139 / 170
第二十二章:皇太子と王女の関係
139:皇太子からの求婚
しおりを挟む
ルカがじっとこちらを見ている気配がしたが、スーは彼の目を見ることができない。
「スー、すこし待ってください」
ルカが茶鍋を持ち上げた。
「先にお茶を淹れましょう」
二つ並んだ器に、彼がなみなみと紅茶をそそぐ。芳しい香りが立ちのぼり、ゆるやかな渦をつくりながら湯気が舞いあがる。「どうぞ」と差し出された紅茶は、赤みがかった鮮やかな琥珀で、ゆらゆらと表面で光が反射していた。
「ありがとうございます」
ルカの顔を見ることができないまま、スーは紅茶に口をつける。ほんのりとした甘さが、すこしだけスーの怖気づきそうになる気持ちを奮い立たせてくれた。
「ルカ様、あのーー」
「スーの大切な話とは、私との婚約を白紙に戻したい、という話ですか?」
びくぅっと心臓が飛び出しそうな勢いで、スーはうろたえる。
「え!? あの、それは……、あっ! もしかしてルカ様の大切なお話というのも、実は婚約破棄のことだったのですか?」
「…………違います」
「違うのですか? では、どうして……」
スーはあたふたしながら、ようやくルカの情報源に気がつく。
「あっ! ルキア様から聞いたのですね? ルカ様には絶対に話さないでくださいとお願いしていたのに!」
一人で動揺しまくっていると、じっとスーを見つめているルカの視線に気づいた。
「スー、私はあなたが婚約を白紙に戻したいと思った理由が知りたい」
「え!?」
「なぜ私との婚約を白紙に戻したいと思ったのか教えてください」
「それは! あの! ルカ様には義務感や責任感ではなく、本当に好きになった女性と幸せになってほしいからです!」
一息に伝えると、ルカは深く息をついた。
「たしかにスーと出会ったばかりの頃は、結婚は皇太子の責務だと考えていました」
「やっぱりそうなのですね」
「でも今は違います。私は自分が愛しいと思った女性を妃にするつもりですし、義務感や責任感で結婚するつもりはありません。今は自分が幸せになるために結婚したいと思っています」
「はい! それはもちろんです! 祝福します!」
ルカの幸せのためなら全面的に応援すると決めている。前のめりに答えると、ルカが真摯な目をしてスーを見つめた。
「では、私の大切な話も聞いていただけますか?」
「あ、はい!」
スーはぎゅっと自分の手を組み合わせて覚悟を決める。
「もちろんです!」
勢いよく返事をしたが、ルカの大切な話には想像がついていた。
きっと彼には誰か心に決めた女性がいるのだろう。さっきは否定されたが、やはりルカもスーとの婚約を白紙に戻すことを考えているに違いない。
(挫けない! それで良いと決めたもの! それでもわたしはルカ様にお仕えして、生涯ルカ様の幸せのために尽くすわ! 筋肉痛にも耐えてみせる!)
婚約破棄の衝撃に備えて胸の前でかたく手を組み合わせていると、その手を包むように、そっと温もりが触れる。
スーの組み合わせた手に、ルカが掌を重ねていた。
いつのまにか吸い込まれそうなほど美しいアイスブルーの瞳が、目の前に迫っている。
ルカの囁くような声が聞こえた。
「スー、私と結婚してください」
「――え?」
しんと、すべての音が消失してしまったように、スーの周りから他の音が失われてしまった気がした。ルカの声だけが聞こえてくる。
「あなたがとても愛しい。だから、これからも私の隣で笑っていてください。スーとの婚約を白紙にもどすことはできません。私は他の誰でもなく、あなたを妃に望みます。結婚してください、スー」
スーの前でひざまづくようにして、ルカが手を握っている。青い蛍光のような鮮やかな瞳孔。それを抱く淡い虹彩が、スーの影を映していた。
まっすぐに向けられた端正な双眸には、誠実な光が宿っている。
美しすぎて、スーは目がそらせない。
けれど、繰り広げられた告白は、突然夢の舞台に立たされたように現実味に欠けていた。
あまりにも理想的な台詞を与えられすぎて、スーの心は幽体離脱した魂のようにふわふわと舞い上がってしまう。
「ルカ様、あの、わたし、――さっきから幻聴がひどいのですが!?」
「………幻聴?」
「なぜかルカ様の声が、結婚してくださいと言っているように聞こえてしまうのです!」
「はい、そう言いました」
「わたしのことが愛しいと!」
「はい、スーが愛しいです」
「信じられません!」
「あなたが私の言葉を信じられないのであれば、私はこれから何度でも伝えます」
「夢なら醒めないでほしいです!」
「夢ではありません。スー、私と結婚してください。……あなたを愛しています」
繰りかえされる熱烈な告白が、すこしずつ、けれど確実にスーの中にある誤解をほどく。
現実と乖離していた理想が、ゆっくりと近づいて重なっていくのだ。
義務感であり、責任感でしかないと思っていたルカの思いが、違う絵を描き始めている。
あり得ないと思っていたルカからの求婚。
信じてよいのかどうかわからない。
自分の手を握っているルカの掌のあたたかさだけが、本物だった。
「スー、すこし待ってください」
ルカが茶鍋を持ち上げた。
「先にお茶を淹れましょう」
二つ並んだ器に、彼がなみなみと紅茶をそそぐ。芳しい香りが立ちのぼり、ゆるやかな渦をつくりながら湯気が舞いあがる。「どうぞ」と差し出された紅茶は、赤みがかった鮮やかな琥珀で、ゆらゆらと表面で光が反射していた。
「ありがとうございます」
ルカの顔を見ることができないまま、スーは紅茶に口をつける。ほんのりとした甘さが、すこしだけスーの怖気づきそうになる気持ちを奮い立たせてくれた。
「ルカ様、あのーー」
「スーの大切な話とは、私との婚約を白紙に戻したい、という話ですか?」
びくぅっと心臓が飛び出しそうな勢いで、スーはうろたえる。
「え!? あの、それは……、あっ! もしかしてルカ様の大切なお話というのも、実は婚約破棄のことだったのですか?」
「…………違います」
「違うのですか? では、どうして……」
スーはあたふたしながら、ようやくルカの情報源に気がつく。
「あっ! ルキア様から聞いたのですね? ルカ様には絶対に話さないでくださいとお願いしていたのに!」
一人で動揺しまくっていると、じっとスーを見つめているルカの視線に気づいた。
「スー、私はあなたが婚約を白紙に戻したいと思った理由が知りたい」
「え!?」
「なぜ私との婚約を白紙に戻したいと思ったのか教えてください」
「それは! あの! ルカ様には義務感や責任感ではなく、本当に好きになった女性と幸せになってほしいからです!」
一息に伝えると、ルカは深く息をついた。
「たしかにスーと出会ったばかりの頃は、結婚は皇太子の責務だと考えていました」
「やっぱりそうなのですね」
「でも今は違います。私は自分が愛しいと思った女性を妃にするつもりですし、義務感や責任感で結婚するつもりはありません。今は自分が幸せになるために結婚したいと思っています」
「はい! それはもちろんです! 祝福します!」
ルカの幸せのためなら全面的に応援すると決めている。前のめりに答えると、ルカが真摯な目をしてスーを見つめた。
「では、私の大切な話も聞いていただけますか?」
「あ、はい!」
スーはぎゅっと自分の手を組み合わせて覚悟を決める。
「もちろんです!」
勢いよく返事をしたが、ルカの大切な話には想像がついていた。
きっと彼には誰か心に決めた女性がいるのだろう。さっきは否定されたが、やはりルカもスーとの婚約を白紙に戻すことを考えているに違いない。
(挫けない! それで良いと決めたもの! それでもわたしはルカ様にお仕えして、生涯ルカ様の幸せのために尽くすわ! 筋肉痛にも耐えてみせる!)
婚約破棄の衝撃に備えて胸の前でかたく手を組み合わせていると、その手を包むように、そっと温もりが触れる。
スーの組み合わせた手に、ルカが掌を重ねていた。
いつのまにか吸い込まれそうなほど美しいアイスブルーの瞳が、目の前に迫っている。
ルカの囁くような声が聞こえた。
「スー、私と結婚してください」
「――え?」
しんと、すべての音が消失してしまったように、スーの周りから他の音が失われてしまった気がした。ルカの声だけが聞こえてくる。
「あなたがとても愛しい。だから、これからも私の隣で笑っていてください。スーとの婚約を白紙にもどすことはできません。私は他の誰でもなく、あなたを妃に望みます。結婚してください、スー」
スーの前でひざまづくようにして、ルカが手を握っている。青い蛍光のような鮮やかな瞳孔。それを抱く淡い虹彩が、スーの影を映していた。
まっすぐに向けられた端正な双眸には、誠実な光が宿っている。
美しすぎて、スーは目がそらせない。
けれど、繰り広げられた告白は、突然夢の舞台に立たされたように現実味に欠けていた。
あまりにも理想的な台詞を与えられすぎて、スーの心は幽体離脱した魂のようにふわふわと舞い上がってしまう。
「ルカ様、あの、わたし、――さっきから幻聴がひどいのですが!?」
「………幻聴?」
「なぜかルカ様の声が、結婚してくださいと言っているように聞こえてしまうのです!」
「はい、そう言いました」
「わたしのことが愛しいと!」
「はい、スーが愛しいです」
「信じられません!」
「あなたが私の言葉を信じられないのであれば、私はこれから何度でも伝えます」
「夢なら醒めないでほしいです!」
「夢ではありません。スー、私と結婚してください。……あなたを愛しています」
繰りかえされる熱烈な告白が、すこしずつ、けれど確実にスーの中にある誤解をほどく。
現実と乖離していた理想が、ゆっくりと近づいて重なっていくのだ。
義務感であり、責任感でしかないと思っていたルカの思いが、違う絵を描き始めている。
あり得ないと思っていたルカからの求婚。
信じてよいのかどうかわからない。
自分の手を握っているルカの掌のあたたかさだけが、本物だった。
0
お気に入りに追加
515
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる