帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

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第二十四章(終章):天女の夢の終わり

150:サイオンへの訪問

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 王女であるスーを連れてのサイオンへの訪問は、熱烈と言うのがふさわしい歓迎だった。

 抑制機構の解除については現在もまだ続けられているが、すでに国民の大多数が自由の身となり、犠牲者は出ていない。もともとが人懐こい国民性なのか、二人の訪問については国をあげての歓迎で、お祭り騒ぎである。開かれた宴のあまりの賑わいに、ルカは大げさすぎるという感想を抱いたほどだった。

「わたしがルカ様の元へ嫁ぐ時も、このような感じでした」

 スーは久しぶりの帰郷に喜びをかくさず笑っている。

 訪問初日の彼女は、両親をはじめ、王家の者との再会に感極まって、泣いたり笑ったり大忙しだった。サイオンの両陛下――両親に、帝国での生活を語るスーの嬉しそうな横顔を見て、ルカはそっと安堵した。

 サイオンの王はリンから全てを聞いているのか、深々と頭をたれてルカへ感謝を表明した。
 この国を解放へ導いたこともあるが、それ以上に、王の言葉は育ててきた王女への情を含んでいた。

 抑制機構のもとでは決して許されなかった、彼らの望み。
 スーの過酷な宿命が潰えること。それを心から祝福できること。

 彼らはもう天女の脅威に怯えることはない。未来を手に入れた娘の幸せを、素直に喜ぶことができるのだ。

 これまでの彼らの辛苦は、想像を絶するものがあったのだろう。ルカは彼らの祝福と感謝を受けとめ、あらためて皇帝ユリウスと自分が成し遂げたことの意味を噛みしめた。

 そんなふうに初日は挨拶や宴で終わってしまったが、翌日からルカはスーとサイオンの街を回っている。
 賑わいは王城だけにととまらず、街並みのどこを見てもお祭り騒ぎである。

 気まぐれのように降り積もった雪はすぐに溶けたようだ。雪化粧が幻のように、サイオンの街並みが溌溂と輝いている。華やかな街並みが眩しい。

 帝国で賓客が外出するとなると堅苦しい制限が伴うが、サイオンは大らかで開放的だった。
 ルカも目に見えて大袈裟な警護をつけていない。リンが安全だと言うのなら、それなりの警戒網が築かれているだろう。

 三日目となる今日は、車で市街地を抜けて、リンの案内でサイオンの巨大な湖に来ていた。ルカがサイオンを訪れた最大の理由が、ここに隠されている。

 湖に到着すると、スーは供につけた侍女のユエンと懐かし気に湖を眺めている。湖から吹いてくる冷たい風が、スーの結い上げた長い髪を閃かせた。

 リンがそんな二人の様子を横目に確かめながら、ルカと向き合う。
 彼は失われた左目をかくすように、美しい装飾を施した眼帯をしていた。

「眼の加減は大丈夫なのですか?」

 リンが左目を失った原因の一端はルカにもある。フェイにサイオンの脅威を逃れる道筋を示すため、ルカは彼に刃を向けさせた。

 彼らが傷つけてはならない証ーー守るべき天女の意匠に。

「私がもっとうまく立ち回っていれば、あなたが左目を失うことはなかった。申し訳ありません」

 ルカの謝罪に、リンは驚いたと言いたげに残された赤い右眼を見開く。

「まさか殿下がそんなふうに思っていたとは。逆ですよ、ルカ殿下。僕がこのくらいの代償ですんだのは、正直なところ奇跡だと思っています」

 彼は自身を犠牲にしながら、つねに希望の方向性を示していた。抑制機構の脅威を思えば、秘めていた覚悟は相当なものだったはずである。

「僕は抑制のせいで、肝心なことを何も伝えることができなかった。でも殿下は気づいてくれた。本当に、殿下が察しの良い方で助かったというのが、僕の素直な感想です。殿下が申し訳なく思うことなど何もないですよ」

 リンはスーと同じように屈託なく笑う。

「おかげで僕はスーが皇太子妃となる姿も見られるだろうし。本当にありがとうございます、ルカ殿下」

 彼なりに今を謳歌しているのだろうと、ルカは頷いて見せた。
 感傷的になりそうな空気を払うように、「ところで」とリンが含みのある笑みを浮かべる。

「保管を続けるのか、沈めるのか。皇太子殿下にこれを視察させるとなると、皇帝陛下はまだ決断されておられないのですか?」

 湖底にあるものを示すように、リンが湖に目を向けた。

「もしかすると、帝国がサイオンの技術と完全な決別を果たすまで温存しておく意向だとか?」

 リンは迷う余地はないと言いたげに、どこか呆れた口調である。たしかに湖の底に眠るのは、彼らにとってはまったくありがたみのない遺跡だろう。

「いいえ。陛下は既にご決断しておられます」

「では、殿下が迷っておられる?」

 ルカはゆっくりと首を振った。

「迷う余地はありません。ただ、私は全てを沈めるまえに見ておきたかった。彼女が生まれた場所を」

「………そうですか」

「叔父様! ルカ様だけではありません。わたしも見ておきたいとお願いしたのです」

 いつのまにかスーがルカの傍らに立っていた。リンは驚いたように表情を動かし「物好きだね」と笑う。

「まったく面白いものではないのに」

「でも、私と叔父様が生まれた場所です」

 何の迷いもなく笑うスーにリンはやれやれと歩き出した。

「では行きましょう。期待するようなものは何もありませんが、僕がご案内しますよ。サイオンの深部へ」

 リンは湖岸から続く樹林へと向かう。厳重に立ち入りを禁止されている区域に入ると、防風林のような木々の合間から、冴えた陽光を照り返す湖面が見えた。舗装のされていない林道を歩いていると、石碑のような巨大な岩山が現れる。自然にできた光景のように擬態しているが、これが湖底の下に築かれた遺跡への目印のようだった。

「大きな岩ですね」

 スーがいぶかし気な顔で石碑を仰いでいる。好奇心の中にわずかに不安がにじんでいる気がして、ルカはそっと彼女の手をとった。スーがはじかれた様にこちらを向いて、嬉しそうに笑う。

「ルカ様の手は、寒い日でもあたたかいですね」

「スーの手はいつも冷たい」

「べつに緊張しているわけではありませんよ」

 ルカはすこしだけ力をこめて、さらに彼女の手を握る。スーは強がっているが、遺跡への不安を隠しきれていない。

「………では、そういうことにしておこうか」

「う、――申し訳ありません、ルカ様。………実はすこし緊張しております」

 降参したと言いたげに白旗をあげるスーに、ルカは笑ってみせた。

「私もだよ、スー」

「え?」

「はじめて見るのだから、緊張するのは仕方がない」

 ルカが包み隠さず伝えると、スーはふたたび笑顔になってうなずいた。

「そうですね」
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