帝国の花嫁は夢を見る 〜政略結婚ですが、絶対におしどり夫婦になってみせます〜

長月京子

文字の大きさ
上 下
147 / 170
第二十三章:帝国の花嫁の夢

147:愛しさの証

しおりを挟む
 乾き切っていない髪に、ローブをまとっただけのルカの姿。ただ立っているだけなのに、スーは彼のもつ大人の色気に圧倒される。

 さっきまでの平常心が嘘のように緊張感がまいもどってくる。鼓動が早鐘のように鳴りはじめた。

「スー、今夜は晩酌はやめておきましょう」

「え? あっ!」

 スーはふたたび牽制されるのかと思ったが、よく考えると彼は長い職務から戻ったばかりなのだ。大人の階段をのぼることで頭がいっぱいになっていたが、ルカは病み上がりから休みなく働いて、相当疲れているだろう。

「申し訳ありません。わたしはまた自分のことばかり考えておりました。ルカ様はお疲れでーー」

「違います、スー。そうじゃない」

「違う、のですか?」

「はい」

「でも、お疲れではないということは、わたしはまたルカ様に牽制されるのでしょうか? やはり生理的に受けつけなーー」

「違います。飲んでしまうと、スーはすぐに酔い潰れて眠ってしまう。今夜のことも曖昧になってしまうかもしれない」

「そんなことは……」

 ないとは言えない。否定できないスーの前で、ルカは自嘲的に目を伏せた。

「私はわがままなので、スーに今夜のことを忘れてほしくない」

 ためらわず、彼は思いをさらけだす。

「覚えていてほしい」

 その飾り気のない苛烈さに、スーの鼓動が聞いたこともない速さで打ちはじめていた。ワインをあおったわけでもないのに、強烈な酔いにおかされたように、顔がのぼせて肌が熱を帯びていく。

 湖底で照り返す光の煌めきから目が離せなくなるように、スーは囚われていた。
 彼に示された欲望から逃れられない。

「だから、晩酌はやめておきましょう」

「はい」

 ドコドコと破裂しそうな勢いで、自分の鼓動が激しさを増しつつある。味わったことのない緊張に身がすくみ、スーは体が震えた。

「スー」

 ルカが小刻みに震えるスーの手をとった。いつもあたたかい彼の手が、今夜はさらに熱く感じられる。緊張で固まったまま立ち尽くし、身動きができなくなったスーの身体からだを、ルカが強く引き寄せた。浮遊感に襲われると、膝裏を支えるようにして、彼の逞しい腕に抱き上げられてしまう。

「今夜は寝台ベッドで話をしましょう」

「は、はい!」

 抱き上げられた勢いに負けないように、とっさに彼の首筋にしがみつくように腕を回すと、ルカはゆっくりと寝台へと歩みよっていく。

 スーは地響きのような自分の鼓動と、ガチガチに身が硬くなる緊張に襲われ続けていた。自分を抱きあげるルカの色気に当てられて、天に召されそうになっている魂を必死に呼びもどす。

 いよいよ大人の階段をのぼるのだと覚悟を決めるが、間近に寝台を見て怖気づきそうになっていた。

 ルカは寝台にスーを下ろすと、すぐに押し倒すようなことはなく、互いが向かい合うように寝台の上に腰をおろした。スーはかしこまってしまい、ルカの前で思わず正座してしまう。

「スー、緊張していますか?」

「は、はい! 申し訳ありません! 全力でルカ様を口説くなどと申し上げましたが、わたしはこのような経験がなく、ルカ様の期待に添えるかどうかもわかりませんが、どうかよろしくお願いします!」

 先にすべてを暴露しておこうと潔く謝ってしまうと、ルカがスーの手をとった。

「緊張しているのは、あなただけじゃない」

 彼がそっとスーの手を自分の胸にあてがった。

「……あ」

「私も緊張しています」

 ルカのたくましい胸元に触れた掌から、はっきりと伝わってくる鼓動。彼がまとっているローブの上からでもわかる。それは激しくリズムを刻んでいた。

「ルカ様も?」

「はい」

 スーはヘレナの言葉を思いだす。

(愛しい人と触れ合えることは、それだけで尊く幸せなことです。殿下も同じです)

「ルカ様もわたしと同じ……」

 スーは帝国貴族の夜の常識が、自分の目を曇らせていたのだと気づく。
 ルカとの経験の差ばかりを気にしていたのだ。

 けれど、本当は何も変わらない。

 高鳴る鼓動は、自分を愛しいと思ってくれている証。スーの鼓動も同じようにルカに伝わっているのだろう。
 息が苦しくなるような緊張には、互いへの想いが詰まっている。

 ルカの想いで自分の気持ちが満たされるように、彼もスーの想いに触れて、満たされるのだ。
 そして。
 それが何ものにも変えがたい悦びとなる。

(ヘレナ様の仰った通りだわ)

 どんな時も、感じたまま素直な気持ちで傍にあれば良い。
 自分を飾る必要はないのだ。想いは通じている。

「スー。触れてもいいですか」

 ルカの囁きは、甘く優しい響きをしていた。スーはぎゅっと目を閉じて小さくうなずく。
 何も恐れることはなかったのだ。彼を信じて、ただ身をまかせれば良い。

「はい、もちろんです」
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

処理中です...