

「ルカ様、じつはわたしは遺跡の中へはいるのはこれが初めてです」

「初めて? もしかして、他の王朝時代の遺跡にも入ったことがないのか?」

「はい。中には入ったことがありません」

 二人で話していると、背後を歩いていたユエンが小さく笑う。

「姫様は小さなころ、探検気分で小さな横穴から遺跡の中へ忍びこもうとして、頭が抜けなくなったのです。それ以来、どんな遺跡でも中へは入ろうとされませんでした。きっと、よほど恐ろしかったのでしょうね」

「僕も覚えているな、それ」

 二人の前を歩くリンも笑っている。ユエンが「はい」とうなずいた。

「身動きがとれなくなった姫様を見つけたのはリン様でした」

「何をどう考えたら、あんな穴から中にはいれると思ったのか理解に苦しむけど。スーも幼い頃は色々とやらかして大変だった」

 リンとユエンは朗らかに笑っている。スーはルカに恥ずかしい幼少期を知られてしまい、みるみる顔が赤くなった。

「それは想像がつきますね。とてもスーらしい」

「え!?」

 スーがルカの顔を仰ぐと、彼も二人と同じように笑っている。

「ルカ様まで!」

「あなたはそういうところに愛嬌があるので」

「愛嬌が! ………あ、いえ、でも、まったく褒められている気がしません」

「スーのそういう話はいくらでも出てくるなぁ」

 リンが続々と昔話を披露する。幼少期の懐かしい話をしながら、彼らが緊張をほぐそうとしてくれているのだと、スーは気づいた。それにしては恥ずかしい暴露話が多すぎたが、おかげで深部に辿りつくまで、スーの遺跡への恐れは和らいでいた。

「こちらです。殿下、スー」

 やがてリンが立ちどまる。どのくらい奥まで歩いてきたのか、スーにはもうわからなくなっていた。リンが横に抜けるように広がる空間を示す。

 たどってきた通路とは明らかにちがう。岩盤を削りだしたような趣とは異なり、空間の壁面には磨かれた正方形の石版が縦横に並んでいる。

 光沢のある石板には、通ってきた道に施された模様と同じものが刻まれていた。

 深部にたどりつくまで、遺跡の内部には数えきれないほどの分かれ道があった。入り組んだ内部構造は、出口のない迷路のように作られているのだろうか。

 サイオンの巨大な湖底の、さらに下層に作られた遺跡。何も知らないスーにも広大さだけは予想がつく。
 案内された遺跡の深部は、スーの想像とは異なっていた。
 壁面の模様は変わらず美しい。

 けれど、何もない。というのが正直な感想だった。しんと静謐な空間が奥へと広がっている。リンがそちらへと歩みだしながら、ルカを振りかえる。

「この深部を外の者にみせるなんて、天女の設計デザイン上では考えられないことですね。この湖底にはサイオンの過去がある。たとえば僕がまだ抑制に囚われていたら、殿下はここを生きてでられないでしょう」

「叔父様、ルカ様に失礼です!」

 スーがつかさず指摘するとリンは苦笑する。

「もしもの話だよ。ここでそんな軽口を叩けることが、すでに奇跡だ。とりあえず奥へ」

 リンの後を追うように、スーはふたたびルカと並んで歩きだす。
 奥へと続く空間の向こうで、スーはゆらゆらと燃える青い炎を見つけた。

(何かが燃えている?)

 さらに近づくと、それが炎ではないことに気づく。
 緩やかに形を変える光が、生き物のようにうごめいているのだ。歩み寄るほどに、それははじめの予想よりも大きな輝きであることがわかる。

 美しいのに、どこか奇怪な光だった。

 忙しなく形をかえる青い光は、胎児のようにも見える。光の下には岩盤があり、泉のように水をたたえていた。鏡面のように動かない水面みなもが、青い光をうつしている。スーは泉をのぞき込んでみるが、ただ澄明な青さがあるだけで深さがわからない。

「僕達はこれを天女のはらと呼んでいます」

「では、あなたとスーはここで誕生した」

「はい」

「ここで姫様をとり上げたのはわたしです」

「ユエンが?」

 スーが彼女を見ると、ゆっくりとうなずく。

「姫様だけではありませんが………」

 そう言われて、スーも気づく。フェイもここで誕生したはずなのだ。彼女は天女の複製としては、不完全な存在として扱われた。赤い瞳をもたないことがその理由だったらしい。

 それがフェイを天女の設計デザインから解放する契機となったのは明きらかだ。
 誰かが手を下さずとも、サイオンの人間は麗眼布を断てば抑制機構が働いて死に至る。

 死に至るはずだったが、フェイは生き延びた。

 はじめに天女の設計デザインを逃れた者は、抑制機構による死を目前に、ぐうぜん燃える麗眼布を見た。それがパルミラの地下で生きる者たちのはじまりだった。

 彼らは抑制機構によって粛清されるサイオンの民を救いだし、やがて麗眼布のからくりに気づく。永い月日をかけて徐々に仲間を増やしていった。

 けれど素性を明かさない彼らに対するパルミラでの迫害は苛烈なものだった。永く地上での生活が許されない日々。
 その不満が、やがて帝国の大公ディオクレアの野望とつながった。

「リン様をとりあげたのも、私です」

 ユエンが感慨深げな目をして、うごめく青い光を見つめていた。スーもあらためて光に目を向ける。何もかもが想像とは異なる光景だった。もっと醜怪なものを見ることになるのかと思っていたが、青い光には機械的な無機質さも、醜悪な嫌悪感もない。

 すべてが怪しく神秘的だった。

「まるで魔法の光のようだわ」

 スーもじっと青い光を眺める。風に揺らめく炎のようでもあり、うごめく胎児のようでもある。
 どこか懐かしくさえ感じる、ゆるやかな光。

「生きているみたい」

 光の複雑な動きを追っていると、くらりと軽く重心を見うしなう。目がまわってしまったのか、乗り物に酔うような気持ち悪さがこみあげてきた。

 スーが吐き気にたえていると、ルカがすぐに不調に気づいた。

「スー、大丈夫か?」

「あ、大丈夫です。じっくり見すぎて、すこし光の動きに酔ってしまったみたいです」

 大したことはないと笑ってみせるが、ルカの不安が伝染したかのようにリンとユエンも側にやってきた。

 スーが二人に弁明する間もなく、ルカにふわりと体を抱きあげられる。とつぜん横抱きにされて戸惑ったが、彼はすぐに青い光から踵を返した。

「リン殿、戻りましょう。他の要所はまた日を改めて」

 余裕のない声に、彼の不安が滲んでいた。スーは何も言えなくなって大人しく身を任せる。

 意地を張って無理をしても、ルカには見抜かれるだろう。スーはこれまでにも遺跡に関わって倒れたり、麗眼布の禁断症状に苦しんだりしてきたのだ。

 遺跡内部での不調は、ルカにそれらを思い出させてしまう。抑制機構を逃れていても、彼が危機感を抱くだろうことは想像ができた。

 スーは特殊な出自のことで、ルカを不安にさせたくない。

「申し訳ありません、ルカ様」

「いえ、あなたが謝ることはない。きっと、こちらに来てからの疲れた出たのだろう」

 ユエンが傍らから「すこしお衣装を緩めましょうか」と声をかけてくれる。スーは「大丈夫よ」と答えようとしたが、吐き気にともなうように、ひやりと体の芯に悪寒が走った。

 すうっと血の気がひいていく。

 気を失いそうだと思った瞬間、スーの中に蘇った記憶があった。

 赤く燃える麗眼布。

――いしずえとなれ。

 謳うような天女の声。

 燃え尽きる麗眼布とともに失われた意識の向こうがわで、最後まで残された言葉。

――花嫁よ、礎となれ

 スーははっきりと思いだした。深層に刻まれていた想いを。

(これは、天女の祈り)





 「――いしずえとなれ

 花嫁われよ、礎となれ

 の者の夢をささえ、儚き命が尽きるまで

 花嫁われよ、礎となれ

 明けぬ夜を憂い、昏き夜を耐え

 訪れることのない薄明を胸に

 礎となれ

 永劫に、夢を見よ

 礎となり、果てぬ夢を見よ

 果てぬ夢のうちで、届かぬ想いに身を焦がし

 命尽きるまで咲き誇れ

 花嫁われよ、夢を見よ

 そして

 未来永劫、礎となれ――」





 これは生贄となる花嫁じぶんへの祈り。
 敗れた想いに囚われ、世を呪うかのように繰り返される、女帝の祈り。

 けれど、今となっては祈りのすべての意味が反転する。
 スーが見るのは、女帝が見続けた独りよがりな夢ではないのだ。

 そして礎となるのは、この身だけではない。
 女帝の描いた、天女の独りよがりな夢。

(………思いだしたわ)

 スーはさっきまでの吐き気が幾分和らいでいることに気づく。気を失いそうな貧血もおさまっていた。

「ルカ様、申し訳ありません。おかげで少しおちつきました」

 自分を抱きあげて歩くルカの顔を仰ぐと目があった。笑ってみせると、ルカの表情もゆるむ。

「良かった。でも、すこし休んだ方がいい」

「はい」

 スーはルカの温もりに、そっと身をゆだねた。

(わたしが、夢をかなえてみせる)

 自分にはそれができるのだと、スーは一つの予感を抱きながら強く決意する。
 哀しい夢は、もう終わらせなければならない。
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